2001年(平成13年)4月に発足した小泉純一郎内閣は「聖域なき構造改革」と郵政事業などの公共サービスの民営化、電気・通信、運輸業などの参入規制改革を推進した。(1)。
2001年(平成13年)9月11日、アメリカ・ニューヨークの世界貿易センタービルにテロリストにハイジャックされた旅客機2機が突入、ワシントンの国防総省にも1機が突入した。 世界貿易センタービルは崩壊し、死者約3,000人の大惨事となった(アメリカ同時多発テロ)。 これに対し、アメリカの主導により、テロ組織アル=カイーダと、その支援国家と見なされたアフガニスタンに対する武力制裁が、国連安全保障理事会の決議に基づき発動された。 日本政府もテロ対策特別措置法を成立させ、海上自衛隊の艦艇をインド洋に派遣した。(2)
2001年(平成13年)12月1日、雅子妃殿下が愛子内親王を出産、21世紀初頭を飾る慶事となった。
2001年(平成13年)3月24日、芸予地震が発生、市内では震度5強を観測した。 この地震により死者1名、重軽傷者78名、家屋の全壊57棟、半壊253棟、一部損壊12,825棟の被害が発生した。(3)
2003年(平成15年)4月1日には安芸郡下蒲刈町を編入、以後2004年(平成16年)4月1日の川尻町編入、2005年(平成17年)3月20日の音戸町・倉橋町・蒲刈町・安浦町・豊浜町・及び豊町の編入と、「平成の大合併」が続くことになる。(4)
2002年(平成14年)12月1日、東北新幹線が八戸まで延伸開業、「はやて」が運転を開始した。 2003年(平成15年)12月1日には、可部線可部−三段峡間が廃止された(5)。
図1に2003年(平成15年)10月改正の呉線時刻表を示す(6)。 呉−広島間には上り66本、下り64本が設定されていて、この内、上り14本、下12本が快速列車であった。
この改正で広駅を境に日中の運転系統が分割され、広駅発時間を基準に見ると、上りは、10時台から16時台、9時台から17時台まで、直通列車が設定されていない。 また、2002年(平成14年)3月23日に開始された呉−広島間のワンマン運転に引き続き、この改正から呉−三原間でもワンマン運転が開始された(7)。
2002年(平成14年)3月23日には、広―安芸阿賀間に新広駅が開業している。 1面1線の駅であるが、呉市役所広支所と中国労災病院に隣接しており、広島国際大学などの最寄り駅でもあり、利用者は比較的多い。
図1 呉線時刻表 2003年(平成15年)10月
図2 快速「呉線開業100周年記念号」時刻表
この年の12月27日、呉線は開業百年を迎えた。 これを記念して、同日に快速「呉線開業100周年記念号」が運転された。 運転区間は広島―岡山間(上りのみ)であった。 図2に快速「呉線開業100周年記念号」の運転時刻を示す(8)。 使用されたのは「きのくにシーサイド」4両編成で、座席車3両と展望車1両が連結されていた。
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