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三十糎艦船連合呉支部

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社会情勢

全国

1905年(明治38年)3月、奉天会戦に勝利、5月の日本海海戦にも勝利したが、日本の戦争継続能力は尽きかけていた。 そこで日本政府はアメリカに対し和平の仲介を依頼した。 9月にはアメリカのポーツマスで日露講和条約(ポーツマス条約)が調印されたが、条約の内容に不満を持つ群衆が東京で暴発、政府高官邸・警察署・政府系新聞社・キリスト教会などを襲撃した(日比谷焼打ち事件)。 政府は戒厳令を発し、軍隊を出動させてこの暴動を鎮圧した。(1)

日露戦後、第1次桂太郎内閣が退陣し、第1次西園寺公望内閣が成立した。 以後、藩閥・陸軍をバックとした桂内閣と、立憲政友会をバックとした西園寺内閣が交互に組閣する「桂園時代」が訪れた(2)

呉市

日露戦争中の1905年(明治38年)6月2日芸予地震が発生した。 この地震により呉市では死者6名、重傷者7名、軽傷者29名、家屋全壊5戸、半壊25戸という被害をうけた。 また、呉鎮守府と司令長官官舎は改装が必要となるほどの被害をうけた。(3)

講和条約に対する不満は呉市でも大きく、8月29日に開催された市民大会において、「譲歩は国辱なり」との決議がなされた。(4)

鉄道

1905年(明治38年)1月1日、日露戦争の戦費を賄うために制定された非常特別税法の中の税目の一つとして通行税が創設された。 当初の通行税は距離と等級双方に基づき税額を定めていた。 表1に制定当時の鉄道通行税を示す。(5)

表1 鉄道通行税
  距 離
等 級 50マイル未満 100マイル未満 200マイル未満 200マイル以上
1等車 5銭 20銭 40銭 50銭
2等車 3銭 10銭 20銭 25銭
3等車 1銭 2銭 3銭 4銭

日清・日露の戦役を通じて、鉄道は大きな役割を果たした。 しかしながら、私鉄官鉄の群立により各鉄道間の円滑な輸送に問題が生じていた。 このため、日露戦争後の1906年(明治39年)3月31日に鉄道国有法が公布され、私鉄17社が買収されることとなった。(6)

呉線−1906年(明治39年)4月/1907年(明治40年)3月

呉線は、開業約1年後の1904年(明治37年)12月1日に山陽鉄道に貸与されたが、鉄道国有化により山陽鉄道が買収されたため、1906年(明治39年)12月1日をもって、再び官有鉄道となった。(7)

表2 呉駅乗降人員
1904年(明治37年)〜1908年(明治41年)
乗降人数
(人/日)
呉市人口
1904年
(明治37年)
1,384 67,883
1906年
(明治39年)
1,474 84,882
1908年
(明治41年)
1,703 93,082

表2に1904年(明治37年)〜1908年(明治41年)における呉駅乗降人員(8)および呉市人口(9)の推移を示す。 この期間で呉市の人口が37%増加しているのに対し、乗降客数の増加は23%で、人口に比べて伸びが少ない。 この差は、現在のように呉が広島のベッドタウンではなかったことと、運賃が高かったこととに起因すると思われる。

ちなみに、広島−呉間の三等運賃が27銭に対し、1908年(明治41年)の呉海軍工廠造船部職工の1日平均賃金は88銭(10時間労働)(10)であったから、約3時間分の労働賃金に相当する。 これを現在の広島県平成25年度地域別最低賃金719円/時間、広島−呉間のJR普通運賃480円、約0.7時間分の労働賃金相当と比較すると、当時の運賃の高さがわかる。

1906年(明治39年)4月

呉線時刻表 1906年(明治39年)4月
図1 呉線時刻表 1906年(明治39年)4月

図1に1906年(明治39年)4月改正の呉線時刻表を示す(11)。 この時刻表は、国有化前であるので山陽鉄道の呉−広島間として、社章とともに記載されている。

運転本数は上下8本、所要時間は最速1時間3分、平均で1時間9分である。 開業時は広島−呉間6本、海田市−呉間3本であったが、本数は1本減となり、全列車が広島に乗り入れるようになった。

濱崎駅が列車時刻とともに記載されているが、欄外に「濱崎駅ハ夏期ニ限リ設置ス」との記載がある。 4月号にもかかわらず、夏期営業の臨時駅の時刻が記載されているのは、版を組み替える手間を省いたためと考えられる。

1907年(明治40年)3月

呉線時刻表 1907年(明治40年)3月
図2 呉線時刻表 1907年(明治40年)3月

図2に、国有化後の1907年(明治40年)3月改正の呉線時刻表を示す(12)。 山陽鉄道の社名、社章に替わり官有鉄道の名称と「工」マークが記載されている。 この「工」マークは最初の鉄道所管官庁である工部省の「工」から採られたものである。

運転本数は上下11本、所要時間は最速57分、平均で下り1時間6分、上り1時間8分である。 1906年(明治39年)4月時点と比較して、上下3本が増発されている。

前掲と同じく、夏期のみ設置される濱崎駅が、列車時刻とともに記載されている。

図1の時刻表の哩程は、マイル(1マイル= 1609.344m)・チェーン (1 チェーン = 20.1168m)で表されているが、図2の時刻表の哩程は、マイル表示に変更されている。 同じ時刻表で国有化されていない中国鉄道はマイル・チェーン 表示のままである。 したがって、これは私鉄と官有鉄道とでは哩程に関する規則が違い、それに合わせたためと考えられる

参考資料

  1. 鳥海靖.もういちど読む山川日本近代史.東京,山川出版社,2013.p104-106.(ISBN978-4-634-59112-7)
  2. 前掲.もういちど読む山川日本近代史.p111
  3. 呉市史編纂委員会編.呉の歴史:呉市制100周年記念版.呉,呉市,2002,p201-202
  4. 前掲.呉の歴史:呉市制100周年記念版.p206
  5. 鉄道と通行税(答え)|税の歴史クイズ|税務大学校|国税庁.https://www.nta.go.jp/about/organization/ntc/sozei/quiz/1612/answer.htm,2023年8月2日確認
  6. 須田寛.時刻表に見る国鉄旅客営業のあゆみ(時刻表復刻版戦前・戦中編).東京,日本交通公社,1978.p9-10
  7. 大久保邦彦・三宅俊彦編.鉄道運輸年表(時刻表復刻版).東京,日本交通公社,1977.p23
  8. 呉市史編纂委員会編.呉市史第4巻.呉,呉市役所,1976,p69
  9. 呉市編.呉市勢要覧 昭和33年版.呉,呉市,1958.p24
  10. 前掲.呉の歴史:呉市制100周年記念版.p229
  11. 汽車汽船旅行案内 明治39年4月号(通巻第139号).東京,新人物往来社,1998.p58.復刻版明治大正時刻表
  12. 汽車汽船旅行案内 明治40年3月号(通巻第150号).東京,新人物往来社,1998.p62.復刻版明治大正時刻表