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三十糎艦船連合呉支部

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社会情勢

全国

1956年(昭和31年)の経済白書に記された「もはや戦後ではない」に続く文章「我々はいまや異なった事態に当面しようとしている。 回復を通じての成長は終わった」に象徴されるように、戦後10年を経て、経済は新たな局面を迎えた。 そして、今後の成長のためには「世界技術革新の波に乗って、日本の新しい国造りに出発すること」が必要であった。 この文の如く、1950年代後半から、技術革新に支えられた生産力増強のための投資と消費需要の伸びに牽引され、経済が加速的に発展していった(高度成長時代の到来)。(1)

呉市

1956年(昭和31年)10月01日、安芸郡天応町、昭和村および賀茂郡郷原村を編入した。 合併町村は、生産力・人口の増加という点では即効的な効果は少なかったが、現在から見ると、開発可能な地域を市域に組み入れたことは意義のある合併であった。(2)

鉄道

1956年(昭和31年)11月19日、東海道本線の全線電化が完成した。 同時に全国白紙大改正が実施され、各線のスピードアップ、列車増発が実施され、動力近代化(電車化・気動車化)も進展した(3)。 東海道線の電化により、特急「つばめ」「はと」は東京−大阪間を7時間30分(30分短縮)で運転され、戦前のスピード記録を22年ぶりに更新した(4)。 また、東京−博多間に寝台車主体の特急「あさかぜ」(二三等寝台車、食堂車付)が設定された(5)。 これは、後の「ブルートレイン」のさきがけとなる列車であった。

呉線―1956年(昭和31年)11月

運行

全国的な白紙大改正が実施された、呉線でも優等列車を中心に改正が実施された。

図1に1956年(昭和31年)11月19日改正の呉線時刻表を示す(6)。 呉―広島間には優等列車上下2本を含め下り19本、上り20本が設定されている。 優等列車は、3本設定されているが、急行「早鞆」が山陽本線経由となり(「筑紫」と改称)、京都−広島間準急が新設されている。

交通公社(現・JTB)の時刻表は昭和31年12月号から、呉の駅名表示が新字体に変更されている。 「廣」、「藝」、「應」などは、1950年(昭和25年)頃には新字体に変更されており、呉線内では呉駅が最後となった。 交通公社の時刻表に限れば、この号で呉線の戦後が終わったとも言える。

呉線時刻表:1956年(昭和31年)11月
図1 呉線時刻表 呉線時刻表:1956年(昭和31年)11月

主要な列車

急行「安芸」

急行安芸編成表
図2 急行「安芸」編成表

図2に急行「安芸」の編成表を示す(7)。 この時点でも食堂車は連結されていない。

準急305/306列車

準急305/306列車編成表
図3 準急305/306列車編成表

305/306列車は、この改正で登場した準急である。 図3に編成表を示す(8)。 9〜14号車に宇野行きの編成を併結している。

準急307/308列車

準急307/308列車編成表
図4 準急307/308列車編成表

この列車は既設の準急305/306列車の列車番号が変更されただけで、運転時間および編成に大きな変化はない。 図4に準急307/308列車の編成表を示す(8)

参考資料

  1. 牛島利明.高度成長から平成不況まで.東京, 慶応義塾大学出版会,2009,p260-263.日本経済史1600−2000:歴史に読む現代.(ISBN978-4-7664-1573-5)
  2. 呉市史編纂委員会編.呉の歴史:呉市制100周年記念版.呉,呉市,2002,p306
  3. 須田寛.時刻表に見る国鉄旅客営業のあゆみ(時刻表復刻版戦前・戦中編).東京,日本交通公社,1978.p134
  4. 山之内秀一郎.スピードアップの変遷と復刻版時刻表の見どころ(時刻表復刻版戦後篇2・付録).東京,日本交通公社,1984.p49
  5. 大久保邦彦・三宅俊彦・曽田英夫編.鉄道運輸年表〈最新版〉.東京,JTB,1998,p88-89,旅 1999年1月号別冊付録 第73巻第1号 通巻864号
  6. 時刻表 昭和31年12月号.東京,日本交通公社,1977.p28-29.時刻表復刻版〈戦後編〉
  7. 前掲.時刻表 昭和31年12月号.p332
  8. ab前掲.時刻表 昭和31年12月号.p333