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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

社会情勢

全国

「岩戸景気」の後、短期間(10ヶ月)の「転換型不況」を経て、東京オリンピック開催にともなうインフラや競技施設の整備のために建設需要が高まり、「オリンピック景気[1962年(昭和37年)11月から1964年(昭和39年)10月まで]」が発生した。

高度成長期に発生した農村部から都市部への人口移動により、就農人口の減少と農業所得の減少が問題となった。 政府は1961年(昭和36年)に農業基本法を制定し、機械化推進、経営規模の拡大、畜産・果樹・野菜などの分野への拡大により所得格差の是正を政策目標とした。(1)

呉市

創業以来、タンカー大型化の先頭を走っていたNBCであったが、造船不況の影響で1962年(昭和37年)7月21日に全施設と従業員を呉造船所に委譲して撤退した。 その呉造船所は、造船不況対策として陸上部門へ進出、1962年(昭和37年)3月15日に陸上機械専門工場として新宮工場を開設した。(2)

鉄道

1962年(昭和37年)5月3日、常磐線三河島駅構内で三重衝突事故が発生、死者160名、負傷者296名という惨事となった。(3)

山陽線の電化は、1962年(昭和37年)6月10日に三原−広島間が完成し、広島まで電気運転が開始された(4)

呉線―1962年(昭和37年)10月

表1 呉駅乗車人員:1956年(昭和31年)〜1962年(昭和37年)
乗車人員
(人/日)
呉市人口(人)
1956年(昭和31年) 15,632 209,987
1957年(昭和32年) 15,232 209,196
1958年(昭和33年) 15,437 209,086
1959年(昭和34年) 15,595 209,260
1960年(昭和35年) 16,591 210,032
1961年(昭和36年) 17,422 218,979
1962年(昭和37年) 17,529 223,452

表1に1956年(昭和31年)〜1962年(昭和37年)における呉駅乗車人員(5)および呉市人口(6)の推移を示す。 データは、呉市内7駅の合計である。 呉駅単独の乗車人員は不明だが、前後のデータから7,000〜8,000人台で推移したものと思われる。 また人口は緩やかだが増加している

増加の要員は、呉地区への企業進出によるものと考えられる。 1950年代に日亜製鋼(日新製鋼→日鉄日新製鋼→日本製鉄)、淀川製鋼所、東洋パルプ(王子製紙→王子マテリア)が操業を開始。(7)。 続いて三豊製作所(現・ミツトヨ)、日立製作所(バブコック日立→三菱日立パワーシステムズ→三菱パワー→三菱重工業)が操業を開始した。(8) これらが乗車人員および人口の増加につながったと考えられる。

運行

呉線においては、山陽線の広島電化時の1962年(昭和37年)6月10日に、急行「宮島」と準急「にしき」の運転経路変更等が実施された。 「宮島」は山陽本線経由に変更の上、東京−広島間の電車急行となった。 また「にしき」は経路変更により呉線経由となった。 詳細は次項参照。

図1に1962年(昭和37年)10月改正の呉線時刻表を示す(9)。 呉―広島間には優等列車上下5本を含め上り28、下り26本が設定されている。 このうち上り18本、下り17本が気動車列車で、長距離優等列車と、朝夕の通勤列車を除いて気動車化されている。

呉線時刻表:1962年(昭和37年)10月
呉線時刻表:1962年(昭和37年)10月
図1 呉線時刻表 1962年(昭和37年)10月

主要な列車

急行「安芸」

急行安芸編成表
図2 急行「安芸」編成表

急行「安芸」は、この時刻改正で寝台列車化された(10)。 これは、急行「宮島」が運転区間を山陽線経由の広島−東京間とし、昼行1往復、夜行1往復が設定されたことにより、東京ー広島間の輸送力に余裕ができたためと考えられる。 図2に急行「安芸」の編成表を示す(11)

急行「音戸」

急行「音戸」編成表
図3 急行「音戸」編成表

急行「音戸」は1962年(昭和37年)10月1日の時刻改正時に、運転区間を大阪−下関とした。 図3に急行「音戸」の編成表を示す(12)。 8両編成から10両編成に強化されており、そのうち4両は広島回転車となっている。

準急「吉備」「にしき」

吉備/にしき運用表
図4 吉備/にしき運用表

「にしき」は「吉備」の岩国機関区への出入庫を兼ねて、1960年(昭和35年)6月1日に設定された気動車準急である。 当初は二等車のみの3両編成で、キハ55系などが使用された。(13) 1962年(昭和37年)4月1日には、1両が増結され4両編成となった(14)。 図4に吉備/にしきの運用表を示す。

仁堀航路

仁堀航路時刻表:1962年(昭和37年)10月
図5 仁堀航路時刻表 1962年(昭和37年)10月

図5に1962年(昭和37年)10月改正の仁堀航路時刻表を示す(15)。 37年度の旅客人数は年間合計53,726人、1日平均利用人員は、147人であった(16)

参考資料

  1. 浜野潔・井奥成彦・中村宗悦・岸田真・永江雅和・牛島利明.日本経済史1600−2000:歴史に読む現代.東京, 慶応義塾大学出版会,2009,p276-277.(ISBN978-4-7664-1573-5)
  2. 呉市史編纂委員会編.呉の歴史:呉市制100周年記念版.呉,呉市,2002,p346-347
  3. 大久保邦彦・三宅俊彦・曽田英夫編.鉄道運輸年表〈最新版〉.東京,JTB,1998,p107-108,旅.1999年1月号別冊付録 第73巻第1号 通巻864号
  4. 前掲.鉄道運輸年表〈最新版〉.p108
  5. 呉市役所文書広報課統計係編.呉市勢要覧 昭和37年版.呉,呉市役所,1962,p35
  6. 呉市役所企画部企画課.平成18年呉市統計書/人口 世帯・人口の推移 .https://www.city.kure.lg.jp/uploaded/attachment/11121.xls
  7. 前掲.呉の歴史:呉市制100周年記念版.p328-329
  8. 前掲.呉の歴史:呉市制100周年記念版,p448
  9. 時刻表 昭和37年11月号(第38巻第11号 通巻第441号).東京,日本交通公社,1962.第38巻11号 通巻第441号.p154-156
  10. 三宅俊彦.特殊仕様車輌「寝台車」.東京,講談社,2012年,p154.(ISBN978-4-06-270311-6)
  11. 前掲.時刻表 昭和37年11月号.p499
  12. 前掲.時刻表 昭和37年11月号.p500
  13. 岡田誠一.国鉄準急列車物語.東京,JTBパブリッシング,2012.p126.(ISBN978-4-533-08851-3)
  14. 日本鉄道運転協会広島支部編.広鉄運転80年のあゆみ.広島,日本鉄道運転協会広島支部,1973,p180
  15. 前掲.時刻表 昭和37年11月号.p79
  16. 愛媛県史編さん委員会 編.愛媛県史 社会経済 3 (商工).松山,愛媛県,1986,p749