東京オリンピックが1964年(昭和39年)10月10日〜24日に開催された。 、アジアで初めてのオリンピックであり、93の国と地域から5,152名(男子4,474名、女子678名)名の選手が参加し、15日間の会期中に20競技・163種目が行われた。 日本代表選手団は355名(男子294名・女子61名)で、金メダル16、銀メダル5、銅メダル8を獲得した。(1)
企業進出にともない、工業用地の不足が問題となったため、広地区の旧海軍呉航空隊施設および広燃料置場(通称・虹村地区)の工業用地への転用を計画した。 この計画は、1964年(昭和39年)3月27日の第四三回旧軍港市国有財産処理審議会に申請され、認可をうけた。(2)
呉線においては、急行「出島」の呉延長、新幹線開業にともなう急行「音戸」の新大阪延長等が実施された。
図1に1964年(昭和39年)10月改正の呉線時刻表を示す(6)。 呉―広島間には優等列車上下6本を含め上下29本が設定されている。 このうち上下17本が気動車列車で、1962年(昭和37年)10月の改正時と、ほとんど変化はない。
優等列車6本のうち「出島」は経路変更により呉線経由となったものである。 詳細は次項参照。
図1 呉線時刻表 1964年(昭和39年)10月
図2 急行「音戸」編成表
急行「音戸」は1962年(昭和37年)10月1日の時刻改正時に、運転区間を大阪−下関とした。 新幹線が開業した1964年(昭和39年)10月1日には、新幹線との接続を考慮し、運転区間を新大阪−下関間とした。 図2に急行「音戸」の編成表を示す(7)。
図3 急行「出島」編成表
急行「出島」は1963年(昭和38年)6月1日に広島−長崎間に設定(広島−小倉間は、別府行き「べっぷ」と併結)され、1964年(昭和39年)10月1日に分離の上、呉始発となったものである(8)。 図3に急行「出島」の編成表を示す(7)。
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