第一次石油危機後の不況から先進国でも早い段階で脱却したが、企業の設備投資意欲が復活することはなかった。 この後、1975年(昭和50年)3月頃から、安定成長期と呼ばれる時代が1977年(昭和52年)1月頃まで続いた。(1)
1974年(昭和49年)田中角栄首相の政治資金を巡って、ロッキード社製航空機の導入にからむ贈収賄疑惑が発覚し、内閣は総辞職した。 この後、三木武夫内閣、福田赳夫内閣から大平正芳内閣へと政権がめまぐるしく変わり、政治が混乱した。(2)
第一次石油危機とその後の円高は、輸出依存のエネルギー多消費型の重化学工業が産業に占める割合の大きい呉市に打撃を与え、その後も長年にわたる経済の停滞に苦しめられることとなった(3)。 このような経済状況の下、1978年(昭和53年)11月20日に呉市は特定不況地域に指定された。(4)
1978年(昭和53年)10月2日のダイヤ改正(ゴー・サン・トオ)で寝台特急「安芸」が廃止された。 図1に1978年(昭和53年)10月改正の呉線時刻表を示す(5)。 呉―広島間には快速上下7本を含む上り29本、下り30本が設定されている。
特急「安芸」の廃止により、1935年(昭和10年)の呉線全通から戦中戦後の一時期を除き運行されていた呉線優等列車は、その歴史を閉じた。
呉−広島間の快速列車は、上下3本から上下7本に増発され、三原−呉間の快速も上下3本から上下4本が増発された。 しかしながら、三原−呉間では快速停車駅に安芸幸崎と安芸阿賀が追加されたため、同区間では通過駅はわずか5駅となり、快速列車としての価値は低下した。
図1 呉線時刻表 1978年(昭和53年)10月
図2に1978年(昭和53年)10月改正の仁堀航路時刻表を示す(6)。 53年度の旅客人数は年間合計65,193人、1日平均利用人員は、181人であった。 また、自動車航送台数は年間合計9,088台、1日あたり25台であった。(7)。
図2 仁堀航路時刻表 1978年(昭和53年)10月
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