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中央三丁目の極東ビルは、戦災を免れた建物である。 元丸中金ペンの工場で、かつてはビルの壁面に「工業立国」の文字が書かれていた。(1)
敗戦直後には、イギリス連邦軍に接収され中国民事部が置かれていた。 民事部の任務は、地方自治体がGHQの命令による日本政府の示達をいかに実施しているかを監視する機関であった。(2)
現在、この建物は取り壊され、現存していない。
文化ホールの裏側に、呉市役所旧庁舎跡地の碑が建立されている。 1911年(明治44年)2月から1962年(昭和37年)4月まで、呉市役所はこの地にあった。
戦前の絵葉書に見る呉市役所の旧庁舎は、屋上に望楼?を設置した、2階建ての建物である。
この市庁舎の建設当時、呉市の人口は10万人を超え、日本で10番目の大都市となっていたから、それにふさわしい建物であったといえる。
周辺に当時の面影は、全く残っていない。
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