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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

江原町の市営墓地に、第一次大戦で戦死した日系カナダ義勇兵・松井豊次郎の墓がある。

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墓碑写真

墓石が新しく見えるので、近年に再建あるいは建立されたものかもしれない。

松井豊次郎の墓

松井豊次郎の墓

素性

現在までに判明した松井豊次郎に関する情報を以下に示す。

Attestation paper(1916年8月4日付)(1)より

  • 出生地:広島県
  • 近親者:Keitaro Matsui
  • 近親者との関係:兄弟
  • 近親者の住所:広島県呉市明神町一番地(現・東中央一丁目)
  • 出生年:1878年6月10日
  • 職業:船員?(seaman)
  • 配偶者:無し
  • 従軍歴:無し

カナダのウェブサイトでは、"Togojiro"の名前で登録されている。 これは、Attestation paperのサイン(Signature of Recruit)が"Togojiro"に見えることが原因かもしれない。

軍歴他

CEF Soldier Detail(2)より

  • 死亡理由:戦死、理由不明
  • 死亡日:1917年4月28日
  • 埋葬地:Vimy Memorial
  • 階級:Private
  • 所属:10th Battalion

所属が第10大隊となっているが、出征時は、第192大隊所属(3)のようである。 第192大隊は1916年11月にイギリスに向け出航後、11月11日付で第9予備大隊に吸収されている(4)。 この後に、第10大隊に補充されたのかもしれない。 豊次郎の戦死日である1917年4月28日に、第10大隊はArleuxの戦闘で甚大な損害を出している(5)。 Arleuxはアルルーに近い発音らしい(南フランスのアルル[Arles]とは関係がない)。

所属と戦死日の記録が正しいとすれば、松井豊次郎はこのときの戦闘で戦死した可能性が高い。 この戦闘は、1917年4月9日から5月16日まで実施された英連邦軍の攻勢作戦「アラスの戦い」の一部である。 豊次郎の墓碑に「アラスカー大激戦」とあるのは、この戦闘を示すものだと思われる。

尚、バンクーバーのスタンレー公園には、1920年(大正9年)4月9日に建立された日本義勇兵記念碑があり、54名の戦死者の中に"Toyojiro Matsui"の名前も刻まれている(6)

松井豊次郎に関しては不明点も多いが、呉に縁のある日系カナダ移民が、義勇兵としてフランスに渡り、その地で戦死した事は間違いないだろう。

参考資料

  1. Soldiers of the First World War - CEF - Library and Archives Canada.http://www.collectionscanada.gc.ca/databases/cef/001042-119.01-e.php?&id_nbr=199143.2012年2月7日参照
  2. Private Togojiro Matsui.http://www.canadiangreatwarproject.com/searches/soldierDetail.asp?ID=50714.2012年2月7日参照
  3. 工藤美代子.黄色い兵士達 −第一次大戦日系カナダ義勇兵の記録.東京,恒文社,1983,p215
  4. 192nd (Crow's Nest Pass) Battalion, CEF.http://en.wikipedia.org/wiki/192nd_(Crow%27s_Nest_Pass)_Battalion,_CEF.2012年2月7日参照
  5. 10th Battalion, CEF.http://en.wikipedia.org/wiki/10th_Battalion,_CEF.2012年2月7日参照
  6. National Nikkei Museum and Heritage Centre Newsletter ISSN#1203-9017 Autumn 2005, Vol. 10, No. 3.http://www.jcnm.ca/wp-content/uploads/2010/09/v10no3_autumn2005.pdf.2012年2月7日参照

謝辞

本ページの作成にあたっては、守山真理摸様から貴重な情報を提供していただきました。 ご協力に感謝致します。