本文へ

三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

機雷潜型について(1)

第一次世界大戦で戦勝国となった日本は、戦利艦として7隻のUボートを得た。 1919年大正8年)6月、横須賀に到着したUボートは、〇一潜水艦(旧U125)、〇二潜水艦(旧U46)、 〇三潜水艦(旧U55)、〇四潜水艦(旧UC90)、〇五潜水艦(旧UC99)、 〇六潜水艦(旧UB125)、 〇七潜水艦(旧UB143)の仮称が与えられ、潜水艦の実験等に利用された。 この中で最も注目を浴びたのは、日本海軍が保有しない新型の機雷敷設装置と、10,000浬を超える航続力および優れた航洋性備えた、大型機雷敷設潜水艦の〇一潜水艦(旧U125)であった。

本型は、U125をほぼコピーした潜水艦で、原型との相違点は備砲と魚雷発射管を日本式に改めたことと、南洋での行動を考慮して冷却機を装備するため船体を若干延長した程度である。 艦尾に2本の機雷敷設筒を装備し、機雷庫には八八式機雷42個を搭載した。

参考資料

  1. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 19巻:伊号 機雷潜・巡潜・海大型・甲型・乙型・丙型.東京,光人社,1997,p14