本文へ

三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

伊号第三十二潜水艦について

伊号第三十二潜水艦は巡潜乙型(伊十五型)潜水艦の12番艦である。

要目(1)(2)

新造時
艦種一等潜水艦
艦型乙型(伊十五型)
建造所佐世保工廠
水上排水量 ※12,198トン(基準)/2,584トン(常備)
水中排水量 ※13,654トン
垂線間長102.40m
全長108.70m
最大幅9.30m
喫水5.14m
主機艦本式2号10型ディーゼル2基、2軸
主電動機特5型2基
蓄電池2号5型×240
出力12,400馬力(水上)/2,000馬力(水中)
速力23.6ノット(水上)/8ノット(水中)
燃料重油:774トン
航続力16ノットで14,000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
乗員94名
兵装40口径十一年式14cm単装砲1基
九六式25mm連装機銃1基
九五式53cm魚雷発射管6門(艦首)
九五式魚雷17本
射出機呉式一号四型1基
航空機水上偵察機1機
安全潜航深度100m
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

艦歴(3)(4)

年月日履歴
1940年(昭和15年)1月20日第百四十五号艦として、佐世保海軍工廠において起工。 
1940年(昭和15年)9月1日伊号第三十九潜水艦と命名。 
1940年(昭和15年)12月17日進水。 本籍を呉鎮守府と定める。 
1941年(昭和16年)11月1日伊号第三十二潜水艦と改名。
1942年(昭和17年)4月26日竣工。 第一潜水戦隊(第六艦隊)に編入。 戦時編制。 先遣部隊(第六艦隊)第一潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、内海西部において就役訓練に従事。 艦は佐世保発、内海西部に回航。 
1942年(昭和17年)4月28日呉に到着、待機。 
1942年(昭和17年)5月30日第一潜水戦隊から除かれる。 第十五潜水隊(第一潜水戦隊・第六艦隊)に編入。 
1942年(昭和17年)6月1日司令潜水艦に当艦が指定される。 
1942年(昭和17年)6月10日司令潜水艦を当艦から伊号第三十三潜水艦に変更。 
1942年(昭和17年)6月15日呉発、クェゼリンに向かう。 
1942年(昭和17年)6月23日クェゼリンに進出、補給待機。 
1942年(昭和17年)6月29日先遣部隊(第六艦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、SN作戦に協力、ニューへブリデス諸島およびニューカレドニア島方面の敵海上交通破壊を下令される。 
1942年(昭和17年)6月30日クェゼリン発、ニューへブリデス諸島方面に向かう。 
1942年(昭和17年)7月9日ニューへブリデス諸島ビラを偵察、ヌーメアに向かう。 
1942年(昭和17年)7月13日ヌーメア沖に進出、偵察、監視。 
1942年(昭和17年)7月15日メーメア沖を撤収、オーストラリア南方に向かう。 
1942年(昭和17年)7月25日オーストラリア南岸方面に進出、索敵。 
1942年(昭和17年)8月オーストラリア南岸方面から、ペナンに向かう。 
1942年(昭和17年)8月28日ペナンに到着、補給待機。 先遣部隊(第六艦隊)第一潜水部隊(第一潜水戦隊)に復帰、ソロモン諸島方面に進出を下令される。 
1942年(昭和17年)9月6日ペナン発、トラックに向かう。 
1942年(昭和17年)9月15日第一潜水部隊は、先遣部隊第二監視部隊(第一潜水戦隊)に編入、ガダルカナル島に対する敵増援の遮断を下令される。 
1942年(昭和17年)9月18日トラックに進出、補給休養。 
1942年(昭和17年)9月30日トラック発、ガダルカナル島南東方に向かう。 伊号第二十二潜水艦と、L1散開線に配備を下令される。 
1942年(昭和17年)10月3日先遣部隊第一監視部隊(第三潜水戦隊)第三潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、ガダルカナル島に対する敵増援阻止を下令される。 艦は漏油のため、トラックに向かい引き返した。 
1942年(昭和17年)10月6日トラックに帰着、応急修理。 
1942年(昭和17年)10月7日先遣部隊指揮官の直率下に入り、内地に帰投、整備を下令される。 トラック発、呉に向かう。 
1942年(昭和17年)10月13日呉に帰着、整備休養。 
1942年(昭和17年)11月15日呉発、内海西部において、輸送任務の訓練。 
1942年(昭和17年)11月20日呉に入港、待機。 
1942年(昭和17年)11月24日呉発、内海西部において、輸送任務の訓練。 
1942年(昭和17年)11月27日呉に入港、出撃準備。 
1942年(昭和17年)12月4日呉発、トラックに向かう。 
1942年(昭和17年)12月11日トラックに進出、補給待機。 
1942年(昭和17年)12月14日先遣部隊乙潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、東部ニューギニアに対する作戦補給輸送を下令される。 艦はトラック発、ラバウルに向かう。 
1942年(昭和17年)12月17日ラバウルに到着、輸送準備。 
1942年(昭和17年)12月19日ラバウル発、ニューギニア東岸ブナに向かう。 作戦輸送。 
1942年(昭和17年)12月24日ランバレー河口着、糧食弾薬22トンを揚陸、ラバウルに向かう。
1942年(昭和17年)12月26日ラバウルに帰着、待機、輸送準備。 
1943年(昭和18年)1月7日司令潜水艦を伊号第三十一潜水艦から当艦に変更。 
1943年(昭和18年)1月9日ランバレー河口着、輸送物件を揚陸、帰還便乗者43名を収容してラバウルに向かう。 
1943年(昭和18年)1月11日ラバウルに帰着、待機、輸送準備。 
1943年(昭和18年)1月12日ラバウル発、ブナに向かう。 作戦輸送。 
1943年(昭和18年)1月14日ランバレー河口着、糧食弾薬22トンを揚陸、トラックに向かう。 
1943年(昭和18年)1月18日トラックに帰着、補給休養。 先遣部隊甲潜水部隊(第三潜水戦隊)に編入、ケ号作戦に策応して、ガダルカナル島南東海面において、敵増援を阻止し、28日黎明時までに甲散開線に配備、友軍航空部隊と協同、敵艦船の捕捉撃滅を下令される。 
1943年(昭和18年)1月24日トラック発、ガダルカナル島南東海面に向かう。 
1943年(昭和18年)1月29日ガダルカナル島南東の甲散開線につき、索敵。 
1943年(昭和18年)2月7日ケ号作戦の終了に伴い、艦は甲潜水部隊と、18:00発動、150度方向に索敵し、9日18:00、甲潜水部隊から除かれ、針路零度で索敵に当たりながらトラックに帰投を下令される。 
1943年(昭和18年)2月9日部隊と解列、トラックに向かう。 先遣部隊乙潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、トラックに帰投、整備を下令される。 
1943年(昭和18年)2月11日敵空母1隻の来航を発見。 
1943年(昭和18年)2月22日トラックに帰着、整備休養。 
1943年(昭和18年)3月14日先遣部隊乙潜水部隊(第一潜水戦隊)に編入、ハワイ方面からソロモン方面に対する敵増援遮断のため、フィジー、サモア方面の作戦を下令される。 
1943年(昭和18年)3月25日トラック発、フィジー諸島に向かう。 
1943年(昭和18年)4月12日第一潜水戦隊(伊号第二十五、十九、三十二、十七潜水艦)は、速やかに甲1散開線(リトイ00〜トレイ000)につくよう下令される。 
1943年(昭和18年)4月16日い号作戦終了により、甲1散開線の配備は解かれたと推定。 
1943年(昭和18年)6月1日トラックに帰着、補給待機。 内地に帰投、整備を下令される。 
1943年(昭和18年)6月3日トラック発、呉に向かう。 
1943年(昭和18年)6月10日呉に帰着、整備休養。 
1943年(昭和18年)6月13日先遣部隊第一潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、内地において修理整備を下令される。 
1943年(昭和18年)7月30日呉発、運貨筒を曳航して、ラバウルに向かう。 
1943年(昭和18年)8月9日ラバウルに到着、補給待機。 先遣部隊(第六艦隊)から除かれる。 南東方面部隊(南東方面艦隊)潜水部隊(第七潜水戦隊)に編入、作戦輸送等を下令される。 
1943年(昭和18年)8月11日司令潜水艦を伊号第三十五潜水艦から当艦に変更。 
1943年(昭和18年)9月5日ラバウル発、ニューギニア東岸ラエに向かう。 作戦輸送。 
1943年(昭和18年)9月7日ラエ沖着、運貨筒を揚陸ののち、ラバウルに向かう。 
1943年(昭和18年)9月9日ラバウルに帰着、待機。 
1943年(昭和18年)9月14日南東方面部隊から除かれる。 先遣部隊第一潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、ニューカレドニア方面において、敵増援部隊の攻撃を下令される。 
1943年(昭和18年)9月25日射出機故障のため、ヌーメアの飛行偵察を取り止め、同沖からオーストラリア東岸に向かう。 
1943年(昭和18年)10月7日敵船団5隻を雷撃したが、効果がなかった。 
1943年(昭和18年)10月19日乙潜水部隊(第十二潜水隊司令指揮)に編入、真珠湾の200度300浬において、伊号第三十六潜水艦が発見した大型輸送船6隻を、ハワイ−フィジー間において邀撃を下令される。 
1943年(昭和18年)10月20日乙潜水部隊とカントン島の230度300浬付近のA散開線に向かい待敵、警戒を下令される。 艦は引き続きA散開線に向かう。 
1943年(昭和18年)10月26日敵大型輸送船6隻は所在が掴めず、乙潜水部隊は編成を解かれる。 艦はサモア方面の偵察に向かう。 
1943年(昭和18年)11月3日6日パゴパゴを偵察ののち、フナフチを3日間偵察するよう下令される。 なお、撤収時にフナフチの砲撃を下令される。 
1943年(昭和18年)11月7日パゴパゴを偵察中、米哨戒機のレーダー爆撃で、至近弾を受け、避退。 
1943年(昭和18年)11月12日先の爆撃により、重油庫から漏油を生じ、航行不具合となり、フナフチ島に向かうことなく、トラックに向かい帰航。 
1943年(昭和18年)11月18日トラックに帰着、修理、整備休養。 
1943年(昭和18年)11月19日丙作戦第三法警戒を下令。 アメリカ機動部隊がギルバート諸島に来襲。 
1943年(昭和18年)11月20日丙作戦第三法用意を下令。 
1943年(昭和18年)11月21日アメリカ軍はマキン、タラワ両島に上陸。 丙作戦第三法発動を下令。 
1943年(昭和18年)11月22日補給任務のため、クェゼリンに進出を下令される。 艦はトラック発、クェゼリンに向かう。 
1943年(昭和18年)11月27日クェゼリンに到着、伊号第百六十九潜水艦と伊号第百七十五潜水艦に補給。 
1943年(昭和18年)12月4日トラックに帰投を下令される。 
1943年(昭和18年)12月5日クェゼリンにおいて重油を移載中、アメリカ機動部隊の爆撃を受け、沈座回避に当たったが、至近弾17発を受け、若干の損傷を受けたため、応急修理ののち、同日発、トラックに向かう。 
1943年(昭和18年)12月8日トラックに帰着、補給待機。 
1943年(昭和18年)12月14日トラック発、呉に向かう。 
1943年(昭和18年)12月20日先遣部隊(第六艦隊)第十一潜水部隊(第十一潜水戦隊)に編入、内地において、修理整備に従事。 呉に帰着、入渠修理、休養。 
1944年(昭和19年)1月15日第一潜水戦隊(第六艦隊)は解隊。 第十五潜水隊は第六艦隊に編入。 
1944年(昭和19年)2月25日呉発、内海西部において待機。 
1944年(昭和19年)2月28日内海西部発、トラックに向かう。 
1944年(昭和19年)3月1日先遣部隊第十一潜水部隊から除かれる。 同第一潜水部隊(第六艦隊司令長官指揮)に編入、中部太平洋方面に進出を下令される。 
1944年(昭和19年)3月5日トラックに進出、補給待機。 
1944年(昭和19年)3月14日マーシャル諸島ウォッゼに作戦輸送ののち、メジュロ泊地への交通線の攻撃を下令される。 
1944年(昭和19年)3月15日トラック発、作戦輸送のためウォッゼに向かったが、メジュロ−ヤルート間において敵大部隊が発見されたため、トラック南東方の北緯3度、東経160度に配備を下令される。 
1944年(昭和19年)3月17日配備点において小型機を認めた。 艦は、配備を240度100浬移動するよう下令される。 
1944年(昭和19年)3月18日配備を270度80浬移動するよう下令される。 
1944年(昭和19年)3月19日配備点において、機種不明の敵機を認めた。 索敵しつつ、マーシャル方面に向かうよう下令される。 
1944年(昭和19年)3月22日ウォッゼ輸送後、マーシャル方東方に配備を下令される。 
1944年(昭和19年)3月23日ウォッゼに向かう途中、1800、ヤルート北方60浬において、空母を含む敵大部隊を発見と報告、以後、消息を絶つ。 報告に対して、予定の輸送を下令された。 
1944年(昭和19年)3月24日マーシャル諸島方面で亡失認定。 ウォッゼ島付近(北緯8度30分、東経170度10分)でアメリカ護衛駆逐艦マンラヴ(Manlove)、駆潜艇PC-1135の砲撃と爆雷攻撃により沈没。
1944年(昭和19年)6月10日除籍。

参考資料

  1. 日本潜水艦史.東京,海人社,1993,p65,世界の艦船.No469 1993/3増刊号 増刊第37集
  2. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p53
  3. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 19巻:伊号 機雷潜・巡潜・海大型・甲型・乙型・丙型.東京,光人社,1997,p134
  4. 渡辺博史.鉄の棺 日本海軍潜水艦部隊の記録 資料編3下.名古屋,ニュータイプ,2005,p656-662