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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

伊号第三十四潜水艦について

伊号第三十四潜水艦は巡潜乙型(伊十五型)潜水艦の14番艦である。

要目(1)(2)

新造時
艦種一等潜水艦
艦型乙型(伊十五型)
建造所佐世保工廠
水上排水量 ※12,198トン(基準)/2,584トン(常備)
水中排水量 ※13,654トン
垂線間長102.40m
全長108.70m
最大幅9.30m
喫水5.14m
主機艦本式2号10型ディーゼル2基、2軸
主電動機特5型2基
蓄電池2号5型×240
出力12,400馬力(水上)/2,000馬力(水中)
速力23.6ノット(水上)/8ノット(水中)
燃料重油:774トン
航続力16ノットで14,000浬(水上)/3ノットで96浬(水中)
乗員94名
兵装40口径十一年式14cm単装砲1基
九六式25mm連装機銃1基
九五式53cm魚雷発射管6門(艦首)
九五式魚雷17本
射出機呉式一号四型1基
航空機水上偵察機1機
安全潜航深度100m
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)

艦歴(3)(4)

zz
年月日履歴
1941年(昭和16年)1月9日第百四十七号艦として、佐世保海軍工廠において起工。 
1941年(昭和16年)8月5日伊号第四十三潜水艦と命名。 
1941年(昭和16年)9月24日進水。 本籍を呉鎮守府と定める。 
1941年(昭和16年)11月1日伊号第三十四潜水艦と改名。
1942年(昭和17年)8月31日竣工。 警備潜水艦と定める。 呉鎮守府部隊に編入。 呉鎮守府部隊直率部隊(呉鎮守府司令長官指揮)に編入、内海西部において就役訓練に従事。 佐世保発、呉に向かう。 
1942年(昭和17年)9月1日呉潜水戦隊(呉鎮守府部隊)に編入。 呉鎮守府部隊(呉鎮守府司令長官)潜水部隊(呉潜水戦隊)に編入、内海西部において就役訓練に従事。 
1942年(昭和17年)9月2日呉に入港。 以後、内海西部において訓練。 
1942年(昭和17年)11月15日呉潜水戦隊から除かれ、第五艦隊に編入。 戦時編制。 呉鎮守府部隊から除かれ、北方部隊潜水部隊(第五艦隊司令長官指揮)に編入。 アリューシャン列島方面の作戦を下令される。
1942年(昭和17年)11月28日呉発、大湊に向かう。 
1942年(昭和17年)12月1日大湊に到着、補給待機。 
1942年(昭和17年)12月2日大湊発、キスカ島に向かう。 
1942年(昭和17年)12月10日キスカ島着、同日発、アダック島に向かう。
1942年(昭和17年)12月13日アダック島沖に進出、以後、アトカ島北側との間を哨戒。
1942年(昭和17年)12月23日以後、アダック島および、アトカ島南側との間を哨戒。
1942年(昭和17年)12月26日アダック島沖を撤収、幌筵に向かう。
1943年(昭和18年)1月2日幌筵に帰着、補給休養。 
1943年(昭和18年)1月6日幌筵発、陸軍省軍務局課員岩越紳六中佐を収容、キスカ島に向かう
1943年(昭和18年)1月9日キスカ島着、岩越中佐を揚陸、待機。 
1943年(昭和18年)1月10日岩越中佐を収容して、キスカ島発、アッツ島に向かう。 
1943年(昭和18年)1月11日アッツ島着、岩越中佐が視察中、待機。 同日発、幌筵に向かう。
1943年(昭和18年)1月15日幌筵に帰着、岩越中佐を揚陸、補給待機。
1943年(昭和18年)1月20日幌筵発、キスカ島に向かう
1943年(昭和18年)1月24.日アムチトカ島方面の敵艦船攻撃を下令される。 
1943年(昭和18年)1月25日キスカ島着、輸送人員を揚陸、同日発、アムチトカ島コンスタンチン港外に向かう。 
1943年(昭和18年)1月26日コンスタンチン港外に進出、索敵哨戒。 
1943年(昭和18年)1月27日アダック島北方海面に向かい、索敵。 
1943年(昭和18年)1月29日アダック島北方からアムチトカ島北方の索敵に当たる。 
1943年(昭和18年)2月1日北方部隊潜水部隊の指揮官は、第十二潜水隊司令となる。 
1943年(昭和18年)2月12日以後、アダック島および、アトカ島南側との間を哨戒。 
1943年(昭和18年)2月22日アムチトカ島飛行場の偵察に当たる。 
1943年(昭和18年)2月23日北方部隊潜水部隊の指揮官は、第五艦隊司令長官となる。 配備点において、敵駆逐艦を発見。 
1943年(昭和18年)2月24日配備点において、敵駆逐艦を発見。 
1943年(昭和18年)2月25日撤収して、横須賀に向かう。 
1943年(昭和18年)2月28日緊急任務のため、幌筵に帰投を下令される。 
1943年(昭和18年)3月2日幌筵に帰着、補給待機。 
1943年(昭和18年)3月4日幌筵発、セミチ島北方に向かう。 
1943年(昭和18年)3月9日セミチ島北10浬の第一散開線に到着、索敵哨戒。 
1943年(昭和18年)3月12日撤収して、横須賀に向かう。 
1943年(昭和18年)3月18日横須賀に帰着、入渠修理、休養。 
1943年(昭和18年)4月1日第五艦隊から除かれ、第十五潜水隊(第一潜水戦隊・第六艦隊)に編入。 
1943年(昭和18年)4月26日横須賀発、大湊に向かう。 
1943年(昭和18年)4月28日大湊着、補給、輸送準備。 
1943年(昭和18年)5月2日大湊発、キスカ島に向かう。 
1943年(昭和18年)5月12日アメリカ軍はアッツ島に上陸を開始。 先遣部隊は速やかに潜水艦を同島方面に集中、敵艦隊、輸送船の撃破を下令される。 キスカ島着、輸送物件を揚陸したのち、アッツ島に来襲の敵艦船を攻撃するため、同日発、アッツ島沖に向かう。 
1943年(昭和18年)5月14日零時、アガッツ島西30浬において、敵駆逐艦2隻から爆雷攻撃を受けたが、被害なく離脱。 
1943年(昭和18年)5月15日北方部隊潜水部隊指揮官は、第一潜水戦隊司令官となり、敵退路遮断および敵艦隊攻撃を下令される。 アッツ島方面に進出、索敵。 
1943年(昭和18年)5月26日アッツ島方面を撤収、幌筵に向かう。 
1941年(昭和16年)5月29日11:45、幌筵に帰着、補給、輸送準備。 
1943年(昭和18年)6月2日15:00、幌筵発、キスカ島に向かう。 
1943年(昭和18年)6月3日北方部隊潜水部隊は、ケ号作戦により、キスカ島守備隊の撤収輸送を下令される。 艦の収容人員は、約80名と指定。 
1943年(昭和18年)6月9日キスカ島着、兵器弾薬9トン、糧食5トンを揚陸。 撤収員80名(海軍9、軍属71)を収容、21:05同島発、幌筵に向かう。 
1943年(昭和18年)6月13日19:00、幌筵に帰着、撤収員を揚陸、補給、輸送準備。 
1943年(昭和18年)6月17日10:05、幌筵発、キスカ島に向かう。 キスカ島付近における喪失艦の続出により、特令あるまで、現位置において待機と下令される。 
1943年(昭和18年)6月18日艦は、24日キスカ島入港の予定で、行動と下令される。 
1943年(昭和18年)6月21日19:45、輸送を中止して、幌筵に帰投を下令される。 現待機位置から、幌筵に向かう。 
1943年(昭和18年)6月22日12:00、幌筵に帰着、輸送物件を卸し、待機。
1943年(昭和18年)6月23日北方部隊潜水部隊は、ケ号作戦の中止を下令される。 
1943年(昭和18年)6月24日北方部隊潜水部隊は、水上艦艇によるケ号作戦の支援を下令される。 
1943年(昭和18年)6月28日北方部隊(第五艦隊)潜水部隊(第一潜水戦隊)第二遊撃隊(伊号第三十六潜水艦長指揮)に編入、敵艦隊攻撃を下令される。 
1943年(昭和18年)7月2日幌筵発、キスカ島南方のC散開線に向かう。 
1943年(昭和18年)7月8日アムチトカ島コンスタンチン港南方において、米哨戒艦の爆雷攻撃を受けたが、被害なく、離脱してC散開線に向かう。 
1943年(昭和18年)7月10日C散開線に進出、索敵。 
1943年(昭和18年)7月16日C散開線から、北緯56度30分、東経178度30分に、配備の移動を下令される。 
1943年(昭和18年)7月18日北方部隊(第五艦隊)から除かれる。 先遣部隊(第六艦隊)に復帰、内地に帰投、次期作戦準備を下令される。 配備を撤収、幌筵に向かう。 
1943年(昭和18年)7月23日幌筵に帰着、補給待機。 
1943年(昭和18年)7月24日幌筵発、呉に向かう。 
1943年(昭和18年)7月29日呉に帰着、整備休養。 
1943年(昭和18年)7月31日呉発、神戸に回航、入渠修理。 
1943年(昭和18年)9月7日日独間の輸送連絡艦に指定、両国派遣人員の交替、機密兵器の交流、重要物資の交換の任務を下令される。 
1943年(昭和18年)9月15日第十五潜水隊(第一潜水戦隊)から除く。 第八潜水戦隊(第六艦隊)に編入。 先遣部隊から除かれる。 南西方面部隊(南西方面艦隊)潜水部隊(第八潜水戦隊)に編入、インド洋方面に進出を下令される。 
1943年(昭和18年)10月13日呉発、シンガポールに向かう。 
1943年(昭和18年)10月20日シンガポール着、錫、タングステン等の物資を搭載。 潜水艦長は艦の釣り合い調整のため、有馬正雄技術少佐に同乗を求めた。 
1943年(昭和18年)11月11日シンガポール発、ペナンに向かう。 
1943年(昭和18年)11月12日ペナン付近ムカ岬の218度1.8km、北緯05度17分東経100度05分において、7:30、イギリス潜水艦「トーラス(Taurus)」の雷撃を受け沈没。

参考資料

  1. 日本潜水艦史.東京,海人社,1993,p65,世界の艦船.No469 1993/3増刊号 増刊第37集
  2. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p53
  3. 雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 19巻:伊号 機雷潜・巡潜・海大型・甲型・乙型・丙型.東京,光人社,1997,p134
  4. 渡辺博史.鉄の棺 日本海軍潜水艦部隊の記録 資料編3下.名古屋,ニュータイプ,2005,p682-686