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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

1965年(昭和40年)11月11日建立。 合祀者468柱。(1)

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駆逐艦島風戦没者之碑

駆逐艦島風戦没者之碑

碑文

駆逐艦島風戦没者之碑

駆逐艦島風について

島風は昭和14年度の第四次海軍軍備充実計画で1隻だけ建造された。 日本海軍の艦隊型駆逐艦は、大正年間の峯風型で39ノット、昭和初期の吹雪型で38ノットの計画速力とされたが、友鶴事件による復原性能の改善、第四艦隊事件による船体強度の見直し等により、性能改善工事が実施されたため、速力は35ノット以下に低下していた。 また、同時期に計画されていた陽炎型、夕雲型においても計画速力は35ノットとされていた。 当時の列強海軍の状況は、計画中の主力艦の速力を30ノット前後に引き上げており、アメリカ海軍ではノースカロライナ型、サウスダコタ型が28ノット、アイオワ型が33ノット、イギリスのキング・ジョージV世型が28ノットとされていた。 また同時期の駆逐艦においてもアメリカが37ノット、イギリスが36ノットと日本駆逐艦より優速であった。

このような状況下で本艦に対する軍令部要求は、速力40ノット、航続力18ノットで6,000浬、12.7cm連装砲3基、61cm7連装発射管2基(予備魚雷なし)というものであった。 これに対し艦政本部では高速発揮のため機関の蒸気条件を400℃、3.9MPa(40kg/cm2)という高温高圧のものとし、出力75,000馬力とした。 この機関により過負荷全力公試では、40.90ノット(出力79,240馬力)を発揮した。 軍令部要求の7連装発射管は動力喪失時の人力操作が困難なため、5連装発射管とし、3基装備とした。 主砲の12.7cm連装砲は対空用に最大仰角を75度としたD型砲であったが、発射速度が遅く対空砲としたの性能は低かった。

島風は1943年(昭和18年)5月10日に竣工したが、その高速と強力な雷撃力を発揮する機会には恵まれなかった。 竣工直後に北方作戦に投入され。7月のキスカ撤退作戦に参加、その後南方に転じ、護衛任務に従事した。 1944年(昭和19年)に入ると、6月のマリアナ沖海戦、10月の比島沖海戦に参加後、第三次オルモック輸送作戦のため11月8日にマニラを発したが、11日にオルモック湾でアメリカ空母機の爆撃を受け沈没した。(2)(3)

艦名

艦名は気象。 島から吹いて来る風。また、島で吹く風。(4) 島風にしばだつ波のたちかへりうらみても猶たのまるゝかな(藤原惟規)

要目(2)(5)(6)(7)(8)

新造時1944年6月30日時点
艦種一等駆逐艦
建造所舞鶴海軍工廠
基準排水量 ※12,567トン
公試排水量 ※23,048トン
垂線間長120.50m
水線長126.00m
全長129.50m
水線最大幅11.20m
喫水4.14m
主缶ロ号艦本式水管缶(重油専焼)3基
主機艦本式オール・ギヤード・タービン2基
推進器軸2軸
出力75,000馬力
速力39.0ノット
燃料重油:635トン
航続力18ノットで6,000浬
兵装50口径三年式12.7cm;連装砲D型3基
九六式25mm連装機銃2基
九三式13mm連装機銃1基
61cmp零式五型5連装発射管3基
九三式魚雷15本
50口径三年式12.7cm;連装砲D型3基
九六式25mm3連装機銃4基
同連装機銃2基
同単装機銃7基
九三式13mm連装機銃1基
61cmp零式五型5連装発射管3基
九三式魚雷15本
乗員267名
その他

※1:英トン(1.016メートルトン)、※2:メートルトン

艦歴(3)

年月日履歴
1941年(昭和16年)8月8日舞鶴海軍工廠において起工。
1942年(昭和17年)7月18日進水。
1943年(昭和18年)5月10日竣工。  呉鎮守府籍に編入。 第十一水雷戦隊に編入。
1943年(昭和18年)5月28日横浜発。 千島方面への輸送作戦に従事。
1943年(昭和18年)7月1日第二水雷戦隊に編入。 呉発。 キスカ撤退作戦に参加。
1943年(昭和18年)9月15日横須賀発。 摩耶を護衛してトラックへ。
1943年(昭和18年)9月21日トラック発。 ラバウル、サイパン方面で護衛に従事。
1944年(昭和19年)6月11日タウイタウイ発。 マリアナ沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)7月1日呉発。 マニラを経てリンガ泊地着。
1944年(昭和19年)10月18日リンガ泊地発。 比島沖海戦に参加。
1944年(昭和19年)11月8日第三次オルモック輸送作戦のため、マニラ発。
1944年(昭和19年)11月11日オルモック湾で、アメリカ空母機の爆撃を受け沈没。
1945年(昭和20年)1月10日除籍。

参考資料

  1. 梶本光義(編集責任者).呉海軍墓地誌海ゆかば:合祀碑と英霊.呉海軍墓地顕彰保存会,2005,p34
  2. ab雑誌「丸」編集部編.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 17巻 駆逐艦初春型 白露型 朝潮型 陽炎型 夕雲型 島風.東京,光人社,1997,p122-124
  3. ab前掲.日本海軍艦艇写真集:ハンディ判 17巻 駆逐艦初春型 白露型 朝潮型 陽炎型 夕雲型 島風.p137
  4. 広辞苑 第四版 電子ブック版
  5. 福井静夫.(写真)日本海軍全艦艇史資料篇.東京,ベストセラーズ,1994,p51
  6. 日本駆逐艦史.東京,海人社,1992,p66,世界の艦船.No453 1991/7増刊号 増刊第34集
  7. 山本義秀,吉原幹也.日本海軍艦載兵器大図鑑.東京,ベストセラーズ,2002,179p
  8. 福井静夫.日本駆逐艦物語.東京,光人社,1993,軍艦七十五年回想記,第5巻,p281