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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

第六三四海軍航空隊隊歴(1)(2)

日時隊歴
1944年(昭和19年)5月1日呉鎮守府所管の特設航空隊として、呉水上基地において編成。第三艦隊第四航空戦隊に編入。 飛行機定数は艦上爆撃機11機、水上偵察機11機。 航空戦艦の伊勢および日向に搭載を予定したもので、艦上爆撃機は彗星、水上偵察機は瑞雲を予定した。
1944年(昭和19年)5月18日隊本部を呉航空基地内に置き、隊員の編成と機材の受け入れを開始。 瑞雲隊は呉基地で、彗星隊は岩国基地で訓練することとなる。
1944年(昭和19年)5月22日搭載区分を以下とする、 伊勢:瑞雲14機 彗星8機
日向:彗星14機 瑞雲8機
(後日再検討の上、伊勢:瑞雲24機、日向:彗星24機に決定)
1944年(昭和19年)6月15日サイパンに敵上陸、応急出動準備(彗星5機、九九艦爆9機、瑞雲15機)
1944年(昭和19年)6月23日第四航空戦隊は、伊勢、日向の両艦に、彗星4機、瑞雲6機を搭載、初めての射出訓練を実施する。
1944年(昭和19年)6月30日実働機数は、彗星6機、九九式艦上爆撃機9機、瑞雲16機で、供給が遅れていた。
1944年(昭和19年)7月5日東号作戦のため、瑞雲隊は横須賀基地、彗星隊は香取基地に進出。
1944年(昭和19年)7月8日全機、呉に帰投。
1944年(昭和19年)7月10日飛行機定数が、艦上爆撃機24機(内補用6機)、水上偵察機24機(内補用6機)に改められる。 第四航空戦隊に航空母艦隼鷹が加えられる。
1944年(昭和19年)7月21日第四航空戦隊は、伊勢、日向で射出訓練を実施。
1944年(昭和19年)8月1日新編の戦闘一六三飛行隊が配属される。 航空母艦隼鷹に搭載予定。 岩国で訓練を開始。 航空戦艦に搭載予定の飛行機隊の爆撃訓練は、これまでに3回、本格訓練は8月以降となった。
1944年(昭和19年)8月10日新編の戦闘一六七飛行隊が配属される。 航空母艦龍鳳に搭載予定。 岩国で訓練を開始。 飛行機定数に艦上攻撃機24機(内補用6機)が加えられる。 天山隊の一部が配属され、岩国で訓練を開始。
捷号作戦要領発令。 六三四空を含む第四航空戦隊は、機動部隊本隊に部署され、航空母艦龍鳳が増勢される。
1944年(昭和19年)8月31日第四航空戦隊は、伊勢、日向で射出訓練を実施。 今回で全機の射出訓練が完了。
1944年(昭和19年)9月1日艦上戦闘機の飛行隊は徳島基地に、天山隊は美保基地に移り、訓練に従事。 戦闘一六三飛行隊が零式艦上戦闘機二一型70機(実働不明)、戦闘一六七飛行隊が零式艦上戦闘機44機(実働17機)を保有。 戦艦搭載の彗星は20機(実働11機)、瑞雲21機(実働20機)、天山5機(実働4機)を保有。 その他に訓練用の彗星6機(実働4機)、九九式艦上爆撃機10機(実働8機)保有。
1944年(昭和19年)10月13日零式艦上戦闘機40機は鹿屋に、彗星9機は国分に、天山10機は鹿児島に、瑞雲12機は指宿に進出。 進出兵力は第六基地航空部隊第十一聯合集団に部署され、敵航空兵力撃滅を任務とした。 六三四空は第六基地航空部隊西一空襲部隊に部署され、14日の敵残存機動部隊に対する総攻撃部署を下令。 天山8機は第一攻撃集団第一偵察隊に部署され、小禄基地を中継し高雄に帰投。 零式艦上戦闘機22機は第一攻撃集団第一制空隊に部署され、沖縄中基地を中継し台南他に帰投。 彗星9機は第一攻撃集団第一爆撃隊に部署され、沖縄北基地を中継し高雄に帰投。
1944年(昭和19年)10月14日六三四空を含む部隊約380機は、0630〜0930に各基地を発進、 中継基地で補給の上、出撃。 雲量10、視界5km、雲高500mの悪天候下で、各隊の使用電波も異なったため、散発的な攻撃となり、零式艦上戦闘機20機が台南に帰着したほか、中継基地に帰着したものが多く、天山1機、彗星4機が未帰還。
1944年(昭和19年)10月15日敵機動部隊の反復攻撃を下令され、前日同様の悪天候下、六三四空の零戦を含む攻撃隊は、零戦9機、陸上爆撃機銀河10機で、0645台南を発進したが、途中で敵戦闘機の迎撃をうけ、零戦7機、銀河9機を喪失。 瑞雲隊、呉基地に帰投。
1944年(昭和19年)10月16日六三四空を含む第十二聯合集団は伊江島基地に配備を下令される。 六三四空を含む沖縄所在の部隊約100機は、発見された敵機動部隊の攻撃を企図したが、のち報告された敵部隊は航空母艦7隻とあり、攻撃は中止された。 六三四空の彗星1機は宮古島からの索敵で未帰還となる。
1944年(昭和19年)10月17日第四航空戦隊(六三四空欠)は出撃準備を完成、八島錨地に集結を下令される。 六三四空を含む第六基地航空隊の残存全力は、台湾に集結、機宜、比島に転進を下令される。 六三四空の天山1機が宮古島からの索敵で未帰還となる。
1944年(昭和19年)10月18日捷一号作戦発動。 各隊は速やかに既令の台湾進出と兵力の整理を急ぎ、比島進出準備を急ぐよう下令。
1944年(昭和19年)10月19日第三航空戦隊を収容兵力に、六三四空の残留兵力中、母艦発着可能兵力を追加、19日中に大分基地に転進を下令。 六三四空の第三航空戦隊収容搭載の機数は不詳。
六三四空の兵力は、零式艦上戦闘機26機(内実働27機)、天山3機、彗星7機(内実働4機)で、台中基地に所在。
瑞雲隊、呉基地発。 台湾東港基地経由でフィリピンに進出開始。
1944年(昭和19年)10月21日第六基地航空部隊は、全力で比島に進出となり、六三四空の天山は第一攻撃集団の前路索敵隊と特第一攻撃隊に部署され、クラーク北基地に、彗星は第一攻撃集団第二攻撃隊第二爆撃隊に部署され、マバラカット西基地に、九九艦爆は第一攻撃集団第三攻撃隊第三爆撃隊に部署され、バムバム基地に、瑞雲19機は、特第二攻撃隊に部署され、キャビテ水上基地に、それぞれ進出を下令される。
1944年(昭和19年)10月22日第一攻撃集団は、台湾からクラーク地区に進出。
1944年(昭和19年)10月23日六三四空(瑞雲欠)は第一攻撃集団の約150機とクラーク地区を発進、敵機動部隊の攻撃に向ったが、密雲に阻まれ引き返した。
1944年(昭和19年)10月24日六三四空の彗星は他隊と計10機とマバラカットを発進、零戦は他隊と計51機でバムバムを発進、第一攻撃集団の約194機と敵機動部隊の攻撃に向ったが、手前で敵戦闘機約100機と交戦、 第二攻撃隊の彗星10機が敵部隊を攻撃したのみに終わった。 いったん帰着した第一攻撃集団の零戦22機と九九艦爆25機は、ラモン湾東方の敵機動部隊の攻撃に向ったが、密雲に阻まれ引き返した。 瑞雲隊は黎明時の索敵ののちも6機で索敵攻撃に向った。 この日の喪失機数は不詳。
1944年(昭和19年)10月25日在比島の第五基地航空部隊と第六基地航空部隊とで、第一聯合基地航空部隊を編成、
1944年(昭和19年)10月26日六三四空の零戦21機は他隊の零戦54機と九九艦爆24機とで、クラーク地区を発進、敵機動部隊の攻撃に向ったが、会敵なく、レガスビーに帰着。 午後、六三四空を含む零戦35機と九九艦爆23機とがレガスビーを発進、敵機動部隊の攻撃に向ったが、レイテ島東方120浬で敵戦闘機と遭遇、零戦6機、九九艦爆2機を喪失し、会敵なく帰還。 この間、彗星1機がサマール島当方の敵機動部隊の攻撃に向かい、未帰還、
1944年(昭和19年)10月28日六三四空を含む零戦37機、紫電6機、陸上攻撃機8機は、昼間から薄暮にレイテ島に進攻。 カリガラ湾沖で敵戦闘機と空戦、4機未帰還。 ドラッグ飛行場の銃撃中に対空砲火で1機自爆。
1944年(昭和19年)10月29日アメリカ機動部隊約390機は、マニラ、クラーク地区に来襲。 部隊は零戦等132機で邀撃。 22機を喪失。 六三四空の瑞雲隊は、スビック、マシンロックを退避先に活用。
1944年(昭和19年)10月31日六三四空の天山1機は、沖縄南方海面を哨戒中、宮古島付近において行方不明。 瑞雲5機は、レイテ島周辺の敵魚雷艇の夜間攻撃に出撃、カニガオ水道南方で魚雷艇6隻を捕捉、うち1隻撃沈を報告。
1944年(昭和19年)11月1日六三四空の神風特別攻撃隊梅花隊の爆戦1機は、ニコルス基地を発進、レイテ島南東パナオン水道で敵艦に突入。 零戦隊は、レイテ島タクロバンを攻撃後、セブ基地に進出。 セブ基地は、B24爆撃機等約70機の爆撃を受け、零戦13機が被弾、うち3機が炎上。 瑞雲6機は、レイテ島周辺の敵艦艇の夜間攻撃に出撃、カニガオ水道で敵巡洋艦1隻、駆逐艦3隻を爆撃、魚雷艇1隻を銃撃。
1944年(昭和19年)11月2日瑞雲6機は、レイテ島周辺の敵艦艇の夜間攻撃に出撃。
1944年(昭和19年)11月4日午前、B24爆撃機等約60機が2次に分かれ、セブに来襲。 六三四空を含む零戦20機で邀撃。 未帰還1機。
1944年(昭和19年)11月5日六三四空はセブからクラーク地区に移動。 アメリカ機動部隊が、マニラ、クラーク地区に来襲。 零戦等述べ68機で邀撃、 零戦2機未帰還、8機が地上で炎上。
1944年(昭和19年)11月6日アメリカ機動部隊が、マニラ、クラーク地区に来襲。 邀撃を控え、在地30機炎上。
1944年(昭和19年)11月13日アメリカ機動部隊が、マニラ、クラーク地区に来襲。 紫電9機が邀撃、6機喪失。 在地の紫電6機、零戦1機、陸攻2機が破壊された。
1944年(昭和19年)11月14日アメリカ機動部隊が、マニラ、クラーク地区に来襲。 邀撃なし。 瑞雲5機が、キャビテからレイテ湾の敵艦艇の夜間攻撃。 1機未帰還。
1944年(昭和19年)11月15日戦闘一六三飛行隊および戦闘一六七飛行隊は解隊。 偵察第三〇一飛行隊(瑞雲24機)が第八〇一航空隊から編入。 六三四空は第四航空戦隊から除かれ、第二航空艦隊に編入される。 六三四空は水偵隊に改編され、瑞雲隊を残し、他隊は台湾に撤収。
1944年(昭和19年)11月27日六三四空の瑞雲を含む11機がレイテ島を夜間攻撃。
1944年(昭和19年)11月28日六三四空の瑞雲を含む6機が、レイテ島周辺の敵魚雷艇を夜間攻撃。 2隻撃沈を報告。
1944年(昭和19年)11月30日六三四空の瑞雲を含む8機が、レイテ島周辺の敵魚雷艇を夜間攻撃。 4隻撃沈を報告。
1944年(昭和19年)12月1日六三四空の瑞雲を含む10機が、レイテ島周辺の敵魚雷艇を夜間攻撃。 45隻撃沈を報告。
1944年(昭和19年)12月2日六三四空の瑞雲を含む6機が、レイテ島周辺の敵魚雷艇を夜間攻撃。 6隻撃沈を報告。
1944年(昭和19年)12月5日比島所在の瑞雲は12機(内実働8機)
1944年(昭和19年)12月11日瑞雲隊は、レイテ島パロンボン沖に突入した味方船団の掩護に夜間出撃。
1944年(昭和19年)12月13日第一聯合基地航空部隊指揮官は、全力で夜間の索敵攻撃を下令。
1944年(昭和19年)12月15日瑞雲2機が、ミンドロ島イリン海峡の敵船団を攻撃。
1944年(昭和19年)12月17日第一聯合基地航空部隊の兵力は28機。 六三四空の瑞雲はキャビテに1機。
1944年(昭和19年)12月19日瑞雲3機が、サンホセの敵魚雷艇4隻撃沈と報告。
1945年(昭和20年)1月8日第二航空艦隊は解隊。 六三四空は第一航空艦隊に編入される。 第一聯合基地航空部隊第五基地航空隊に部署され、東港基地に配備を下令される。
1945年(昭和20年)1月9日比島からツゲガラオ基地経由で、台湾の淡水、東港基地に転進開始。 搭乗員等の台湾輸送のため、瑞雲1機、零式水上偵察機5機が、2月初旬まで輸送に従事。 水偵1機が被弾不時着。
1945年(昭和20年)1月14日六三四空の兵力は、瑞雲5機(内夜間用2機)。
1945年(昭和20年)3月1日六三四空の兵力は、東港と高雄に瑞雲7〜8機。
1945年(昭和20年)3月17日天一号作戦要領発令。 六三四空は第五基地航空隊に部署される。
1945年(昭和20年)3月26日天一号作戦発動。
1945年(昭和20年)3月28日瑞雲3機が、沖縄慶良間泊地の敵艦船を夜間攻撃。
1945年(昭和20年)3月30日瑞雲4機が、沖縄慶良間泊地の敵艦船を夜間攻撃に向ったが、天候不良のため奄美大島古仁屋に帰着。 以後、古仁屋から攻撃を反復。
1945年(昭和20年)4月5日瑞雲4機が古仁屋発。 天候不良のため引き返す。
1945年(昭和20年)4月6日瑞雲4機が古仁屋発。 沖縄周辺敵艦船を夜間攻撃。
1945年(昭和20年)4月12日瑞雲2機、零水偵3機が淡水を発進、石垣島付近の敵機動部隊を夜間攻撃。 零水偵1機が未帰還。
1945年(昭和20年)4月13日瑞雲1機、零水偵1機が、沖縄運天泊地の敵輸送船を夜間攻撃。
1945年(昭和20年)4月19日瑞雲1機が、3:25古仁屋発、沖縄泊地の敵輸送船を攻撃。
1945年(昭和20年)4月20日瑞雲1機が、與論島付近で敵駆逐艦を爆撃。
1945年(昭和20年)4月21日瑞雲2機が、20:00以降古仁屋発、沖縄泊地の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)4月27日瑞雲3機が、沖縄泊地の敵輸送船を攻撃。 至近弾3発。
1945年(昭和20年)5月5日瑞雲3機が、3:25古仁屋発、嘉手納沖の敵輸送船を攻撃。
1945年(昭和20年)5月10日瑞雲3機が古仁屋発、沖縄北飛行場を攻撃。
1945年(昭和20年)5月12日第一機動基地航空部隊と第七基地航空部隊とで、天航空部隊を編成。
1945年(昭和20年)5月14日瑞雲3機が古仁屋発。 天候不良で引き返す。
1945年(昭和20年)5月15日瑞雲3機が古仁屋発。 沖縄に挺身連絡。 不成功。
1945年(昭和20年)5月17日瑞雲2機、零観1機が古仁屋発。 沖縄に挺身連絡。
1945年(昭和20年)5月18日瑞雲3機が、19:35以降古仁屋発、1機は與論島付近で敵駆逐艦を攻撃、2機は名護湾の敵輸送船を攻撃。
1945年(昭和20年)5月20日瑞雲6機が、18:30古仁屋発、伊江島の敵艦船を攻撃。 別に瑞雲2機が2230古仁屋発、天候不良のため引き返す。 1機未帰還。
1945年(昭和20年)5月22日瑞雲2機が、20:15以降古仁屋発、沖縄泊地の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)5月23日瑞雲7機が、20:30以降古仁屋発、伊江島付近の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)5月24日瑞雲6機が、0:30以降古仁屋発、伊江島付近の敵艦船を攻撃。 1機が未帰還。
1945年(昭和20年)5月25日瑞雲9機が、19:00古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。 3機が未帰還。
1945年(昭和20年)5月28日瑞雲3機が、14:00指宿発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月1日瑞雲1機が、未明に指宿発、奄美大島、徳之島60浬圏内を索敵。
1945年(昭和20年)6月6日瑞雲6機が、20:30以降古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月7日瑞雲2機が、20:30古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月8日瑞雲2機が、19:30以降古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月9日瑞雲5機が、21:00古仁屋発、慶良間、嘉手納沖の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月15日第一航空艦隊は解隊。 六三四空は第五航空艦隊に編入。 天航空部隊第五基地航空部隊に部署され、引き続き沖縄の夜間攻撃に従事。
瑞雲2機が、20:30古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月22日瑞雲8機が、櫻島基地を発進、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月25日瑞雲8機が、櫻島基地を発進、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月26日瑞雲1機が、古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月27日瑞雲1機が、古仁屋発、沖縄金武湾の敵艦船を攻撃。
1945年(昭和20年)6月29日瑞雲1機が、古仁屋発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。  瑞雲3機が、淡水発、沖縄北、伊江島飛行場を夜間攻撃。 別の瑞雲1機が、淡水発、沖縄周辺の敵艦船を攻撃。 未帰還。
1945年(昭和20年)7月1日偵察第三〇二飛行隊が、詫間航空隊より編入される。 六三四空の特設飛行隊は2隊となる。
1945年(昭和20年)7月7日零水偵4機は、天航空部隊第六三四部隊に部署され、玄海松島基地に配備、夜間哨戒に従事。 瑞雲6機は、天航空部隊夜間攻撃隊第六三四部隊に部署され、沖縄周辺の敵艦船攻撃に従事。
1945年(昭和20年)7月19日零水偵6機が、九州東方を索敵哨戒。
1945年(昭和20年)7月22日瑞雲6機が、8:00桜島を発進、済州島付近を偵察。
1945年(昭和20年)8月3日六三四空は第三十二航空戦隊に編入。 対機動部隊夜間雷撃専任部隊として部署された。
1945年(昭和20年)8月15日終戦。 積極作戦禁止。
1945年(昭和20年)8月17日戦闘行動停止、 逐次復員を開始。

参考資料

  1. 渡辺博史編.空の彼方―海軍基地航空部隊要覧―(二).名古屋,楽學庵,2009,p326-332
  2. 梶山瑞雲.瑞雲飛翔:第634海軍航空隊水爆瑞雲隊・戦闘記録・私記.富里, 梶山瑞雲,2002,450p