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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

二河公園は、海軍射撃場の払い下げを受け御大典記念事業として大正5年完成したもの。 現在は、周辺を含めて運動公園として整備され、スポーツ会館、呉市営二河野球場、呉市営プール、呉市営陸上競技場等がある。

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擇善館跡

擇善館は呉市連合衛生会が衛生思想普及のために御大典記念事業として建設された。 道をはさんで反対側には、建設に功労のあった当時の呉市連合衛生会々長である宮原一人医師の銅像があったが、今は台座しか残っていない。 側に立っているのは、呉市建設に功のあった長澤元太郎氏の頌徳碑である。

擇善館跡碑
擇善館跡碑

擇善館跡碑
擇善館跡碑

宮原一人医師銅像台座
宮原一人医師銅像台座

長澤元太郎頌徳碑
長澤元太郎頌徳碑

さらに、昭和天皇が東宮時代に行幸された記念として、3階建ての別館と御典橋が建設されたが、残っているのは御典橋だけである。

御典橋

御典橋

御典橋

戦死者供養塔

碑文より

建立主旨

祖国民族を平和の唯一心に希い戦いに散れる同族の霊永遠に安かれと祈り結成十周年を記念して一石一寧追善供養塚をここに建立す

昭和三十五年六月
第七地区遺族会

戦死者供養塔

戦死者供養塔

明治天皇御製碑

明治天皇が呉海軍工廠での軍艦の進水式に御臨席のため呉に行幸されたときのことを詠まれた御製である。

軍ぶね
造る所もみてゆかむ
呉の港にしばし泊まりて

碑文の文字は海軍大将米内光政によるものである。

明治天皇御製碑

明治天皇御製碑

庭園

擇善館跡から明治天皇御製碑にかけて、庭園がある。 庭園の中島には、元呉市長の佐々木英夫翁頌徳碑が建立されている。

庭園

佐々木英夫翁頌徳碑
佐々木英夫翁頌徳碑

庭園の遊歩道脇には地下壕を埋めた跡が残っている。

地下壕跡

地下壕跡

地下壕跡

地下壕跡

地下壕跡

地下壕跡

殉職者招魂碑

裏面の碑文より

この塔は大正十一年十二月二十二日に建立され明治二十六年より昭和二十年までの呉海軍工廠の殉職者を祀る招魂碑でありました。 今回呉軍港創設時以後の呉鎮守府管下非戦闘員の殉職を悼みここに合祀するものであります。

昭和五十年八月十五日

呉市長 奥原義人

殉職者招魂碑

殉職者招魂碑

殉職者招魂碑

戦死者忠魂碑

呉市在郷軍人会の発起により、昭和7年10月29日に建立された。 碑文は伏見宮博恭王の筆によるものである。 塔下の納牌堂に150柱が祀られていたが、終戦時に進駐軍の命令により、銘版の撤去と位牌の遷移がおこなわれた。 その後昭和32年に再建された。

戦死者忠魂碑

戦死者忠魂碑

園内図

園内図

アクセス

JR呉駅から広電バス三条二河長迫循環線(右回り)に乗車。 「プール前」で下車。

JR呉駅から広電バス焼山熊野苗代線に乗車。 「二河公園」または「上山手橋」で下車。

参考資料

  • 中邨末吉.復刻再販呉軍港案内.呉,呉郷土史研究会,1999,p82-89.(ISBN4-9980741-1-3)