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青山クラブは旧海軍の呉海軍下士卒集会所として、1903年(明治36年)4月1日に開設された。 下士卒集会所は士官や准士官以外の一般水兵のための慰安・休養施設である。 1921年(大正10年)6月22日には下士卒という呼び名は差別的であるということで、下士官兵集会所と改称された。 増改築を経て1936年(昭和11年)に鉄筋コンクリート造、地下1階、地上3階建ての延べ10,970m2の現在の姿で建設された。(1)(2)(3)
2004年(平成16年)3月までは、防衛庁共済組合の宿泊施設と食堂も営業しており、一般の利用も可能だった。 その後は海上自衛隊呉地方総監部の援護業務課や、海軍出身者と遺族および海自隊出身者たちでつくる呉水交会などが事務所として一部を使用していた。
2016年(平成28年)9月14日、青山クラブと桜松館の老朽化に伴い、国は使用中止を決定した。 両施設について中国財務局は「国の施設として今後、使うことはない。解体も考えていない。今ある状態で原則、売却する方針でいる」と説明している。(4)
これをうけて、呉市の小村和年市長は12月5日の市議会定例会で、青山クラブと桜松館を国から買収する意向を明らかにした。 呉市の構想では、桜松館は特産品、飲食を提供する休憩施設や歴史、文化の情報を発信する施設に改修し、青山クラブは老朽化が激しいため、解体して駐車場にする計画である。 また、大和ミュージアムと両施設一帯を周遊できる遊歩道の新設も検討するとしている。(5)
呉市は2017年5月29日、青山クラブの取得後、建物の保存、活用を含めて今後の方向性を判断する意向を明らかにした。 青山クラブは老朽化が激しいため、解体して駐車場にする計画であったが、市企画部が市議会総務委員会で青山クラブについては「部分的な保存などの可能性を検討する」と報告した。 市企画課は「どう整備するかはまだ決まっていない。市議会などの意見を踏まえ考える」と話している。(6)
2024年9月9日、青山クラブの建物の一部(建物の曲線が特徴的なJR呉線側の一部)を耐震補強して保存し、残りの大部分を解体した跡地に美術館を新築する案が出された。 呉市は本年度中に同地区の整備方針を策定する予定。(7)
写真では煉瓦造りのように見えるが、前述のように鉄筋コンクリート造りである。
使用停止後の2017年7月に、1階部分の窓が閉鎖された。
参考に、大正末期〜昭和初期と思われる下士官兵集会所の絵葉書を、以下に示す。
JR呉駅から広電バス「阿賀音戸の瀬戸線」または「呉倉橋島線」に乗車。 「眼鏡橋」で下車。
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