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三十糎艦船連合呉支部

三十糎艦船連合呉支部

ここには、かつて海兵団が置かれていた。 海兵団は軍港の警備、防空、陸上防火、兵員の補充および新兵教育等に関することを司っていた。

なお、呉教育隊の住居表示は1960年(昭和35年)2月25日〜1975年(昭和50年)5月31日の間は「大和通(やまとどおり)一丁目」であった(1)(2)。 ちなみに、道路を挟んで海側の呉警備隊が「大和通二丁目」であった。 1975年(昭和50年)6月1日付で周辺地区とあわせて「幸町」に変更された。 今考えると少し残念な気がする。

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海上自衛隊呉教育隊

教育隊

教育隊

教育隊

海上自衛隊呉教育隊倉庫(海軍海兵団武器庫)(3)

海兵団武器庫

海兵団武器庫

海兵団武器庫

海兵団武器庫

元教育隊史料館(旧海兵団兵舎)(3)(4)

1889年(明治22年)に海兵団兵舎として建設された。 瓦葺き二階建てであったが、第二次大戦の空襲により二階部分が倒壊した。 1984年(昭和59年)に海上自衛隊呉教育隊史料館となったが、2004年(平成16年)9月の台風18号で屋根の1/3が吹き飛ばされ閉館状態となっていた。

2006年6月21日の中国新聞の報道によれば、この建物については、2005年4月に防衛庁が用途廃止を承諾しており、予算が付き次第取り壊されるとのことであった。

旧海兵団兵舎

旧海兵団兵舎

旧海兵団兵舎

元教育隊史料館(旧海兵団兵舎)の建物は、2008年9〜10月にかけて取り壊された。 2枚目の写真は、呉警備隊の敷地内に運ばれた教育隊史料館の残骸である。−2008年10月11日撮影

旧海兵団兵舎

旧海兵団兵舎の残骸

海上自衛隊呉教育隊倉庫(海軍海兵団武器庫)(3)

海兵団武器庫

海兵団武器庫

アクセス

建物の場所により、アクセス方法は異なる。 以下の付近図を参照のこと。 尚、「教育隊前」のバス停へはJR呉駅から広電バス阿賀音戸の瀬戸線または呉倉橋島線に乗車。

近辺略図

(1) 海上自衛隊呉教育隊倉庫(海軍海兵団武器庫)

(2) 元教育隊史料館(旧海兵団兵舎)

(3) 海上自衛隊呉教育隊倉庫(海軍海兵団武器庫)

参考資料

  1. 呉市史編纂委員会編.呉市史第7巻.呉,呉市役所,1993,p30-32
  2. 市民相談課編.呉市政だより 50年5月.呉,呉市役所,1993,p3
  3. abc日本建築学会中国支部.レンガと町づくり.http://www.joyful.gr.jp/aij/brick/10.html#001.(2008年3月20日参照)
  4. 呉レンガ建造物研究会編.街のいろはレンガ色:呉レンガ考.広島,中国新聞社,1993,p26-27.(ISBN 4-88517-165-2)