阿蘇・九重山・普賢岳 航空写真集
                                 志村英盛    Hidemori Shimura

本写真集の航空写真はすべて筆者が路線航空機の窓から撮影したものです。
視野の拡大をはかる、視点を変えて観察する、立場を変えて考えてみるという教育目的・
啓発目的で掲載しています。読者の潜在能力の開発に役立つことを念願しています。
コピー及び転載は禁止します。

                    関連サイト:航空写真集 九州
阿蘇カルデラ

1九州中央部:熊本市−阿蘇カルデラ・九重山−大分市一帯(NASA衛星画像)

2阿蘇カルデラ全景:09年9月11日12時30分撮影

3阿蘇カルデラ全景

4阿蘇カルデラ全景:05年10月20日15時19分・高度約12,000米上空から撮影

5阿蘇カルデラ全景

6阿蘇カルデラ全景
阿蘇五岳
7阿蘇山の山々:この写真及び下記説明文は阿蘇市の許諾をいただいて転載しています。
転載及びコピーは禁止します。
阿蘇山(阿蘇五岳と外輪山)
阿蘇が現在の山容になるまでは古い活動の歴史があり、10万年前、阿蘇が現在ある場所には
数多くの火山があり、活発な活動をしていました。これらの火山が一斉に噴火活動をし、
火山灰、溶岩などを噴出、この活動が終ると大陥没がおこって、今の外輪山の原形が生まれました。
このくぼ地に火口湖ができ、立野付近で断層や侵食がくり返され、湖水が流れ出しました。
3万年から5万年前に東西方向に並んで阿蘇五岳の山々が噴出したといわれています。 
中岳(1,506m)
一般に阿蘇山といえば中岳火口見物を指すぐらい有名で、地鳴り鳴動とともに激しく噴煙を
噴き上げる様子は、自然の力強い息吹を感じさせます。溶岩の岩肌がむき出しになり、
火口壁のしま模様がきれいです。活動を続けている現在の火口を囲むように七重の火口跡があり、
古くから激しい活動を続けてきたことが想像できます。
火口は南北に人の耳に似た形で並んでおり、東西400m、南北1,100mにわたり広がっています。

8草千里展望台より見た中岳

9中岳火口
上記写真7及び8は大井啓嗣氏の有料使用許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
参考サイト:阿蘇山の風景

11阿蘇カルデラ全景

12往生岳、杵島岳、草千里ケ浜:豊肥本線・九州横断特急車中より撮影

13根子岳:豊肥本線・九州横断特急車中より撮影

14南阿蘇からの根子岳のライブカメラ映像:06年11月9日08時16分撮影
この映像は「環境省生物多様性センター」運営の「インターネット自然研究所」の許諾をいただいて掲載しています。
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15阿蘇カルデラ

16阿蘇カルデラ

17阿蘇カルデラ全景

19阿蘇外輪山・大観峰(画面中央):豊肥本線・九州横断特急車中より撮影

20阿蘇外輪山・卯の鼻(画面右):豊肥本線・九州横断特急車中より撮影

2.九重山


1阿蘇カルデラと九重山(NASA衛星画像)

2九重山

3九重山

4九重山

5九重山

6九重山

7九重山

8九重山

9九重山

10九重山

11九重山

12九重山と久住高原
              You Tube:九重連山

普賢岳

1雲仙普賢岳・原城跡一帯(NASA衛星画像)

2雲仙普賢岳

3雲仙普賢岳

5雲仙普賢岳

6雲仙普賢岳

7雲仙普賢岳

8雲仙普賢岳

9 1994年初頭の雲仙普賢岳
1990年から噴火を始めた雲仙普賢岳から、1991年(平成3年)6月3日、大火砕流が流れ出した。
報道関係者16名、火山学者クラフト夫妻と案内役3名、消防団員12名、タクシー運転手4名、
警察官2名、選管職員2名、住民4名と、死者・行方不明者は43名に達した。
この他に負傷者も多数という大惨事であった。噴火は1996年(平成8年)までおさまらなかった。


10島原半島・雲仙普賢岳:フェリー船上から撮影

11島原半島・雲仙普賢岳:仁田峠循環自動車道路から撮影

12雲仙温泉、仁田峠循環自動車道路、雲仙ロープウェイ一帯地図

14雲仙妙見岳

16諫早湾干拓地

17島原半島・吾妻町・瑞穂町一帯

18島原半島・多比良港一帯

19九州全図(NASA衛星画像)

関連サイト:

1.志村英盛「黒字経営実践」

2.志村英盛撮影 空から見た日本各地

3.予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する

以上



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