本土決戦 1億総玉砕
−国民を道連れに無理心中!
2018年3月 Minade Mamoru Nowar
敗戦必至になった1945年(昭和20年)初頭の時点でも、
旧大日本帝国陸軍の高級参謀たち、最高指導者たち、中堅将校たちは、
おしなべて、【本土決戦 1億総玉砕】と本気で叫んでいた。
1億の日本国民を道連れに無理心中すると固く決心していた。
--------------------------------------
参考サイト:会津戦争
母成峠の戦い
--------------------------------------
1945年(昭和20年)1月1日の読売報知は第1面に、
当時の小磯国昭首相の年頭談話を掲載した。
「陸海軍の特攻隊に続き、1億国民も全員、特攻隊として
闘魂を鉄火と滾らし(たぎらし)、(自爆して)戦局を挽回しょう」
と訴えている。嗚呼!
もっとも、敗戦後、米国の戦略爆撃調査団が『日本戦争経済の崩壊』で
述べている通り、1945年(昭和20年)には、日本は、輸送船喪失と、
米国海空軍の海上封鎖により、一切の海外物資の輸入が、特に食糧の輸入が、
不可能になっていたから、北朝鮮のように、都市の住民は餓死する運命にあった。
手をこまねいて、何もせずに餓死するよりは、カミカゼ特攻で、
無差別焼夷弾爆撃と海上封鎖をした米国海空軍に恨みを晴らすという
見方もあるが!!!
東京大空襲2日後の3月12日、
小磯首相、杉山陸相は本土決戦の決意を
議会で演説した。
軍部と特権階級が支配し、国民は支配者に絶対服従と徹底的に洗脳されていた
神州日本、皇国日本(北朝鮮ではない)のために、働ける成人は、皆、全部、
カミカゼ特攻(自殺攻撃)隊員となり、【お国のため】に喜んで死ねと説いていた。
You Tube:東京大空襲は無差別大量虐殺
参考サイト:平間洋一 戦史・戦略・安全保障研究室
ソ連の対日参戦によって、遂に、既に壊滅していた【無敵 帝国海軍】に続き、
【皇軍不敗】と叫んでいた日本陸軍の全面的壊滅は避けがたい現実となった。
壮大な、日本歴史上最大の軍事的大冒険は、あまりにも悲惨な惨禍を日本にもたらし、
降伏を余儀なくさせることになったが、その責任を、特定の、ただ一つの要因のせいにすることは
できない。
この惨めな結末は、永年にわたって、数多くの要因が相互に絡み合い、積み重なった結果である。
戦争の帰趨は、太平洋の島々や、フィリピン及び沖縄の海岸での戦闘での米国の勝利で
明らかになったが、
最終的に、日本に降伏を決心させたのは、
日本本土に対する米空軍の戦略爆撃であった。
もし、戦略爆撃、すなわち、日本本土に対する無差別焼夷弾爆撃が
行われなかったら、米軍の日本本土上陸作戦は、
いかに日本軍の防衛能力が弱体であっても、
おびただしい犠牲者を生み出すことになったはずである。
日本本土上陸作戦を行わずに、日本を降伏させた戦略爆撃、
すなわち、無差別焼夷弾爆撃の平和回復に対する貢献は、
どのように大きく評価しても、大きすぎることはないであろう。
関連サイト:日本戦争経済の崩壊
上記の報告書は、日本列島を取り巻いた米軍の海上封鎖作戦は、1945年8月時点で、
ほぼ完璧の域に達し、日本は、軍需品生産のための原料はおろか、国民が生存に必要な
食糧すら、満州・朝鮮から搬入できなくなったと述べている。
食糧補給が無くなった南東太平洋・中部太平洋の島々や、フィリピン・ボルネオ・
ニューギニアなど東南アジアの各地における日本軍兵士の餓死による全滅と同様、もし、
「無条件降伏して戦争を終わらせる」という昭和天皇の不退転の決意と行動がなければ、
1945年年末には、飢餓と米軍の爆撃で、日本民族の大量餓死による滅亡は、
絵そらごとではなく、現実のものになっていたかもしれない。
司馬遼太郎氏は昭和10年(1935年)〜昭和20年(1945年)の魔の10年間
の日本は、もはや天皇が統治する法治国家ではなくて、旧大日本帝国陸軍参謀
本部が占領していた国家であったと考えていた。(同書第99頁)
司馬遼太郎氏が指摘している旧大日本帝国陸軍参謀本部が占領ということは
敗戦前の日本は、軍事政権が統治していたということである。
この敗戦前の日本の軍事政権は、無謀にも対米開戦し、日本が世界に誇っていた
【無敵・帝国海軍】が戦闘艦艇をすべて失い、沖縄を包囲した米国の海空軍に、
手も足も出せなかったという惨状になっても、「本土決戦 1億総玉砕」と本気で叫んでいた。
松代大本営と称する地下牢に昭和天皇を幽閉して、戦争を継続すると本気で考えていた。
原子爆弾完成前に、【日本抹殺論者】のルーズベルト米大統領が死なず、すなわち、
【日本抹殺論者】のルーズベルト米大統領が存命中に原子爆弾が完成し、
昭和天皇の連合軍による日本民族皆殺しだけは何としてでも避けねばならないとの
悲痛な決意がなければ、すなわち、昭和天皇が、松代大本営の地下牢に幽閉され
意思表示の機会を奪われていたならば、この敗戦前の日本の軍事政権の下で、
日本民族は滅亡していたと思う。
1945年8月14日夜、昭和天皇を警護すべき近衛師団の幹部将校たちが、こともあろうに、
近衛師団長と皇居駐在の警察官を殺害して、皇居内にある宮内省を占拠したのである。
昭和天皇を松代大本営の地下牢に幽閉することは、決してあり得ないことではなかった。
本土が戦場になる!
国民は横穴防空壕での地下生活を覚悟せよ!!
陸軍の石原莞爾が引き起こした満州事変が泥沼化した日中戦争になった。
外交の松岡洋右が結んだ日独伊三国軍事同盟が日本を地獄へと導いた。
海軍の山本五十六が敢行した真珠湾奇襲攻撃が軍事国家・旧・大日本帝国の
完全破滅を決定的なものにした。
石原莞爾、松岡洋右、山本五十六の3人は軍事国家・旧・大日本帝国を
完全にぶち壊した3大功労者といっても賞めすぎではないと思う。
ちなみに、戦前の、軍事国家・旧・大日本帝国は男尊女卑(だんそんじょひ)
社会であった。女性には選挙権はなかった。
結婚した男性の不倫は、法的にも、社会的にも咎められることはなかったが、
結婚した女性の不倫は、【姦通罪(かんつうざい)】という犯罪であり、
法的に罰せられた。社会的にも許容されなかった。
赤線地帯の名称で知られる通り、売春業が公認されていた。
無資源国・日本が、現在、平和通商国家として生きていけるのは、
海外・国内の数千万人の昭和戦争の犠牲者のおかげであることを
忘れてはならないと思う。
昭和戦争で亡くなった、数千万人の犠牲者の霊を慰めるためにも、
日本国民は、石原慎太郎氏、藤原正彦氏ら、右翼・軍国主義者たちが唱える、
軍部と特権階級が支配し、支配者に絶対服従せよと洗脳されていた
貧しい「戦前の日本に戻れ」という主張に惑わされることなく、
模範的国際平和貢献国家であり、
模範的民主主義国家である日本の
国際平和主義と民主主義を
核兵器や侵略軍事力ではなく、
情報・知恵・工夫に基づく自衛戦略で
守りぬかねばならないと思う。
以上