航空写真集 信州甲州
志村英盛 Hidemori Shimura
本写真集の航空写真はすべて筆者が路線航空機の窓から撮影したものです。
視野の拡大をはかる、視点を変えて観察する、立場を変えて考えてみるという教育目的・
啓発目的で掲載しています。読者の潜在能力の開発に役立つことを念願しています。
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関連サイト:『甲州信州 航空写真集』
関連サイト:『羽田−北アルプス−小松−白山・九頭竜湖』
A.信越線沿線
1浅間山一帯・10月
2浅間山一帯
3浅間山一帯(NASA衛星画像)
4新幹線から見た初冬の浅間山:07年12月10日撮影
6佐久市役所ライブカメラ映像:08年1月27日午前8時45分撮影
この映像は佐久市役所の許諾をいただいて掲載しています。コピー及び転載は禁止します。
7国土交通省利根砂防(浅間東)ライブカメラ映像:08年12月12日10時9分撮影
この映像は国土交通省利根川水系砂防事務所の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
8小諸懐古園展望台から見た千曲川
9鬼押出し園から見た四阿山(あずまやさん)
10四阿山(あずまやさん)山麓一帯
11上田市・小諸市・佐久市一帯
12霧隠れの真田の郷:07年12月12日9時真田バス停より撮影
13真田氏歴史館と真田信之と真田幸隆・昌幸・幸村の肖像画
14上田市、坂城町、千曲市、麻績村、筑北村一帯
15松代町−県道35号線−真田の郷−上田市
幕末、松代に住んでいた佐久間象山はこの道を通って上田に出講したといわれる。
松代藩祖、真田信之は上田から松代へ移封された。移封時、藩財政は困難を極めたといわれる。
16千曲市一帯
17千曲市・坂城町・上田市・小諸市・浅間山一帯
18長野市南部(川中島、松代、屋代)、千曲市(戸倉上山田温泉)、坂城町
19川中島古戦場跡−前橋−小田原一帯(NASA衛星画像)
20川中島古戦場跡と妻女山
21妻女山:上信越自動車道・松代パーキングエリアから撮影
22妻女山展望台から海津城址を見る
24長野市と菅平高原
You Tube:長野県歌・信濃の国
明治19年(1886年)、新設された長野師範学校の初代校長として赴任してきた
浅岡一氏は、八つの盆地毎に割拠していた各藩の利害関係を引きずって、県会で乱闘騒ぎまで
引き起こしていた県状を深く憂い、「信濃の歌」を作り、全県の学校でこの歌を歌わせた。
この歌を一斉に歌うことによって、いつしか信州人たちは、南信、北信、東信、中信などという
対立抗争を忘れるようになり、歌の魔術にのせられて、長野県民としての自覚を持つようになった。
25菅平高原
26善光寺平、長野市、菅平高原一帯
27善光寺平と志賀高原一帯
28北信濃
B.戸隠連峰
1戸隠連峰一帯
2戸隠連峰・戸隠山の山並み全景:04年2月10日13時10分撮影
3戸隠連峰・西岳の山並み全景
4戸隠連峰・西岳の山並み
C.中央線沿線
1-1相模湖、津久井湖、宮ケ瀬湖一帯
1-2相模湖と津久井湖
2相模湖上流
3-1山梨県大月市一帯
3-2大菩薩嶺一帯
4富士急沿線と富士山
5大菩薩湖一帯
6-1富士山と甲府盆地
6-2甲府盆地遠望
6-3山梨市・甲州市一帯
7-1甲府市−西湖・河口湖−富士吉田市−大菩薩嶺一帯
7-2御坂峠の天下茶屋
8南アルプス、八ヶ岳、甲府盆地
9甲府市一帯
10甲府市
11甲府駅前の武田信玄公銅像
12甲府の桃の里
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14-1甲斐駒ヶ岳(標高2967b):中央線小淵沢駅付近から撮影
14-2蓼科山上空からみた八ヶ岳連峰、南アルプス、蓼科高原
14-3蓼科山上空からみた南アルプス
15仙丈ケ岳(標高3033b)、北岳(標高3193b)、甲斐駒ヶ岳一帯
16鳳凰山三山と甲斐駒ヶ岳:中央高速道から撮影
17八ヶ岳と山麓一帯
18北アルプス、蓼科高原、八ヶ岳連峰、富士見高原
19野辺山高原
関連サイト:小海線(八ヶ岳高原線)写真集
20蓼科山、八ヶ岳連峰
21八ヶ岳連峰と野辺山高原
22蓼科高原と八ヶ岳連峰
23浅間山と八ヶ岳連峰
24蓼科山、八ヶ岳連峰とフォレストCC
25八ヶ岳と浅間山
26富士見高原と八ヶ岳
27富士見高原ゆりの里・白樺ゆり園:07年7月25日撮影
28富士見高原ゆりの里・ロマンスゆり園:07年7月25日撮影
29富士見高原と八ヶ岳連峰
30霧ヶ峰高原、白樺湖、蓼科山、八ヶ岳連峰
31蓼科山
32蓼科山一帯
33白樺湖と蓼科山
34諏訪湖上空から見た霧ヶ峰高原と浅間山
35霧ヶ峰高原
36霧ヶ峰高原
37諏訪湖全景:05年4月1日午前9時25分撮影
38諏訪湖だよりライブカメラ映像:08年2月1日12時40分撮影
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39御神渡り拝観式前の八剣神社氏子さんたちの奉納太鼓:
08年2月2日午前7時40分撮影:気温はマイナス7度であった(長野地方気象台)。
40八剣神社神主さんのお祓い:
この映像は『諏訪湖だより掲示板』見学者さんが撮影したものです。
見学者さんの許諾をいただいて転載しています。コピー、転載は禁止します。
43岡谷市拝観式のところの御神渡り:
この映像は『諏訪湖だより掲示板』見学者さんが撮影したものです。
見学者さんの許諾をいただいて転載しています。コピー、転載は禁止します。
44松本盆地(安曇平)と松本空港
45松本市街
46松本市街
47安曇平と諏訪湖
48秋の上高地
49秋の上高地・涸沢:08年10月9日撮影
この映像は松本市温泉観光課及び日本観光協会の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
50御嶽山・乗鞍岳・北アルプス
51御嶽山上空から見た富士山
52北アルプス・乗鞍岳・御嶽山・中央アルプス・伊那谷
53中央アルプスと伊那谷
54御嶽山山頂
55木曽川と中央アルプス
56JR中央西線特急から撮影した木曽川寝覚ノ床
57乗鞍岳・御嶽山・開田高原一帯(NASA衛星画像)
58開田高原・木曽馬の里から見た御嶽山とそば畑満開:開田高原観光案内所撮影
この画像は同所の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
59開田高原・木曽馬の里
参考サイト:木曽馬の里公式HP:木曽馬の特徴は低身広駆・胴長短足で平均体高は
133p。坂道が得意であるが、モンゴルなどの戦闘馬と比べるとかなり小型である。
従って木曽馬は信州・甲州の山地においては物資の輸送には適していた馬と思われる。
しかし、たとえば長篠の合戦のような戦闘において使用されたとは思えないが???
60開田高原・木曽馬の里から見た御嶽山:開田高原観光案内所撮影
この画像は同所の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
参考サイト:開田高原木曽馬の里ライブカメラ
61開田高原・木曽馬の里から見た御嶽山:08年2月2日11時40分志村英盛撮影
62樹氷と御嶽山:2004年1月18日・吉澤久雄氏撮影
63紅葉のブルーベリー畑:2001年11月4日・吉澤久雄氏撮影
上記映像62&63は吉澤久雄氏及び霧しなの許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
64チャオ御岳スノーリゾートから見た乗鞍岳:08年2月2日15時16分撮影
65 10月の松本盆地
66安曇野の碌山美術館
67安曇野の道祖神
参考サイト:
82歳国際派診断士のチャレンジ「学習時間は自分で捻出するもの」 2017年5月
やればできる!
できれば自信がつく!!
自信がつけば世界が広がる!!!
北海道の空知(そらち)地方はかっては石炭の産地として有名であった。
石炭産業の最盛期の1950年代には大小80あまりの炭坑があった。
その空知地方の赤平(あかびら)市にある北海道光生舎は
19歳の時、電線工事で誤って高圧電線に触れ、両腕を無くされた
高江常男さんが、1956年に、身体障害者が自立するための職場を
創るという経営理念で創業された企業である。
長い闘病生活の後で、高江常男さんは、生きていくためには、
失われた身体能力を嘆くのではなく、残された自分の身体能力を
開発して自立するより他に道は無いのだと決心された。
食事は一切周りの人の助けを借りないで自分ひとりで食べる。
字はペンを口にくわえて書く。
碁を打つ時は足の指でつまんで打つということで、
日常生活のかなりの部分を自分ひとりでできるよう
身体能力を開発された。
両腕がないのに人の助けを借りないで食事をするということは
たいへんなことである。人目(ひとめ)を気にする人にはできないことである。
ペンを口にくわえて字を書く、あるいは足の指で碁石をつまむということも
たいへんなことである。ちょつと努力すればできるということではない。
おそらく高江常男さんは、できるようになるまで、あきらめずに、
繰り返し繰り返し、何万回も練習されたと思う。
しかし、やればできたという体験は、高江常男さんの
その後の人生において大きな自信になったと思う。
1953年に高江常男さんは、ペンを口にくわえて字を書くという
能力を活かして空知タイムスの記者になられた。
少年をつれて各地を取材のため廻られたと伺っている。
取材活動を通じて、多くの身体障害者が働く機会を与えられず
暗い人生を送っている現実を知るようになった高江常男さんは、
働く意志がありながら働く機会がなかった身体障害者が、
働いて身体能力を開発して、身体的にも、経済的にも、精神的にも
自立できる職場を創るという経営理念を掲げて、関係者の協力を得て
1956年、北海道光生舎を創業された。
高江常男さんの経営理念は、数々の障害を乗り越えて立派に達成された。
半世紀を超える期間の北海道光生舎の人たちの実績がそのことを証明している。
北海道赤平市の北海道光生舎の工場を見学させていただいたことがある。
同舎の舎員指導方針は明確である。
「やればできる。できれば自信がつく。自信がつけば生きる場が広がる」である。
参考サイト:北海道光生舎
『生きる場を広げるため学び続ける仕組みを創れ』
未経験のこと、すなわち、今までやったことのないことに挑戦すると、
失敗はつきものである。従って、うまくいかないことや、挑戦失敗を、
苦にしたり、悔やんだり、悩んだりすることはない。
しかし、挑戦失敗を教訓にして、学び続けることは必要である。
学び続けることによって新しく蓄積されていく知識・情報が生きる場を
広げる力(ちから)そのものなのである。
高江常男さんが、何万回もの失敗を乗り越えて、あきらめずに、
学び続けた生き方に深い感銘を受けている。
学び続けることは最高の幸福です。
意識も頭も身体も、使わないと、どんどん錆びつく!
学び続けることは
廃用性萎縮を防ぐ最良の健康法です。
2015年12月 文化出版局 発行
志村冨美子・横浜レース教室、八王子レース教室、本郷台レース教室
TEL:045−352−7184
以上
関連サイト:
1.志村英盛撮影 空から見た日本各地
2.視野を広げる、視点を変えて観察する
3.予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する
以上