航空写真集 羽田−北アルプス−小松−白山・九頭竜湖
志村英盛 Hidemori Shimura
本写真集の航空写真はすべて筆者が路線航空機の窓から撮影したものです。
視野の拡大をはかる、視点を変えて観察する、立場を変えて考えてみるという教育目的・
啓発目的で掲載しています。読者の潜在能力の開発に役立つことを念願しています。
コピー及び転載は禁止します。
関連サイト:『航空写真集 信州甲州』
関連サイト:『高山・鈴鹿・養老 航空写真集』
1羽田−小松・往復経路
往路では諏訪湖、高山市の上空を、復路では多治見市、新城市本長篠の上空を通る。
2羽田空港
3羽田空港
4横田基地、日野市、狭山湖一帯
5あきる野市、福生市、横田基地、昭島市一帯
6横田基地・多摩川一帯
7日野市、多摩川と中央自動車道
8津久井湖と相模原市
9津久井湖
10甲州市〜甲武信ケ岳一帯
11甲州市〜甲武信ケ岳一帯
12甲武信ケ岳一帯
13北アルプスと八ヶ岳連峰一帯
14野辺山高原
15蓼科山と八ヶ岳連峰
16八ヶ岳連峰
17白樺湖、蓼科高原一帯
18白樺湖一帯(NASA衛星画像)
19白樺湖一帯
20霧ヶ峰高原
21美ヶ原、霧ヶ峰高原一帯
22下諏訪、和田峠、長和町一帯
23諏訪湖北岸
24諏訪湖西岸
25松本市一帯
26松本盆地南部上空よりより火打山、妙高山を望む
27赤岩岳、大天井岳、東天井岳、常念岳、前常念岳、蝶ケ岳の山々
28松本盆地全景
29梓川と新島々
30梓川
31梓川源流
32上高地
33上高地
34上高地
35槍ヶ岳、穂高連峰、上高地
36秋の上高地・涸沢:08年10月9日撮影
この映像は松本市温泉観光課及び日本観光協会の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
37笠ケ岳と穂高連峰
38笠ケ岳
39笠ケ岳を取り巻く北アルプスの山々
40高山街道
41高山街道
42高山街道
43飛騨市
44飛騨市
45高山本線
46高山本線
47小松市、松本市、美濃加茂市一帯
48
49飛騨高地
50庄川
51庄川
52飛騨高地
53飛騨高地
54金剛堂山一帯
55砺波平野
56大日川ダム
57大日川ダム
58
59城端ダムと砺波平野
60南砺市福光、医王山と砺波(となみ)平野一帯
61金沢市営医王山スキー場
62金沢市
63金沢市郊外
64金沢市郊外
65金沢市郊外
66小松空港一帯
67小松空港
68小松空港
69浮柳新橋から見た白山
70白山
71白山
72白山
73白山
74白山
75白山
76経ケ岳
77九頭竜湖
78九頭竜湖
49九頭竜湖
80郡上八幡、東仙峡金山湖、下呂温泉
81美濃加茂市
82可児市、多治見市一帯
83日本ライン一帯
84多治見市
85大日ケ岳と可児市、多治見市
86新城市本長篠
89第2東名高速道路(建設中)と浜名湖、天竜川(NASA衛星画像)
90浜松市北部の第2東名高速道(建設中)と天竜川
91天竜川一帯
92袋井市弁財天川河口
93伊豆南端:石廊崎、弓ヶ浜
94伊豆南端:石廊崎、弓ヶ浜、下田市
95弓ヶ浜と下田市
96君津製鉄所
97君津製鉄所
98羽田空港
99羽田空港
やればできる!
できれば自信がつく!!
自信がつけば世界が広がる!!!
北海道の空知(そらち)地方はかっては石炭の産地として有名であった。
石炭産業の最盛期の1950年代には大小80あまりの炭坑があった。
その空知地方の赤平(あかびら)市にある北海道光生舎は
19歳の時、電線工事で誤って高圧電線に触れ、両腕を無くされた
高江常男さんが、1956年に、身体障害者が自立するための職場を
創るという経営理念で創業された企業である。
長い闘病生活の後で、高江常男さんは、生きていくためには、
失われた身体能力を嘆くのではなく、残された自分の身体能力を
開発して自立するより他に道は無いのだと決心された。
食事は一切周りの人の助けを借りないで自分ひとりで食べる。
字はペンを口にくわえて書く。
碁を打つ時は足の指でつまんで打つということで、
日常生活のかなりの部分を自分ひとりでできるよう
身体能力を開発された。
両腕がないのに人の助けを借りないで食事をするということは
たいへんなことである。人目(ひとめ)を気にする人にはできないことである。
ペンを口にくわえて字を書く、あるいは足の指で碁石をつまむということも
たいへんなことである。ちょつと努力すればできるということではない。
おそらく高江常男さんは、できるようになるまで、あきらめずに、
繰り返し繰り返し、何万回も練習されたと思う。
しかし、やればできたという体験は、高江常男さんの
その後の人生において大きな自信になったと思う。
1953年に高江常男さんは、ペンを口にくわえて字を書くという
能力を活かして空知タイムスの記者になられた。
少年をつれて各地を取材のため廻られたと伺っている。
取材活動を通じて、多くの身体障害者が働く機会を与えられず
暗い人生を送っている現実を知るようになった高江常男さんは、
働く意志がありながら働く機会がなかった身体障害者が、
働いて身体能力を開発して、身体的にも、経済的にも、精神的にも
自立できる職場を創るという経営理念を掲げて、関係者の協力を得て
1956年、北海道光生舎を創業された。
高江常男さんの経営理念は、数々の障害を乗り越えて立派に達成された。
半世紀を超える期間の北海道光生舎の人たちの実績がそのことを証明している。
北海道赤平市の北海道光生舎の工場を見学させていただいたことがある。
同舎の舎員指導方針は明確である。
「やればできる。できれば自信がつく。自信がつけば生きる場が広がる」である。
参考サイト:北海道光生舎
『生きる場を広げるため学び続ける仕組みを創れ』
未経験のこと、すなわち、今までやったことのないことに挑戦すると、
失敗はつきものである。従って、うまくいかないことや、挑戦失敗を、
苦にしたり、悔やんだり、悩んだりすることはない。
しかし、挑戦失敗を教訓にして、学び続けることは必要である。
学び続けることによって新しく蓄積されていく知識・情報が生きる場を
広げる力(ちから)そのものなのである。
高江常男さんが、何万回もの失敗を乗り越えて、あきらめずに、
学び続けた生き方に深い感銘を受けている。
学び続けることは最高の幸福です。
意識も頭も身体も、使わないと、どんどん錆びつく!
学び続けることは
廃用性萎縮を防ぐ最良の健康法です。
2015年12月 文化出版局 発行
志村冨美子・横浜レース教室、八王子レース教室、本郷台レース教室
TEL:045−352−7184
以上
関連サイト:
1.志村英盛撮影 空から見た日本各地
2.視野を広げる、視点を変えて観察する
3.予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する