航空写真集 東海
志村英盛 Hidemori Shimura
本写真集の航空写真はすべて筆者が路線航空機の窓から撮影したものです。
視野の拡大をはかる、視点を変えて観察する、立場を変えて考えてみるという教育目的・
啓発目的で掲載しています。読者の潜在能力の開発に役立つことを念願しています。
コピー及び転載は禁止します。
関連サイト:『東海 航空写真集』
航空写真集 新東名 (2012年4月14日15時開通) New !
1北アルプス・南アルプスと富士山
2-1富士山・御殿場・芦ノ湖
2-2大観山の富士山
3愛鷹山麓裾野市の新東名高速道(上)と東名高速道(下)
4新東名高速道と富士山
5雲海の中の富士山
6-1三津浜スカンジナビア号から見た富士山:02年1月10日撮影
6-2富士宮市市役所庁舎7階から見た富士山:2012年11月8日撮影
6-4富士宮市浅間大社から見た富士山
参考サイト:素晴らしい富士山・21景
7-1-1富士市から見た富士山:新幹線車中から撮影
7-1-2富士川鉄橋と富士山:新幹線車中から撮影
7-2富士山周辺広域地図
7-3富士宮口登山ルート
7-4富士山五合目富士宮口より見た富士山頂:2012年7月17日12時01分撮影
7-5富士山五合目富士宮口より見た富士山頂:2012年7月17日12時02分撮影
8-1須走口登山ルート
8-2真夏の富士山:2012年8月20日午前9時41分JR御殿場駅前駐車ビル屋上から撮影
8-3真夏の富士山:2012年8月20日午前10時23分陸自富士学校付近から撮影
8-5須走口五合目から見る富士山:2010年9月14日午前6時40分、林田甫氏撮影:
この映像は林田甫氏の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
参考サイト:還暦過ぎて荘子と遊ぶ
8-8真夏の富士山山頂:2012年8月20日午前11時53分富士山五合目須走口より撮影
9-1富士吉田口登山ルート
9-2富士吉田市から:2012年8月22日午前9時28分撮影:山頂は晴れ
9-3真夏の富士山五合目富士吉田口の盛況
9-4真夏の富士山五合目富士吉田口の盛況:大型観光バス38台勢揃い
テレビ・ニュースによると、2012年8月、中国人観光客を乗せた大型観光バスが、連日、50台
来ていたが、9月15日の反日暴動以後、30台に落ち込んだとのこと。
富士スバルライン五合目駐車場の収容能力は、大型バス40台、普通車290台です。
五合目駐車場からあふれた自動車は2.8キロ離れた奥庭駐車場との間の富士スバルライン沿いに
設けられたいくつかの駐車スペースに駐車することになります。
五合目と奥庭駐車場との標高差は約100mと緩やかなので、超混雑時でも、なんとかその間に
駐車できればまだマシなのですが、それより下の駐車場に駐車する事態になると、距離も標高差も
あって大変です。これらと五合目の駐車場を含めて駐車能力は全部で1,000台です。
10初冠雪2012年9月12日
11-1富士市一帯
11-2富士川と潤井川
11-3富士宮市田貫湖畔から見た富士山 ライブカメラ映像:08年2月25日12時16分撮影
この映像は「環境省生物多様性センター」運営の「インターネット自然研究所」の許諾をいただいて掲載しています。
コピー・転載は禁止します。
12忍野高原・二十曲峠から見た富士山:07年11月14日林田甫氏撮影:
この映像は林田甫氏の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
参考サイト:還暦過ぎて荘子と遊ぶ
13静岡市日本平一帯
14静岡市−日本平−草薙−清水港一帯(NASA衛星画像)
15静岡県庁21階から見た富士山
16静岡県庁
17静岡県庁21階から見た駿府公園と東御門
18家康公の散歩道の弥次喜多像
19日本平から見た富士山:02年10月29日撮影
20久能山東照宮
21日本平の日本武尊(ヤマトタケルノミコト)像
日本武尊が【草薙の剣】を振るって敵を焼き殺したのは日本平の麓の静岡市清水区草薙といわれている。
22大井川−井川ダム−安倍川一帯(NASA衛星画像)
23井川湖(井川ダム)
24井川湖
25井川湖−横沢−落合−油島一帯
26大井川
28大井川
29大井川河口付近と静岡空港一帯
30建設中の静岡空港・08年4月23日撮影
31建設中の静岡空港・08年4月23日撮影
32佐久間ダム
33佐久間ダム
34佐久間ダム
35佐久間ダム
36浜松市天竜川町付近の天竜川と新東名高速道
関連サイト:航空写真集 新東名(2012年4月14日15時開通) New!
37天竜川(左)と太田川(右)
38三方原台地と天竜川
39三方原周辺(NASA衛星画像)
40浜松市犀ケ崖資料館・三方原台地・地形模型
41徳川家康の【しかみ像】:三方原合戦惨敗の教訓を忘れないため
浜松城へ逃げ帰ってきた直後に描かせたと伝えられている。
43浜松城公園の紅葉風景:07年12月4日林田甫氏撮影:「紅葉の名所と紅葉だより」
この映像は林田甫氏の許諾をいただいて転載しています。コピー及び転載は禁止します。
44北側から見た三方原台地
45浜名湖
46浜名湖
47長篠合戦図屏風
48新城市(長篠の戦いの古戦場跡)・長篠城址一帯
50新城市(長篠の戦いの古戦場跡)・長篠城址一帯
51新城市、設楽原:したらがはら(長篠の戦いの古戦場跡)、長篠城址一帯
52戦闘時における織田信長・徳川家康と武田勝頼の所在地:赤枠部分
53古絵図による織田軍、徳川軍、武田軍の布陣図
54弾正山の下にある馬防柵
08年9月2日放送された、テレビ東京『新説日本ミステリー』は、長篠の戦いにおいて
「織田鉄砲隊が武田騎馬隊を打ち破った」という通説は、豊臣秀吉と旧日本帝国陸軍が
でっちあげた全くのフィクション(=虚構・作り話)との新説を紹介した。
@設楽原では当時の銃弾は10数個しか発見されていない。
A当時の鉄砲の射程距離は約100メートル程度だが、武田軍の武将たちが戦死した場所は
馬防柵から500メートル以上も離れている。地形から見ても騎馬で攻撃する場所ではない。
B武田軍が運搬用に多数保有していた木曽馬は体高約133センチ、坂道に強い運搬馬だが、
モンゴル等で多用された戦闘馬ではない。
黒澤明監督の名作『影武者』の最後の場面は今でも鮮明に頭の中に残っているが。
参考資料:
名和弓雄著 『長篠・設楽原合戦の真実 −甲斐武田軍団はなぜ壊滅したか』
雄山閣出版 1998年6月発行
55岡崎市・豊川市一帯
56吉良町−吉良温泉一帯
『忠臣蔵』ですっかり悪者にされてしまった吉良上野介公は実際は名君であった。
精神を病み判断力を喪失していた浅野内匠頭を美化し、江戸市中警察を無視して
吉良邸に武装して集団で押し入り、吉良公を殺害した大石内蔵助一派の行為を、
【武士道の鑑】と称賛するため、歌舞伎、歴史小説、映画、浪花節、講談によって
すっかり悪者にされてしまった。しかし『忠臣蔵』が日本の演劇界・出版界・映画界・
興行界に莫大な利益をもたらした功績は大きい。
57養老山地と揖斐川、長良川、木曽川
58木曽三川公園&東海広場
59木曽三川公園一帯
60木曽三川公園・千本松原一帯:木曽三川公園展望タワーより撮影
千本松原は揖斐川(いびがわ)と長良川(ながらがわ)を分離している水流調整のための
重要な人工堤防である。
今から約250年前の1755年に当時の薩摩藩によって築かれた。
土木機械皆無の当時においては、この築堤工事はたいへんな難工事であつた。
杉本苑子著『孤愁の岸』は「この難工事は薩摩藩にとっては平時の戦さ(いくさ)で
あった」という小説である。
千本松原築堤によって、それまで毎年のように氾濫に悩まされていた
揖斐川・長良川流域の町々や村々は、以後、水害を免れることができた。
この築堤工事は当時の年号にちなんで【宝暦治水】と呼ばれている。
61木曽三川公園・千本松原一帯(国土地理院:空中写真)
62治水神社境内の薩摩義士像
63治水神社
64治水神社境内
65木曽三川公園・千本松原一帯:木曽三川公園展望タワーより撮影
66半田市、碧南市、西尾市
67名古屋港、中部国際空港、知多半島一帯
68名古屋市街〜桶狭間一帯
70桶狭間古戦場跡一帯(国土地理院:国土画像情報)
71桶狭間古戦場公園と史跡桶狭間古戦場跡
桶狭間古戦場跡は2箇所ある。
@名古屋市緑区桶狭間北に「桶狭間古戦場公園」がある。
A名鉄本線中京競馬場前駅の近くに「史跡桶狭間古戦場跡」の石碑がある小公園があり、
地図には「桶狭間古戦場伝説地」とある。
上記赤円で囲った地域全体が織田信長の「桶狭間奇襲」が行われた地域ではないかと思う。
作家・加藤廣氏は近著『空白の桶狭間』(新潮社 09年3月発行)で「桶狭間では戦闘はなかった。
今川義元は木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の謀略に騙され桶狭間山に来た。宴の最中、
雷雨に乗じて突然襲ってきた刺客団にあっという間に殺害された」との新説を披露している。
今川・織田の大きな戦力差、桶狭間の地形、その後の木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)の超異例の
大出世などから考えると加藤廣氏の新説(珍説?)にうなづくことが多い。
72桶狭間古戦場跡一帯(国土地理院:2万5千分1地形図)
73中部国際空港と知多半島
74知多半島
75知多半島南端の羽豆岬と日間賀島
76名古屋港
関連サイト:
志村英盛撮影 空から見た日本各地
視野を広げる、視点を変えて観察する
予習挑戦型へ脱皮して潜在能力を開発する
以上