Grunion Search Status Report 2007 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
|
|
|
|
|
ブルースさんの写真投稿 (http://picasaweb.google.com/mbrewsterabele) | |
“ Photos Search 07 ″
25. 攻撃の推定 7 10月21日(1枚) 模型 24. 攻撃の推定 6 捩り取られた船首.10月2日(12枚) 24. 攻撃の推定 5 三回目の撮影.10月1日(41枚) 23. 攻撃の推定 4 二回目の撮影.9月30日(49枚) 22. 攻撃の推定 3 一回目の撮影.左舷.9月30日(12枚) 21. 攻撃の推定 2 開いたハッチ 9月29日(26枚) 20. 攻撃の推定 1 9月26日(25枚) 19. 探査 2007 チームの写真 9月26日(7枚) 18. ROVの写真.最初の発見時.左舷. 9月25日(6枚) 17. 旅の写真その4 9月13日(11枚) 16. 旅の写真その3 9月11日(7枚) 15. パブロフ火山 9月5日(8枚) 14. 旅の写真その2 9月2日(12枚) 13. グラニオン号乗組員? 8月31日(1枚) 12. 旅の写真その1 8月31日(9枚) 11. グラニオン号 8月24日 PM 08:11(6枚) 10. グラニオン号 8月24日 AM 07:35(8枚) 9. アクィラ号 8月22日(7枚) 8. アクィラ号 8月19日(4枚) 7. アクィラ号 8月18日(6枚) 6. アクィラ号 8月18日(4枚) 5. アクィラ号 8月15日(9枚) 4. アクィラ号 8月14日(5枚) 3. アクィラ号出港 8月11日(3枚) 2. 埠頭での準備風景 8月4日(10枚) 1. ROVと装備の積み出し風景(25枚) | (活動サマリ)
9.14(金)アクィラ号シアトル着。 9.05(水)アクィラ号はパブロフ火山の噴火を見た後、シアトルへ向け航行。 9.01(土) 朝日新聞に続報記事掲載。 8.27(月) アダックへ帰港。 8.26(日) あられ発見できず。 グラニオン号を再撮影。 8.25(土) 強風のため停滞。ROVの補修とキスカ島に上陸して探検を行う。 8.24(金) 一旦グラニオン号のポイントへ向かうが悪天のため探査を断念。戻って霰(あられ)を捜すが発見できず。 8.23(木) 悪天のためキスカ湾内で停滞。撮影映像を精査。 8.22(水) 夜 キスカ着。明日より悪天の予報のため、そのまま探査を実施。 PM11:48 グラニオン号を発見。 8.21(火) アダックにて海上試験。夕方キスカに向け出航。 8.20(月) アクィラ号 アダック着。チーム全員合流。 8.19(日) 乗船者達はアダック着。 8.17(金) 朝日新聞にグラニオン号探査記事掲載。 8.11(土) アクィラ号 シアトル出航。 〜 (シアトル港で出発準備) 8.01(水) ROVがシアトル到着。 ( ミネソタ州ミネアポリスの高速道路橋が崩壊。ROVを積んだトラックは2日前に通過。 ) 7.30(月) グラニオン−鹿野丸砲撃戦から65周年。 7.27(金) ROVを東海岸コッド岬からシアトルに向け搬出。 7.21(土) アクィラ号 シアトル着。 7.10(火) プレスリリース。 |
|
経過報告12月21日 (Posted 2007.12.21 金曜) |
ブルース
リチャード.ベンツ(Richard Bentz) がこの出来事を寄せ集めて、大分上手に詩を組み立てた。 以下に転記する。もし高速回線接続だったら、この詩のムービー版(123Mバイト)がある。 サーバ 999info.net にアクセスして、 Poem.mov ファイルを右クリックしてダウンロードできる。 面白いと思う。
皆心安まれ
|
ブルース 午後 4:19 カテゴリ: 一般
top |
経過報告12月5日 (Posted 2007.12.05 水曜) |
ブルース
(リーダーズ.ダイジェスト誌)
(攻撃の分析)
(ユタカ)
|
ブルース 午後 3:09 カテゴリ: 一般
top |
経過報告11月29日 (Posted 2007.11.29 木曜) |
記念館/行事について、ちょっと考えた。 適当と思われる場所がいくつかある。: ニューロンドン(New London)、コネチカット州 ノーチラス(Nautilus)号記念図書館/博物館 これはグロトン市のエレクトリック.ボート社(Electric Boat Company)のすぐ近くにある。 ここでグラニオン号は建造された。 www.ussnautilus.org クリーブランド市(Cleveland)、オハイオ州をグラニオン号に選択。GATO級潜水艦のコッド(Cod)号はグラニオン号とほとんど同一で、コッド号はクリーブランド市に置いてある。コッド号博物館のメンバーは、 グラニオン号の沈没原因を特定するのに強く参画してくれている。 クリーブランド市は、国のほぼ中央で、関係家族に便利なところだ。 オハイオ州は、Grunion号とCod号[の議案?]を採択している。 www.usscod.org ハワイ Hawaii: ハワイのボウフィン(Bowfin)博物館のチャールズ.ヒンマン(Charles Hinman) は ずっとこのプロジェクトのすばらしい支援者だ。ハワイはグラニオンがアリューシャンに出発した最後の港だ。でも皆には旅行するのに遠くて高くつくところだ。 www.bowfin.org サン.メリー(St Mary)の潜水艦博物館、ジョージア州
St Mary’s Submarine Museum, Georgia:
サン.メリー(St Mary)の潜水艦博物館は、この探査で
グラニオンについての重要な情報や写真を提供してくれた。
ここも多くの家族には便利なところだ。
www.stmaryssubmuseum.com
時期
|
ブルース 午後 4:10 カテゴリ: 一般
top |
経過報告11月 5日 (Posted 2007.11.05 月曜) |
ブルース
皆さんご存知と思うが、マナート.L.エイブリー(Mannert L Abele)という名前の駆逐艦がある。 1944年の4月に進水し、船名はグラニオン号の乗組員を称えてつけられたものだ。 この駆逐艦は1945年4月12日に集中的な(30機)カミカゼ(自殺攻撃機)の攻撃で沈没した。 この時の乗り組み士官だったロイ.アンダーソンが、”沖縄沖の3分間(Three Minutes off Okinawa)”という本を今般書いた。 私の感想だが、類い稀な本だ。 この本はとうとう出版され、以下に24ドル50セント(送料込み)の小切手と住所ほか連絡方法をつけて送れば入手できる。 ジャナ出版 (Jana Press)
それから、スミソニアン番組チャンネルと契約している人は、この出来事についてのテレビのドキュメンタリー番組がある。 題名は”カミカゼの日々(The Day of the Kamikaze)”で、放送日は退役軍人の日、11月11日の9時半から11時のスミソニアン番組チャンネルだ。 この番組チャンネルはごく最近のもので、ちょっとどのネットワーク局で見れるのかは知らない。 |
ブルース 午後 4:38 カテゴリ: 一般
top |
経過報告10月 21日 (Posted 2007.10.21 日曜) |
ブルース
10月18日の講演会 10月18日に私達兄弟は講演会をした。もともと地域の少数の人ら向けのつもりだったけれど、整理しきれない大繁盛だった。関係親族は、遠くはテキサス、アリゾナから、全部で32家族出席した。 レッドソックスのプレーオフゲームと競合していたけど、部屋は満員だった。
模型とモザイク写真
ユタカがボストンに
駆潜艇25,26,27号の司令官
|
ブルース 午後 1:43 カテゴリ: 一般
top |
経過報告10月 14日 (Posted 2007.10.14 火曜) |
ブルース
現在のところ潜水艦の喪失原因についていくつか仮説がある。 それぞれはいわば’副仮説’というものに基づいている。 例えば、”ハッチは水圧の結果、間接的な爆発により開いた。” −これは'事実'とはいえない。まだ、分析と吟味の余地が残っている。 '事実'と言うべきものは、それ以上疑問の出ないことのことだ。 今、何人かの人から詳細な写真と、説明付きの図面を集めている。 これらは、経験者や、懐疑的な人やら、強く関心を持つ人らに、それぞれの人が持つ疑問に答える手助けになると思う。 とはいえ、考慮材料を組織だって集め合わせるのに 、皆さんの時間を取らせまいと思うので、数ヶ月はかかると見ている。 ’副仮説’をそれぞれに関係する証拠と合わせて一覧にして、E-メールを'攻撃分析'のメーリングリストの、 この材料を検討しようと準備している人らに送ろうと計画している。 同時に、適切な情報を得るのに役立つ議論が活発に続くことを期待しています。 |
ブルース 午後 8:05 カテゴリ: 一般
top |
経過報告10月 2日 (Posted 2007.10.02 火曜) |
ブルース
攻撃の推定 6 写真 攻撃の推定 写真6は壊れた船首部の内部を覗き込んだものだ。 現在のところ、船首が捩り取れた原因について、写真に証拠が示されるような仮説はない。 注意して見て欲しいのは、注釈の書き込みの入った写真で、 エド.ウォルソンからのと、’捩り取られた結果(pinched in effect)’と書いたミカエル.ヒューストン(Michael Houston) のだ。
重要な助言があった。
転回点か?
後部電池室のハッチについての追加情報
|
ブルース 午前 7:44 カテゴリ: 一般
top |
デヴィッド.デクレベル 2007.10.03 午前 2:16 |
補足説明だが、ブルースがアルバムの‘Open Hatch’のところにあげた写真のうち、 ’scan0040′ は後部電池室(After Battery hatch)のハッチではない。 これは司令塔上部のハッチで、 ただハッチの典型的な閉鎖機構の例を 見せようとしたものだ。 この写真は1960年代のバラオ級のもので、エレクトリックボート社製のものだ。 |
経過報告10月 1日 (Posted 2007.10.01 月曜) |
ブルース
アルバムの「攻撃の推定(Attack Analysis)5」に3回目の撮影を置いた。 分かりやすくするのに説明。 潜水艦は約14度くらいの傾きの斜面に落ちかかってある。 第一回目の撮影(Attack Analysis 3)は、船首側から始まって左舷を見上がっている。 第二回目の撮影(Attack Analysis 4)は、船尾側から始まって、やはり左舷を下って見ている。 第三回目の撮影(Attack Analysis 5)は、船尾側から始まって、今度は右舷を下り、 それからまた左舷を見上がっている。 |
ブルース 午前 11:55 カテゴリ: 一般
top |