建築設備の教育と技術者資格について

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2000.3.10、第3回環境シンポジウム

建築教育問題における環境工学の課題

 

 建築設備の教育と技術者資格について

 中原 信生 (環境システック中原研究処)

 

まえがき

 この課題に対しては、資格の国際化問題をテーマに行われた1997年度日本建築学会大会研究協議会にて建築教育委員会・教育と資格特別委員会で開催した「日本の建築教育は建築資格国際化にどう対応しえるか」での発言に言い纏めてあり、その後2年弱の期間しか経過していないので事情は殆ど変わっていない。従って本論はそのときの発表論文「設備技術者の資格・資格の国際化・建築教育の多様化」を流用させていただく.但し、本当は、国内外ともこの大いなる変革期において物事は急速に進展改革されねばならないのであり、こと、建築設備教育・技術資格問題にあっては相変わらず既得権益と慣習の保守に汲々としている建設産業の実態、それを支えている行政府庁・建築関連学術団体・業界団体の無策ぶりに、このまま21世紀に持ち越すのかと思うと情けないの一言である。以下の1ページはそれに続く引用論文の補足とも要約とも言うべき、ごまめの歯軋りである.

 先ずは設備技術者側の驚くばかりの責任放棄である.建築設備士なるものの位置付けに憤慨するならば、現今の技術資格制度国際化問題は格好の突破口であるものをなぜ動かないのか?これだけの実力ある設備技術者集団(初期の講習資格取得者は必ずしも該当しない)は海外のPEにもCEにも匹敵する.しかも建築・環境出身者がかなりの割合を占めるというのも特異である.もしかするとビルマルチシステムによって家電化した空調設備の席捲・便乗の前に設計者たることを放棄したのか?

 保証できる品質のプロダクツを発注者に提供することに責任のある建築家(一級建築士)は、この複雑な環境・情報システムの展開と建築設備士の存在を前にして何故に責任義務の分担をしようとしないのか?言うまでも無くこれは設計料の横取りである.そして法制の矛盾である.しかも設備技術者側もこれで法的には責任を負わなくて良い.損をするのは誰か?おとなしくて良心的な発注者である(勿論逆の場合もある).分離発注が勢いづくのは当然である.にも関わらず、ここにもまた、この状態に対応できる統合建築資格者がいない.このような体制で性能発注などできるであろうか?

 世界中どこでも状態はある程度似たり寄ったりであろう.そこでユーザー保護のための品質保証のために制度が発達する.コミッショニングである.多種多様の設備システムのコミッショニングにはそれ相応の専門のコンサルタンツの出現を要請する.そんな人は居ない、と言っているうちにどんどん海外から進出してくるであろう.或いは海外関連工事で大きな損害を蒙るであろう.米国は勿論、気象条件の故に空調設備では後進国と考えられたEU諸国、とくに英国の環境整備は目覚しい.これは技術者資格の正当な評価と教育カリキュラムへのが干渉がその背景にある.

 ISOの圧力が急である.9000/14000、企業が、そして行政が競っての傘をかぶろうとしているのは結局はわが国にそのような、自己(会社)利益でなく、ユーザー(市民)利益のための品質保証が地に付いてなかったことを示している.形だけ揃えて良し、とすれば元の木阿弥になろう.現在、ビル環境設計・ビル制御システム設計のISO委員会に携わっていて、戦略としては勿論、絶対技術としてのわが国の(設計者・メーカー)遅れを痛感する.突如現れたかに見えるISO規格もそのルーツは深い.

 そこで教育である.ビル環境・設備システム技術はその奥行きと間口において広範深遠であるがために一つの技術分野で良くこなしえるものでは絶対無い.建築学は環境工学を、環境工学は建築設備を、建築設備は建築機械・電気・情報設備のすべてを、わが傘の下にあると思っていては駄目である.現実にはどんどんと暖簾わけが進んでいるにもかかわらず、元祖はなかなかそれを認めたがらない.建築教育然り、建築行政然り.建築学会の環境系論文が未だに計画系に包含されているのは象徴的である.変化を認めたがらないところに齟齬が生じ、矛盾が生じてまとまりがつかず、いつのまにか恐るべき硬直と停滞が日本を支配した原因の一つであろう

 日本の建築教育は建築資格国際化にどう対応しうるか

 (研究協議会97’9テキスト)

 

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