MLS1
|
軍刀・刀剣(海外) 13 中華民国 |
|
フライング・タイガーズ(飛虎隊) 日中戦争が勃発した一九三七年(昭和十二年)、日本軍に対して苦戦を続ける蒋介石率いる中華民国軍は、アメリカ軍の義勇軍である飛行隊を受け入れることにしました。戦闘機100機と米軍パイロット100名 、整備士たち200名を受け入れることが協議され、蒋介石も承認したのです。以後、アメリカ軍内から100名のパイロットが志願し義勇軍としてビルマのラングーン近くの空軍基地で厳しい訓練を受けました。厳しい訓練後、厳選された優秀な70名のパイロットと104名の地上要員が、飛行隊を編成し、中国故事に由来する「飛虎」(フライング・タイガーズ)と命名されました。「飛虎隊」はカーチスP-40戦闘機で、加藤隼戦闘隊などの、強豪な日本軍航空部隊と激しい戦いを展開しました。けれども、その後、日米開戦となったので、アメリカ軍にとって、義勇軍の意味はなくなり、一九四二年(昭和十七年)七月三日、「飛虎隊」は解散となりました。解散の日、蒋介石夫人の宋美齢は飛虎隊全員に賛辞を送り、その戦闘を讃えました。 |
写真をクリック! | |
MLS 0012 中華民国・軍高官の軍刀(指揮刀)(実物) 1912年に建国された中華民国の軍高官の軍刀(指揮刀)です。1911年から1925年位までの間に造られたもので、当時の実物です。刀身も当時のままで頑丈ですが、指揮刀なので一応、刃は切れませんが、かなり鋭利なのでご注意ください。刀身に30453と刻印があります。鞘はさびが出ています。刀身もサビが少しあります。中華民国の歴史的な美術品として飾っておけば、希少品なので価値があると思います。全長102.5センチ、刃渡り77センチ、重さ1.4kg。送料はヤマト宅急便60サイズの料金でOKです。 |
|
写真をクリック! |
|
MLS 0004 華振麟贈・中華民国建国26年・短剣 刀身に華振麟贈・中華民國26年と刻印があります。華振麟は中華民国政府の国防部・民用工程司司長に就任した高官の軍人です。中華民国は1912年に建国したので、この短剣は1937年のもの。短剣は鞘が一部腐食しています。刀身はさびが少し出ています。長さ39センチ、刃長24.5センチ。送料はヤマト宅急便で60サイズです。 |
|
写真をクリック! |
|
MLS 0027 中華民国の短剣(実物) 1912年に建国された中華民国の短剣です。1910年代に造られたもので、当時の軍人か政府関係者のものと思われます。国花の梅花の紋章が刻まれています。刀身も当時のままで頑丈ですが、さび、くすみ等あります。刃は切れません。鞘はさびが出ており、一部凹みがあります。古いものなので、傷、ガタツキ等がありますのでご了承ください。中華民国の歴史的な美術品として飾っておけば、希少品なので価値があると思います。全長36.5センチ、刃渡り24.3センチ、重さ340g。送料はヤマト宅急便60サイズです。 |
写真をクリック! |
|
MLS 0031 蒋介石(蒋中正)贈呈の短剣 地元の中国人の業者から仕入れたものです。蒋介石(蒋中正)が士官学校の卒業生に与えた短剣ということです。「第伍期」と刻印があります。第五期生に渡されたものとのことです。柄と鞘に「蒋中正賜」と刻印があります。裏には龍が描かれています。柄・鍔・口金は真鍮、鞘の中は木製です。刀身は鉄で当時のままで頑丈で、さび、くすみ等がありますが、比較的きれいです。刃は切れませんが鋭利なのでご注意ください。家の中で保管して鑑賞なさってください。ストッパーはききます。全体的にかなり古いものなので、ご了承ください。蒋介石総統の歴史的な記念品として保管しておけば、希少品なので価値があると思います。全長42センチ、刃渡り24センチ。送料はヤマト宅急便60サイズです。 |
|
写真をクリック! |
|
MLS 0040 蒋介石(蒋中正)贈呈の短剣(第壱期) 校長である蒋介石(蒋中正)が中国広州の黄埔軍官学校(中華民国の士官学校)の卒業生に与えた短剣です。「第壱期」と刻印があります。第一期生に渡されたものです。第一期生は1924年に入学していますので、今から85年位前のものです。第一期生は三五〇人が入学しましたが、全員卒業したとして、三五〇本の短剣が手渡されたはずです。そのうち戦争で戦死したり、戦争の混乱で失くなったりして、現在まで残っているのは少ないとの事です。柄と鞘に「蒋中正賜」「黄埔軍校第壱期」と刻印があります。鞘の反対側には龍が描かれています。刀身には「軍人魂」と刻まれています(蒋介石は日本の陸軍士官学校を卒業しています)。柄・鍔・口金は真鍮、鞘の中は木製です。刀身は鉄で当時のままで頑丈で、さび、くすみ等がありますが、比較的きれいです。鉄製の刀身は切れませんが先端の10cm位だけは研いであり切れますので指を切らないようにご注意ください。家の中で保管して鑑賞なさってください。ストッパーはききます。全体的にかなり古いものなので、ご了承ください。蒋介石総統の歴史的な記念品として保管しておけば、希少品なので時を経ると価値がもっと出てくると思います。全長39センチ、刀身27センチ。送料はヤマト宅急便60サイズです。 |
|
写真をクリック! | |
MLS 0101 蒋介石(蒋中正)贈呈の短剣(レプリカ) 蒋介石(蒋中正)が黄埔軍官学校(陸軍士官学校)の校長時代、関係者に与えた記念の短剣のレプリカです。柄に「蒋中正賜」、「黄埔軍校」と刻印があります。鞘はプラスチックで上下に真鍮が巻かれ、龍が描かれています。鍔、柄も真鍮で、模様がデザインされています。刀身は切れませんが、ステンレスで磁石がくっつきます。刀身の根元には「中正剣」と刻まれています。全体的に比較的きれいです。蒋介石総統の歴史的な記念品(レプリカ)として洋間等に飾っておけば、インテリアになります。全長45センチ、刀身28センチ。重さ360グラム。送料はヤマト宅急便60サイズです。 |
|
蒋介石(蒋中正)(しょうかいせき) 中華民国の政治家、軍人。1887年に現在の中華人民共和国の浙江省奉化県で塩商人の蒋肇聰と王采玉の間に生まれました。成人後は明治40年日本の陸軍士官学校へ留学し(当時は中村という日本名を名乗っていました)、帝国陸軍にも勤務しました。その後辛亥革命に関わったことで孫文からの信頼を得、後に中華民国の主席となりました。永く中国共産党と敵対関係にありましたが、西安事件により第二次国共合作を強いられ、アメリカやソ連の協力を得て日中戦争を戦い抜きました。1946年からは再び中国共産党との間で国共内戦が勃発。1949年に共産党に敗北し台湾に脱出。その後1950年に台湾での中華民国総統に就任しました。1975年に死去するまで台湾の総統(五期)の地位にありました。台湾では彼は一般的に「蒋中正」と呼ばれています。 |
|
黄埔軍官学校(こうほぐんかんがっこう) 中華民国大総統の孫文が1924年に広州に設立した中華民国の士官学校です。1923年に孫文は蒋介石をソ連に派遣して軍制を視察させ、軍官学校(士官学校)を設立しました。設立場所は広東省広州の長州島にある黄埔(こうほ)に決めました。そこには以前、軍学校のあった土地でした。1924年5月には蒋介石が校長に就任しました。なお当時、同時に周恩来が政治部副主任に就任しています。5月5日、3000名の受験生から選抜された350名が第一期生として入学、6月6日に開校式典が挙行され、孫文が演説しました。一期生は才能ある人材が集まり、後に国民党の指導者となり、国民政府に大きく貢献したので、蒋介石は急速に影響力を増したといわれています。なお共産党の指導者になった林彪もこの黄埔軍官学校の卒業生です。蒋介石は戦後台湾に逃れて後、1950年に黄埔軍官学校を台湾高雄県に陸軍軍官学校として再建しました。 |
|
林芙美子と蒋介石の短剣 「放浪記」の作家・林芙美子は、1938年(昭和13年)、陸軍報道班員として武漢作戦(蒋介石軍との戦闘)に従軍しましたが、その従軍記をまとめた「北岸部隊」が昭和文学全集2「中国への進撃」(集英社)に所収されています。「北岸部隊」の中で、林芙美子は蒋介石の短剣について次の様に記しています。 「街道に捨てられた支那将校の背嚢を私は見ていた。青もめんの袋に、黄色い米が五合ばかりはいっていた。しかも米袋には焼きのいい茶碗がはいっている。長い箸、ブリキの肩章、軍隊手帖、軍官学校卒業記念の短刀なんかがはいっていた。軍官学校卒業記念の短刀はブリキでできていた。金ピカの文字で、蒋先生与うというような文字がつかのところに書いてある。まったく子供だましのようなちゃちな軍刀だった。」 |
中華民国 中華民国は1912年に建国し、1949年10月一日に中華人民共和国が建国されるまで、37年間中国大陸を統治していたアジア最初の共和制国家として歴史的意義の大きい国。なお、1949年10月25日以降、中華民国政府は政府機能を中国大陸から台湾島に移転して、以後実効支配しており、現在の中華民国は、「台湾」である。中華民国は、1911年に武昌で発生した武装蜂起が中国各地に波及した(辛亥革命)後に、革命を支持する勢力が連合することで1912年1月1日に臨時政府が南京に成立した。当初は北京に清朝が残存しており、「二つの中国を代表する政府」が並存する状況にあった。しかし、同年2月12日に清朝の皇帝・宣統帝が退位することで清朝が消滅した為、中華民国政府は名実共に中国を代表する国家となった。当初、臨時政府の国家元首に当たる臨時大総統の地位に最初にいたのは孫文であった。だが、孫文は当時国内で最も軍事力を有していた清朝の軍人・袁世凱との間で会談を行ない、臨時政府を存続させる為に宣統帝を退位させる、事実上の新憲法である臨時約法の遵守といった条件とともに臨時大総統職を彼に譲った。袁世凱は北京において専制体制を強化した。こうした袁の専制への反発から、1913年7月には江西の李烈鈞らが中心となって第二革命が勃発した。しかし、反袁勢力の結集に失敗して鎮圧され、袁世凱が正式に大総統へ就任した。袁世凱が1925年に死去したので、孫文の後継者、蒋介石将軍が中華民国の指導者となった。第二次大戦終結後の1946年中華民国政府と中国共産党との内戦が勃発、蒋介石総統は1949年12月台湾島に脱出した。以後台湾で中華民国総統として五期務め、任期中に死去した。 |
このページのトップに戻る |
|
|
|||||||||
戻る |
華振麟贈・中華民国建国26年・短剣 |
戻る |
|
MLS0031 蒋介石(蒋中正)贈呈の短剣 | |
戻る |
MLS0040 蒋介石(蒋中正)贈呈の短剣(第壱期) | |||
戻る |