<ブラボー、クラシック音楽!−曲目解説#6>
チャイコフスキー「交響曲第6番「悲愴」」
(Symphony No.6, Tchaikovsky)

−− 2005.12.28 エルニーニョ深沢(ElNino Fukazawa)
2006.01.12 改訂

 ■はじめに − 「冬」を連想させる『悲愴』
 05年の新年の例会にはピョートル・チャイコフスキー(※1)の『交響曲第6番「悲愴」』を掛けました。チャイコフスキーはメロディアスで、日本人に好まれて居ます。その理由は最後に述べますが、立ち上げて間も無く新年を迎えた最初は、学校などで誰でも一度は聴いた曲でスタートしよう、という”無難な選択”ではありましたが<冬、そして新年>というテーマを掲げ、新年らしいオペラのアリアと組み合わせてロシアの寒い「冬」を連想させる様な曲という意味も有りました。

 ■曲の構成とデータ
 通称『交響曲「悲愴」』『悲愴交響曲』とか『悲愴』 −単に『悲愴』だとベートーヴェンの同名のピアノ・ソナタと混同される場合が有ります− と呼ばれて居ますが、正式名称は『交響曲第6番 ロ短調 作品74「悲愴」』です。曲は
  第1楽章:アダージョ ロ短調 4/4、アレグロ・ノン・トロッポ
       [ソナタ形式]
  第2楽章:アレグロ・コン・グラチア ニ長調 5/4
  第3楽章:アレグロ・モルト・ヴィヴァーチェ ト長調 4/4
  第4楽章:アダージョ・ラメントーソ ロ短調 3/4
という”少し変わった構成”です。
  ●データ
   作曲年 :1893年(53歳)
   演奏時間:約45〜50分

 ■作曲された背景 − 「追い詰められた淵」から生まれた傑作
 チャイコフスキーの前半生は「チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」」の「作曲された背景」の章を参照して下さい。1877年からフォン・メック夫人の支援と年金を受けて勇気を得た彼は『ヴァイオリン協奏曲』(78年作)を書き上げ、イタリアにも旅行し健康を回復しました。そして85年に再びモスクワに戻り旺盛に作曲を開始し『マンフレッド交響曲』(85年作)、『交響曲第5番』(88年作)、『バレエ音楽「眠りの森の美女」』(89年作)、『バレエ音楽「くるみ割り人形」』(92年作)などの主要作を次々と発表しました。
 しかし13年間続いたメック夫人の支援が90年で打ち切られたことは、金銭面以上に精神的な打撃でした。又、名声が高まるに連れ指揮活動や演奏旅行が忙しく成り、過労が蓄積して再び神経を圧迫し出したのも事実です。そんな状況の中で93年に彼の最高傑作と成る『交響曲第6番』を作曲し −完成した時、彼自身も「最高の出来栄えの曲」と語って居ます− 自らの指揮で10月28日に初演しました。そして弟のモデストと相談し「悲愴」と名付けたのですが...。チャイコフスキーは『悲愴』初演の9日後の11月6日に突然青年期を過ごしたペテルブルクでこの世を去りました(△1のp256)。原因はコレラ(※2)或いはチフス(※3、※3−1)と言われて居ますが、余りに突然な事と最高傑作を完成した直後というタイミングの良さに自殺説も在ります。私が「追い詰められた淵」と題したのは自殺説と関連して居ますが、それについては後で述べることにします。自殺説には賛否両論有りますが、病死説を採る人も結婚生活の破綻状況などから同性愛説は大方 −チャイコフスキーを美化する人々を除き− 受け入れられて居ます。

 ■聴き方 − チャイコフスキーの慟哭を聴く以外に無い
 第1楽章はコントラバスの低い暗い動機で始まり、やがて哀愁に満ちた有名な旋律(=第2主題)が出て来ます。伝統に則ったソナタ形式です。第2楽章は5/4という変拍子(2拍+3拍) −中央や東欧やアフリカなどには変拍子が多い− のスラヴ的な舞曲です。西欧の正統的な音楽を志向し乍ら、この様に民族色が時々顔を覗かせるのが彼の音楽の本質です。第3楽章はスケルツォと行進曲が交錯して現れやがてティンパニとシンバルで白熱します。私が”少し変わった構成”と言ったのは第4楽章です。このアダージョの終楽章は絶望的に暗く「悲愴」の名に相応しい終曲で、最後は絶望の底に沈む様に静かに消えて行き暗示的です。
 それにしても余りにも暗い曲です。「絶望の淵での慟哭」です。死を予感させる暗示的な悲しみが全体を支配して居ます(△2)。

 ■メック夫人との絶交と『悲愴』に漂う「暗さ」の源
 (1)交響曲5番と6番の間の溝
 以上の様な意味から、私は『悲愴』を『交響曲第5番』と聴き比べることをお薦めします。『第5番』に表出されて居た伸びやかな明るさ −明るさと言っても彼特有の憂鬱さを宿して居ますが− は『第6番』では全く消滅して居ます。『第5番』と『第6番』との間には大きな溝が在り、その第1の要因メック夫人の支援打ち切りです。大富豪の未亡人フォン・メック夫人とチャイコフスキーとの関係はストイックな(=禁欲的な)文通のみで、二人は一度も顔を合わせて居ません。彼はこの突然の打ち切りに激怒し絶交しました。しかしメック夫人の打ち切りの理由を追って行くと彼の同性愛の噂を夫人が知って仕舞ったから、という同性愛説に行き着きます。

 (2)信憑性の有る自殺説の登場
 『悲愴』に漂う「暗さ」を更に遡源して行くと、又もや同性愛説に行き着いて仕舞いますが事態はもっと深刻です。チャイコフスキーの死因に対しては自殺や他殺の噂が当時から囁かれて居ましたが根も葉も無い類が殆どでした。しかし音楽学者でチャイコフスキー研究家のアレクサンドラ・アナトリエヴァ・オルロヴァ女史が1978年に発表した自殺説「チャイコフスキーはさる公爵の甥と男色関係を結び、この貴族が当時の皇帝アレクサンドル3世(※4)に直訴したため、公然化防止と作曲家の名誉を守る為の秘密法廷が『悲愴』初演3日後の10月31日に開かれ、チャイコフスキーも被告として出廷した。そこで砒素の服毒自殺(※5)が宣告され、裁判官を務めた弁護士が11月1日に砒素を作曲家に届け服毒が敢行された。」という衝撃的な内容(△3のp122〜123、△4のp62〜69)ですが、作曲家晩年の資料を駆使した主張は緻密で論理的です。
 私はコレラ −チフスでは潜伏期間が長過ぎる− という感染力の強い伝染病で死亡したにしては、隔離もされず死の床に16人が集まり弔問に訪れた多数の参列者が死体に最後の接吻をしたという当時の記事と符合しない、と疑問に思っていたのと『悲愴』終楽章の絶望的な暗さから、自殺説の方が辻褄が合うと前から考えて居ました。又、砒素中毒もコレラと同様の下痢と脱水症状を起す(△4のp69)とのことで、オルロヴァ女史の自殺説には可なり信憑性が有る様に思えます。
 私は秘密法廷での宣告という決定的瞬間以前の『悲愴』作曲中に自殺勧告がチャイコフスキーに届き、その圧力がじわじわと『悲愴』の中に濃い影を落としてたのではないか?、それが『悲愴』終楽章の死を暗示させる絶望感に表出されて居るのではないか?、と考えて(或いは勘繰って)居ます。これが第5番との間の溝の第2の要因ですが、「追い詰められた淵」を一層底無しにして居る様に思えます。
 この辺の真相は兎も角、彼が残した『交響曲第6番「悲愴」』はロシア音楽の最高峰であるという評価は微動だにしません。
    {この節の自殺説は06年1月12日に追加しました。}

 ■結び − 母性本能の琴線を振るわせるチャイコフスキー
 チャイコフスキーもドヴォルザークと並んで日本で好まれて居る作曲家の一人です。それはドヴォルザーク「交響曲第9番「新世界より」」の「考察」の章で述べた様に、やはりヨーロッパ音楽をリードして来たドイツやフランスやイタリアなどのバタ臭い国よりは音楽的に日本と親近性が有るからだと思われます。こういう無意識の裡の音楽嗜好を見ると、やはり私たち日本人はアジア人種の一員だと痛感します。
 又、チャイコフスキーは日本では特に女性に好まれて居ますが、彼のメランコリーなメロディーが母性本能の琴線を振るわせるのでしょう。事実、幼年期〜青年期のチャイコフスキーはマザコン(※6)で、母の死に際しては酷く嘆き悲しんだと伝えられて居ます。

−− 完 −−

【脚注】
※1:ピョートル・チャイコフスキー(Pyotr Ilyich Tchaikovsky)は、ロシアの作曲家(1840.5.7〜1893.11.6)。作風はドイツ・ロマン派音楽の系統を引くと共に、情熱・感傷・憂鬱などのスラヴ的特性を示す。交響曲「悲愴」バレエ音楽「白鳥の湖」「くるみ割り人形」「眠れる森の美女」「ヴァイオリン協奏曲」「ピアノ協奏曲第1番」、歌劇「エヴゲニー・オネーギン」など。

※2:コレラ(cholera[蘭]、虎列剌)は、コレラ菌の感染に因る急性伝染病。コレラ毒の作用で腸粘膜上皮の水・電解質輸送機構が破壊され、1〜5日の潜伏期の後に激しい嘔吐、米の磨ぎ汁状の大量の下痢を来し、強い脱水症状を呈する。重症の者は血圧下降、筋の疼痛痙攣を伴って死亡。元インドの風土病で、19世紀初頭から諸国に蔓延、日本では1822年(文政5)初めて流行した。現在、インド/東南アジアに常在。最近の流行はエルトール型コレラ菌に因るもので、古典型に比べ軽症。ころり(虎狼痢・古呂利)三日ころり。アジアコレラ。(宇田川玄随「西説内科撰要」に記載)。季語は夏。
※3:チフス(Typhus[独]、窒扶斯)は、(typhos[ギ]の「人事不省を伴う熱病」から)腸チフス・発疹チフス・パラチフスの総称。日本とドイツでは特に腸チフスを、イギリスやアメリカでは発疹チフスを指す。病原体はそれぞれ別種であるが従来混同されて居た為に何れもチフスの名称が付いている。<出典:「学研新世紀ビジュアル百科辞典」>
※3−1:腸チフス(intestinal Typhus[独])は、腸チフス菌に因る伝染病。普通7〜20日の潜伏期の後、全身倦怠・寒けと共に発熱。特有の熱型を示し約3週後に解熱。その間、小腸に潰瘍性病巣を生じ、頭痛・食欲不振・舌苔・脾腫・発疹などが在る。下痢・腸出血・脳症などを起す場合も有る。

※4:アレクサンドル3世(Aleksandr III)は、ロシアのロマノフ朝の皇帝(1845〜1894)。自由思想を圧迫し、アレクサンドル2世の大改革に逆行する政策を推進。又、フランスと同盟を結び、経済成長の基礎を固めた。

※5:砒素/ヒ素(ひそ、arsenic)は、(arsenikon[ギ]の「雄黄」という鉱石名に由来)窒素族元素の一。元素記号 As、原子番号33。原子量74.92。灰色砒素(=金属砒素)・黄色砒素黒色砒素という3種の同素体が在る。単体も化合物も猛毒。天然には硫砒鉄鉱(毒砂)・鶏冠石・雄黄(=石黄)・アルセノライトとして産出。空気中で燃やすと無水亜砒酸(三酸化砒素)に成る。用途は、農薬・医薬の原料、化合物半導体・合金の添加剤など。<出典:一部「学研新世紀ビジュアル百科辞典」より>
 補足すると、砒素は古くから漢方や錬金術に用いられ、ヨーロッパでは近世迄「遺産相続の粉」と呼ばれ原因不明の病に見せ掛けた暗殺に重宝されて来ました。又、酸化砒素を使ったサルバルサンは、ペニシリンが発見される前は梅毒の特効薬でした。

※6:マザー・コンプレックス(mother complex)の略。〔心〕母親の考えや言動に左右され易い心的傾向。ユングの用語。多くはエディプス・コンプレックスと同義に用いられる。

    (以上、出典は主に広辞苑です)

【参考文献】
△1:『立体クラシック音楽』(吉崎道夫著、朝日出版社)。

△2:『新訂 大音楽家の肖像と生涯』(音楽之友社編・発行)。

△3:『チャイコフスキー』(寺西春雄著、音楽之友社)。

△4:『死因を辿る』(五島雄一郎著、講談社+α文庫)。

●関連リンク
補完ページ(Complementary):チャイコフスキーの前半生▼
チャイコフスキー「ヴァイオリン協奏曲」(Violin Concerto, Tchaikovsky)
日本人に好まれる音楽の秘密▼
ドヴォルザーク「交響曲第9番「新世界より」」(Symphony No.9, Dvorak)
この曲の初登場日▼
ブラボー、クラシック音楽!−活動履歴(Log of 'Bravo, CLASSIC MUSIC !')


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