益田 元祥(ますだ もとよし) 1558~1640年 享年83歳
20代当主、藤兼の次男、九州征伐で大活躍をし朝鮮出兵でも活躍、そして困っている吉川元長・広家と親交を結び、足利義昭とも仲が良く、領地替えでも毛利輝元を補佐するなどその活躍は万能だった、2万石の財負を抱えていた毛利家を助けるべく黒田考高(官兵衛)を言い負かし、財政難を解決させた1640年9月22日に萩で死亡する、詳しくは益田藤兼・番外編 壱章 弐章 で分かります、1605年には天野元信の「五郎太石」を元祥の人夫が盗むと言う事件が起こっている、自分の家臣の掌握は甘かったようだ。
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