『ソーサリー!』にはいくつかの病が登場するが、今ぱっと思いだせるのは以下の五つである。すなわちシャムタンティに蔓延りつつあるという赤い病、バクランドで罹る可能性がある肺炎と黄死病、女族サチュロスを苦しめる震え病、そしてマンパン砦の便所を発生源とする蠅病だ。
これらの病に対抗する手段はいくつかある。例えばビリタンティの水晶滝の水。そして優れた癒し手による治療。聖人コレタスやジャビニーは手で病を吸い取ることができるし、スヴィンの祈祷師もこの手の技術はお手の物だ。ZEDによる周回を考慮すれば、これらの治療手段はすべての病に打ち勝つことができる。
ところで、我らがアナランドにも優れた癒しの術がある。そう、DOCだ。薬と併用することでその薬効を強めることができる魔法なのだが、なぜか冒険中、アナランドの勇士にはDOCによるこれらの病気の治癒は行えない。不運にも病を患った際、DOCは何故か選択肢として登場しない。しかし例外はある。第一巻において、赤い病に侵された一家をDOCで癒すシーンが存在するのだ。
他人は癒せるが、自身は癒せない。これはどういうことだろうか。当然ながらDOCによる体力回復は自分に効果がある。病気の治療にのみ、この不可解な法則が当てはまるというわけだ。
先に見た病のうち、震え病の症状にヒントがあるように思える。この病は脳に負担を与え、呪文を唱える際の集中を乱す。DOCの通常の効果、つまり体力の過剰回復を狙うのなら問題はおきないが、細かい調整――特定の病を癒すなど――が必要な使い方をする場合、術師には高度な集中が必要とされるという解釈ならば、この現象をうまく説明できるのではないだろうか。
こう考えると、アナランドは魔法使い二人体制で冠奪還に当たらせるのが正解だったのではないかと思えてくる。DOCのみならず、たとえ一人がとらわれようとも、もう一人がDOPを使うことで解放できるなど、何かと臨機応変に立ち回れるに違いない。軍隊では無理でも、二人なら何とかなりそうな気がする。イルクララを舟で渡る際、もしかしたら3人(渡し守がいるので)は乗れないという可能性もあるが、それぐらいしか行き詰まりそうな理由は思いつけない。
北カーレにて、レッドアイによって捕まっている一人のエルヴィンがいる。我らがアナランダーもレッドアイどもによって同じ牢に放り込まれることになるわけだが……どうにかして脱出に成功した場合、件のエルヴィンとは一緒に逃げることになる。
その時の描写によると、二人はしばらく一緒に通りを走り、裏路地を進んでいくとなっているのだが、ここで疑問が生じる。アナランダーは仕方がないとして、エルヴィンには飛行能力があるのだ。レッドアイは人間と同じく地表に暮らす種族である。どう考えても飛んで逃げるほうが安全ではないか?
まあ、看守が眠りにつくような夜中とはいえ、空を飛べば騒ぎになりかねないと考えてのことかもしれない。エルヴィンは恩あるアナランダーを危険にさらさないように、しばらくは目立たぬように振舞ってくれたと考えることもできるだろう。もう一つ思い当たるのは、第一巻でエルヴィンたちに HOT を使った時の描写だ。彼らの「翼」は炎で焼き切ることができる。そう、レッドアイの悪名高い炎の視線で、彼の飛行能力は奪われていたというのは十分にありえそうだ。
『ソーサリー!』における冠の奪還劇については、神々によるゲームであるという考察がある。かの冒険が、地上を盤面に展開する正義の女神リーブラと大魔導が信奉する闇の神々によるゲームであるのなら、我らがアナランダーはリーブラに勝利をもたらした駒であったといえるだろう。
タイタン世界において、人間の存在意義を語る機会はあまりないが、まあおそらくは信奉する神のために働くことは栄誉なことなのではないだろうか。だが、もしもそれをよしとしない異端児がいたとしたら……そしてそれが、かのアナランダーであったとした場合にはどうだろうか? なにしろこの人物は読者の代理人でもある。我々現代人の精神が強く作用しているのであれば、ただただ神に利用されることを面白くないと感じていても不思議ではあるまい。
さて、リーブラの益とならずにゲームをクリアするとなれば、これはリーブラの信徒であることをやめてしまうしかあるまい。リーブラの徒ならぬ者が普通に旅を進めていれば第四巻で詰まることになるが、これはZEDを使えば解決できる。一度女神の助言を経たのち、時をさかのぼって棄教することでクリアは可能だからだ。新Ver.においては、魔法使いで遊んでいる場合にはラストバトルでリーブラが助けてくれる展開となっているが、実は棄教していても問題がない。システム的にZEDによる時間巻き戻しのフォローがされていないといえばそれまでだが、ゲームの最終局面において女神が己の関与を示すためと捉えることもできよう。つまり、我らがアナランダーが本気で女神の駒であることから逃れるには、戦士で挑む必要があるということだ。
棄教するにも、注意しなければならない点がある。ゲーム中でリーブラ信仰を捨ててなお冒険を続けられるチャンスは二回。カーレでスラング信徒になるか、あるいはバクランドでスロッフの信者になるかだ。スラングは悪意の神であり、スロッフは善の神々に属する大地母神である。二柱のうち、スロッフは七匹の大蛇が一匹、地の蛇とつながりがある……大魔導が力を借りている神でもあるのだ。スロッフ信徒が冠を奪還したのであれば、冠の所属はマンパン側のプレーヤーから移動しないことになる。見方によってはマンパン側の勝利とも言える。では、スラングだとどうだろう? スラングは確かに悪意の神ではあるが、カーレに勢力を広めているだけでマンパンとの繋がりはなさそうだ。もちろんアナランドやリーブラとも関連していない。第三勢力に冠を奪還する栄誉を与えたのであれば、盤面は均衡したままで勝者は存在すまい。
神々の駒としてゲームに参加しながら、己の意思でどちらのプレーヤーの勝利にも貢献せずに、事態だけは解決する。これこそ神の手を離れ、何者にも縛られることのない一人の人間としての勝利といえるのではないか。