8月19日(火)ジャララバード・はじめて家を訪ねる

 昨日、ウィスキーを飲み過ぎた。頭痛。いかんいかん。朝、涼しくて気持ちいいが、私は飲み過ぎで、ああ、いかんいかん。禁酒のはずのアフガニスタンで、これはなんということ・・・と頭を抱える。でも、平気なふりをする。

 昨日、ダライヌールの予定が延びると言われた。8月19日はアフガニスタンの独立記念日。3日間、学校が休みになると、急にわかったそうだ。行けないという。私はいったい何をしたらいいのだ?という気持ち・・それで、きっと飲みたくなったのかな?(言い訳)・・・道ばたの子どもと遊んじゃいけない。宿舎の前には公園があり、子どもが遊んでいる。その子どもたちと友達になってもいけないの?ストレスがたまる。カブールとの行き帰りとの間で、とっても多くの人々を見た。修理工の少年。トラックの運ちゃん・・・みんな普通の人々ではないか?

 そして今日は休日。図書館もお休み。今日も子どもたちに会えない、子どもたちに絵本を話せないのならば、どうして私がいる意味があるのだ?と、うずうず思う。えぇい!今日は、どうしても、子どもたちに会ってやるぞ!と思う。

 私が鼻息荒く、今日はどうしても子どもたちを相手に絵本を読んで試してみないことには、大人に対してのワークショップなんかできない・・・と言うものだから、エリさんが、オフィスの隣に住むショキドール(警備兼雑務の仕事)さんの家の子どもを呼んできてくれるが、なんとまだ小さい。2,3歳である。これを、この鉄扉の中のオフィスに呼び込んだら、怖がるに決まっている。泣きそうな顔をしている。これじゃだめだと思ったが、仕方ない。1人だけ12歳くらいの女の子もいた。彼女や他のスタッフたち、ジャビットなど男4人ほどが、私が「おおきなかぶ」を話しながら、カブを引く真似をするのを面白そうな顔をして見ている。もう、こうなったら大人相手でもいいや!と思って、お髭の大人相手にも話す。子どもたちはキョトンとしているが、後で聞いたら、なんと彼らはパシャイなのだそうだ。がくがく・・・アローコシェ?(これなーに?)というと、やっとわかったような顔をした。子ども相手に話したとは言い難いが、ショキドールのおじいさんが、にこにこして見ていてくれたのが、とても力になった。

 すると、ショキドールの1人、ジャビットが、「ぼくの家に子どもがいるよ」と言ってくれた。「行くか?」というので、私は「行く行く行く行く!」と、連れて行ってもらうことになった。

 車を待つ少しの間も、半開きの鉄扉から、私はなるべく首を覗かして、道を見てみたい。そうすると「もっと中にいた方がいいですよ」と怒られる。

 車でジャビットのところまで送ってもらう。宿舎の向こうである。オフィスからも遠くはない。土壁の間を入っていき、小さな布をかけた扉を入ると、そこが土壁に囲まれた彼の家だった。いるいる!女の人たちが、柔らかな顔をしている。壁に囲まれたその中の空間は、入ったとたん、気持ちのいい柔らかな空間だ。女の人たちはふくよかで柔らかな微笑みを浮かべ、外で見るブルカをかぶった女性たちの、人をよせつけない・・というような感じが全然ない。みんな自然体で、普通の人たちだ。

私は一生懸命、パシュトゥ語、そして辟易しながらパシャイ語で、絵本の言葉を練習したというのに、この家族はダリ語を話すそうで、本当に、アフガンの複雑な民族・言語模様にはイヤになってしまう。ここはパシュトゥ語を話す地域なので、パシュトゥ語ももちろんわかってくれるが、「何度もダリ語は話さないのか?」「日本ではダリ語の学校はないのか?」(私が日本で学校に行ってパシュトゥー語を習ったと思っている)と言われた気がする。

 はじめに、ゲストルームに通される。ゲストルームはどこでも、絨毯が敷いてあり、枕が並べられている。そこにゆったりと横座りして寝転がるのが、ここ風なのだろう。子どもたちがくる。最初は全然わからなかったが、後でわかったことは、ジャビットのお姉さんの子どもたちが9人。結構な年齢に見えるのに、まだ小さい子もいる。一番大きい女の子がルビネ、息子ジャカル、そして続く小さい女の子たち・・・ネシベ、ワシラ、ラヤネ、マディナ、バスミナ、マリナ、アールン。そして、ジャビットには2人の息子、ジャワッドともう一人まだ小さい子がいる。

 娘たちが、大きなうちわで私を始終扇いでくれる。これがお客へのサービスなのだろう。ずっと扇いでくれる。申し訳ないけど、暑さの中、風は心地よい。

サルの人形、おおきなかぶ、そして、ガンピーさん、さんびきのやぎ・・の絵本を使って、パシュトゥ語で一生懸命話した。子どもたちは大きな目をさらに大きくして聞いている。
絵本で使う言葉以外の言葉はわからないので、言葉が通じないけど、あれこれ話してくれる。小さなお庭には、バナナ(ケラ)、ザクロ(アナール)、アンジル、オレンジ(ナレンジ)が植えられていて、そしてグワ(牛)が一頭、草をはんでいた。土壁の下には、牛用のワハ(草)が置いてある。向こうの壁のところには、土で作られたかまどがあり、奥さんが働いていた。奥さんは碧眼だ。今度は外の木陰に「ケーレケーレ(座れ座れ)」という。そして、「シュトレイシュイ(疲れた?)」と気を遣ってくれる。

 すると、お姉さんとよく似た女の人がやってきた。ジャビットが、ズマ・モルトだという。お母さんだ。バザールから帰ってきたのだと、汗をかいている。お母さんが来たからもう一回お話をしよう・・・・と、再び、カブと、ガンピーと、三びきのやぎのお話をやる。ガンピーさんのお話の時、ルビネが「ラゼ」と答えてくれて、うれしかった。お母さんは、ホウホウと頷きながら聞いている。

 手をたたきましょう、パンパンパンをやる。ペシャワールほどではないが、二度めに一緒にやろうというと、女の子たちが恥ずかしげに一緒にやってくれた。

 土壁の向こうから顔がのぞいていた。女の子たちの顔だ。土壁は向こうの家へとつながっているのだ。向こうからこっちを見ている。のぞいていいよ・・・というので、上ってみて向こうをのぞくと、美しい女の人が赤ちゃんを抱いていた。鼻ピアスをしている人もいて、顔つきが、こちらのジャビットの家の人とはまた違うように思えた。写真を撮ってくれという。子どもも目の下に黒いラインを入れ、白い帽子をかぶらせてやってきた。お母さん本人は本当に美しい人だが、カメラの方を見ようとしない。彼女たちは来い来いというみたいだったけれども、ジャビットはノーノーというので、行くのはやめて、そして、壁のこっち側で、絵本を話した。その後、サンデレ(歌)というので、また手をたたきましょう・・・をやった。土壁からのぞいた顔が、大笑いしている。

 この女の人たちにとっては、とてもへんてこな人の訪問だったろう。外の世界とのあまりにも違う小宇宙。お母さんたちは、この壁の中にいて、子どもたちも中にいて、そして、壁の外には男がたくさんいて、男は他の家の壁の中には入れなくて・

 壁の中の、日だまりのような明るく平和な空間。果物の木々が風に揺れ、牛が草をはむ、そんな自然が小さく凝縮されたような空間だ。ここには女たちの笑い顔がある。でも、それはあまりにも小さな空間。外から閉ざされた空間。一歩、壁の外に出る時、彼女たちはブルカの下に身を包み、顔は見えなくなる・・・・・

 約束の時間、車が迎えにきた。子どもたちに見送られて車に乗る。道はもう女が笑える空間ではない。

 お隣同士は女の人同士は知り合いで、行き来があるように思えたが、男の人は、お隣をのぞくなんていうのは、とんでもないことで、殺されかねないそうである。

 ここでは、やはり男が女の人に笑いかけたり、からかったりするのは、文化に反することだそうだ。女も知らない男に笑いかけたりするのは、とても尻軽的な行為だそうで、「こいつは、何でもオッケーなのだろう」平気でさわったりするそうなのである。それは女が甘い顔をするからいけないのだそうだ。いったいどんな顔したらいいのかな?いちいち戸惑ってしまうのである。

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