8月20日(水)ジャララバード・図書館で子どもたちに会う
朝、磯部さんが私の顔を見て、なんか違うという。どこかうれしそうな顔をしているのだそうだ。私はこもっているのが本当にダメらしい。こんなに外に出られないのがアフガンだとは思っていなかった。それが、今日やっと、図書館の子どもたちのところへ行ける。・・・そんなのが顔に出てしまうのだろう。ずっとオフィスにこもって会計をしている彼にはほんとうに悪い話なのだけど・・・・・
朝、コミュニティライブラリーへ。ハニーフとカビールとシマとバトゥーが一緒に行く。子どもたち、女の子たちが、次々にやってくる。子どもたちが次々と、顔をのぞかせ、現れるというのは楽しいものだ。女の子たちが前に陣取り、男の子たちは遠慮がちに後ろにいる。
おおきなかぶ、ガンピーさんのふなあそび、さんびきのやぎのがらがらどん・・・彼女たちの目。熱気。
こんな女の子たちのエネルギーがじきに、ブルカの中に包まれてしまうかと思うと、なんとも痛ましいような気がする。そんな中で、このような活動をすることが、どんなにやっぱり大切か?という気がした。ハニーフさんとカビールはなかなかいい人材のように見える。ハニーフさんのあの落ち着きと哲学的雰囲気もよし、カビールのあの一生懸命さ、子どもたちに向かう一途さもいい。ただ、バトゥーはいささか、あの傍若無人な自分勝手な(本人の)子どもぶりには、少々うんざりした。私が子どもに対して一生懸命お話をしているその最中に、ところかまわず「ところで、ハローは日本語でなんていうんだい?」と尋ねてくる。しかも何度もだ。いい加減にして!
狭い建物の中で、ストーリーテリング、そして、それぞれ読書の後、外で、子どもを遊ばせている。一つは、瓶に石かなんかを入れてがらがら鳴る音を出し、それをもう一人の目隠しをしたオニが、ガラガラという音を頼りに捕まえるというもの。それから、綱引きみたいなもの。ハンカチ落としみたいなもの。ここでは、女の子たちが遊ぶ時の方が勢いがある。男の子の、片足けんけん喧嘩みたいのは、さすがに闘士の戦いのようで、迫力があったが・・・。
カビールのストーリーテリングは、すべてを説明した後に絵本を開き、再びお話を熱狂的にする・・という感じであった。一生懸命さは伝わってくる。お話はぎこちないが、子どもに対する真摯な態度がわかる。子どもに対する人は、テクニックではなく、やはり、その人そのものである。だから、彼は今、決してテクニックが上手とかではないが、でも、いい・・・・と思った。彼の(大人に対してとか、所属団体に対してではなくて)、子どもに対することに価値を置く、真摯な姿勢に、同感した。
女の子たちが、本を持ってきて、読めるか?と聞く。ウルドゥーという。「私、読めないよ。あなたが読んでよ」と言うと、彼女たちも「読めないよ。ウルドゥだもの」と。そうか、ここにあるタイトルのうちの本当に一部が、パシュトゥなのである。文字があのミミズのはいずったような文字で、私には全部同じに見え、私には違いがわからないのだが、大部分が、ウルドゥーかペルシャ語であり、彼女たちも読めない言葉なのか・・・と思う。パシュトゥ語の本は、BBCが製作した絵本とかの数タイトルしかない。他のイランのペルシャ語や、パキスタンのウルドゥー語の本。パシュトゥー語は指で文字を追いながら読んで、お話を説明してくれた。それはなんと、ALitteleRedHen(赤いめんどり)であった。アフガンの話だというが、同じような話があるのだろうか?こちらのバージョンは、ネズミの代わりにアヒルになっている。ページ数がとても多く、絵はたいして変化のない絵がだらだらと続く・・・のがこちら風のようだ。こんなに分厚い絵本作ったら、印刷代が大変だろうなぁ・・・などと思ってしまったが、こちらでは、パッパッパと絵で展開がある構成がいいとは限らないのかもしれない。
静かな顔をした少し年上の女の子がいた。鼻が長く高い。(隣の大家の娘だったが・・・)一人静かに本を読んでいる。こんな女の子たちにとっては、本当にはじめての世界が広がる思いなのじゃないのかな。その上、今日はへんてこな日本人が来ているのだから、きっとうれしかったに違いない。帰る間際に、子どもたちが次々に、あられの揚げ菓子のような袋菓子をくれた。次々と、私の手に4つの小さな袋。私に小さなリンゴをくれた子もいた。服を見ても、決して裕福ではない子どもたちだ。その子たちがくれるのだから、うれしかった。バンビナイにいた最初の頃、モンの子どもたちが、私にアメやサトウキビを次々にくれたのを思い出した。
「明日も来てね、明日も来てね」と言われる。
本当は、何日もいて、子どもたちの名前も覚えて、そして、絵を描いて変化を見て・・活動を育てていく・・・・そんなことができたらいいのに、そうはいかない。あと、数日で去ってしまうのだもの。
そんなことを思うと、やはり、自分が5年間働いたタイの難民キャンプ、バンビナイでの活動がとてつもなく貴重だったと思えてくる。私のすべての始まりであり、私はそこから抜けられない。でも、もうその場所はすでになく、私の懐かしい人々ももうそこにはいない。
ここに子どもたちがいる。この子どもたちとは、一瞬の出会いに過ぎないけれど、この一瞬、今日という一瞬が重なって、子どもたちが大きくなっていく・・・ことを考えると、なんとか、このアフガンでも、この子どもたちにとって、このコミュニティ・ライブラリーという場が貴重な時間を重ねる場所となればいいな、と思う。
昨晩のニュースで、イラクのUNの建物に爆弾車に突っ込み、UNの職員が亡くなった・・というのが大きなニュースになっている。イラクと近い?(そりゃ、日本よりは近いが・・)から、日本では、やはり心配しているだろうなぁと思う。ここにいる人にとっては、他人事でもない。
朝、SVAのオフィスに入る時、斜め前に銃を抱えた男たちがいっぱいいた。あのダボダボ服のチョッキの下に、弾を入れたような袋を腹巻きのように巻いている。市川さんの話では、あれはNGOの人々なのだそうだ。アフガンのNGO?は、あのように武装しているグループもあるらしい。武装している人の姿を見ても、イチイチは驚かないが、そんな必要があるのだろうか?武装していて、銃を持っているということは、それを使うということなのだろうか?そんな必要がなかったら、持っていなくてもいいもんなぁ・・・と思う。やはり、銃を実際に使うのを見たことのない、平和ボケの私には、それがどんなに恐いものかという実感すらわかず、状況がよくわからないのである。でもなぁ・・・・確かに、武装軍団があんなに、町でたむろして井戸端会議やっているんじゃなぁ・・・・と思う。
夜、マデラというフランスの団体の、ジャッドという人ご飯招かれる。御飯はさすがフランス!おいしかった。ジャッドが誘いに来た時、「ぼくたちは、実はその日は予算の締め切り日、デッドラインなんだ」と、市川さんが言うと、彼は「どっちにしても夕食は食べなくちゃいけないだろう」と、陽気に招いてくれた。私たちが遅くなったので、彼は夜8時頃、1人で歩いて迎えに来てくれた。彼は黒人であり、ここでは目立つわけだが、以前は平気で自転車などに乗っていたそうだ。そうしたら、一度宿舎に手榴弾が投げ込まれたとか?やはり、ジャララバードは危ないのだろうか?私にはよくわからない。