8月27日(火)再び、ペシャワールのACC(アフガン・チルドレン・センター)
ACCのこの約10日間での変わり様にびっくり。まず、ディアナとシェキバがすでに手作り絵本を作っている。ディアナのは、「コロちゃんはどこ?」をヒントにして作った、自分でめくって楽しむ絵本。シェキバは、自分でお話と絵を描いている。今、2冊目に取りかかっているが、なかなかアフガンの雰囲気を出していていい。この短期間での、この発展ぶりに、本当に目を見張る思いだった。
この前は、たいして図書室が使われていない雰囲気だったのに、もうすでに、子どもたちがなじみで入っている・・・という感じである。
隣のクラスでは子どもたちが授業をしていたが、図書室には、少し大きめの、きわめて積極的な女の子たちが集まっている。私は、この前残していった絵本を、ディアナに英語で説明しながら、ディアナから子どもたちに話してもらう。そのうち、隣でクラスを教えていたナディラもやってきて一緒に聞いていた。私が「てぶくろ」を話そうとすると、子どもたちが、待ってました!とばかりに立ち上がる。なんと、すでに「てぶくろ」のペープサートができているのであった。動物たちは、絵本を真似てディアナが描き、私がここに置いていった割り箸をすべて使って作っている。布を縫って、大きな手袋もできあがっていた。女の子たちは嬉々として演じてくれたのだった。
この短期間で、これだけ作ってしまう、この勢いはすごいと思った。また、この前見せただけのサルの人形も、自分たちで工夫して、同じような形のでかいのを(パピという名前がついていた)をすでに作っている。恐れ入った。
子どもたちが歌をうたってくれる。手を振り上げ、歌うその姿は、あのジャララバードで見た、ブルカをかぶる女性になる・・・こととは、どうも相受け入れられない姿に見える。女の子たち、マスーダ、ファラザーナ、ナシィバ、スメーラ、ナズィア、ハティマ、パーリ、ロキア、アベダ、ナゼカ・・・みんなエネルギーの固まりみたいな子たちだ。
ディアナは昼休みになると、私に日本語のアルファベットを教えろという。そして、必至になって、ひらがなを全部写すと、それをたどって自分できよこだの、いちかわ・・だの書いてみる。(いちかわは「いちこを」になっていたが)。私が途中で教えようとすると、「待って、教えないで。自分で書く」と、必至になってひらがなを書いていた。その興味津々、新しいものを得ようとする姿を見たら、この大人になった彼女は、あの子どもたちの延長なのだ・・と思った。
ディアナやシャキバも、みんな「やりたい、知りたい」という、子どもたちと同じエネルギーを持っているんだと思った。女の子たちのエネルギーは大人になって消えてしまうのではなく、ブルカの中で消滅してしまうのではなく、きっとずっと身体の中で渦巻いているに違いない。彼女たちは、こういう職場で働くことで、エネルギーを取り戻し、また少しずつエネルギーを増やしているのかもしれない・・・そんな風に思えてきた。
男の子たちは、ドラマを演じて見せてくれた。写真を撮りにこい・・・と呼ばれ見に行く。ヌルラマンが指導したらしいが、医者が誤診をして、男の子を死なせてしまう。死んだ男の子は運び出され葬られる。患者は取り違えられていたらしく、男の子の親は、子どもが死んだことを知らなかった。その後、間違えがわかり、子どもの遺体が再び墓から運び込まれ、みんな死体に取りすがって泣き、父親は医者を、どうしてうちの子を殺したんだ、と殴る。医者は謝る・・・というような、子ども劇とは思えないような筋の劇だが、やはりアフガンは、本当に死が身近なのだろう。死が平気で出てくる物語がすごく多いし、子どもたちも死体に取りすがって泣く姿なんかを見ているに違いない・・・・結構真に迫った演技であった。