2013年4月22日(月) 今日から自主トレ

 今日から子どもたちは、踊りの自主トレ。学校は4時までなので、5時に集まって、1時間、みんなで練習する約束をした。
「来ない子は舞台に出られないからね・・・・」
 みんなが集まったのは、5時過ぎだが、いつもはダーラダラダラダラしている子どもたちが、先生が来ていた昨日よりも、みんな一生懸命
「ちょっと、そこ、右からでしょ」
「それは、こうやって手を動かすんだよ。ミーの踊りは固いから、ほらぼくのを見て」
 などと、友達の踊りを直したり、それぞれの動きを確認したり、大声でやりあっている。いつになく真剣。
 昨日は、やけに動きが固くてやる気がなさそうに見えたブンスムも、ずっと動きがいい。
「この子たち、やる気になればできるんだよな。問題は、最後までやり抜くか…だ」
と思いながら見ている。
 今度の土日に、文化ホールである舞台劇、「クンルーナンウア」の劇が始まる前の前座で踊るのだ。文化ホールと言ったら、今ラオスでは一番大きなホール。子どもたちの中でも行ったことのあるのは、学校でも踊りで選ばれる男の子ジョイーだけだ。他の子は行ったことも、どこにあるのかも知らない。
 しばらく図書館に来なかったユイが、今日は赤いパンツ、ピンクのシャツでさっそうと現れ、
「どうしても私を出してくれなきゃ!」と言う。
「だって、あんた昨日もおとといも来なかったじゃないの」と渋ると、
「だって、知らなかったんだもの。どうしても踊りたい」
と言い張る。ということで、ユイも加わり、11人の子ども(と言っても、11歳から18歳くらいまでの年代)が、練習をはじめた。
 中学生から、小学校で中退した子まで…ごちゃまぜチームである。なかなか夢をもちにくい環境にいるこの子たちなのだが、この子たちに、「やった!やりとげた!」という自信を持ってほしい。
 文化ホールなど普段は行く機会もない、きっと親も文化ホールなんか行ったこともない…そんな子どもたちである。きらきらした大舞台だ。思い切り、大舞台に立ってほしい。そして、思い切り「やった」という気分を味わってほしい。そのために、あと数日、頑張って、練習するんだよ!がんばれ!



自主トレをする子どもたち。犬のパンダが、いつも図書館の出来事の中からはどかない。
一番愛想が悪い犬のくせして、図書館の子どもたちの中にいるのが大好き・・・・子どもたち、いつになく真剣。最後までやり遂げてほしい。



2013年4月21日(日) 魚がやってきた


 
朝、ボランティアで来てくれているアナチャックが図書館の掃除をはじめた途端、「きよこさ〜ん」と呼ぶので、出てみると、30センチはある大きな魚を腕にかかえ、
「この魚が図書館の前にいたよ」と言う。まだ生きている。
「なんで、こんな大きな魚が、ここにいるんだろう? 昨日雨は降ったけど、魚がまさか前の川からはねてきたわけじゃあるまいし・・・・」
 不思議に思いながら、家の前にある小さな池に放した。メダカほどの小さな魚の中で、とても不釣り合いな居場所だが、仕方ない。いったいどこから来たんだろう?アナチャックは
「スープにするとおいしいよね。その魚」と言っている。

 さて、しばらくして、図書館に行くと、アナチャックが、
「でも、やっぱりおかしいよ。こんなところに魚がいるわけがないもん。もしかしたら、何かの化身かもしれないし・・・・・ぼくは、図書館が終わったら、メコン川にあの魚を放しに行った方がいいと思う。それでもいいかな?」
と真剣な顔をして言う。
「アナチャックが見つけた魚だし・・・・私はそれでもいいよ。やっぱり、そのケ、化身かなんか?」
と言うと、
「だって、ここに魚がいるのは変だよ。魚を川に放して、その後、しばらく魚を食べちゃいけないんだよ」
と言う。ラオスの人たちは、徳をつむ・・とか、厄払いをするときとか、魚や小鳥や・・生き物を自然に放し、そしてその放した種のものをしばらく食べない…ということをする。
「まぁ、それもそうかもしれない。いったいどこからこの魚が来たか不思議だし・・・・メコン川に放してやった方がいいだろう」
と、思う。あの魚、その化身?まさかね・・・と、池をのぞきに行くと、さっきはまだ泳いでいた魚が白い腹を出して死んでいる。大急ぎで図書館に戻り、
「アナチャック、魚、死んじゃったよ」
というと、彼は、「えっ?」と言った後、突然、満面の笑顔になり、
「じゃあ、食べよう!料理だ料理だ。ゲーンソム・パー(魚の酸っぱいスープ)だ!」
と言うじゃないか。
「えっ?構わないの?何かの化身・・・とか・・・」
「ボペンニャーン!(大丈夫)、食べよう食べよう」
と、結局、図書館スタッフのカオさんが料理して、踊りの練習をしている子どもたちも含め、10数人で、魚のスープを食べたのでした。おいしいスープだった。魚は卵を持っていた。

 夜、昼間はでかけていた夫に、その話をして、
「で、食べちゃったわけ。でも、不思議だよね。いったいどこから来たんだろう?」
「うーん、もしかしたら、隣の家(同じ敷地内に、親戚の家がある)の魚池から跳び出たのかもしれないよな。あの魚は、この前田舎から来た親戚が持ってきた魚じゃないかな・・・・でも、わかんないな。20メートルも、魚が土の上を移動したのかな…」
「魚ね、卵もってたよ」
「ふーん、雨だったし・・・・跳び出てから、水を求めて移動していったんだろうなぁ…・」


 
 魚は、お腹に卵を抱えて、最後まで必死に生きる努力をしていたんだろう・・・・そんなことを思うと、少し哀れなような気もした。でも、魚が必死の努力をして、図書館に会いにきてくれたことは確かで・・・・いただきました。魚さん、ありがとう。ごちそうさまでした。
 

関係ないけど、図書館の常連、ヌンとうちのメリー。ヌンはメリーが大好きだ。
抱いたり、ひっぱたりしたい。でも、一度メリーが、嫌がって、ヌンに吠え付いたら、ヌンは目にいっぱい涙をためて、「メリーなんか、うちのお父さんに言って、首切ってもらって煮て食べてやる」と言った。まったく・・・「あんたが悪いんだよ。メリーだって、嫌なことがあるんだから」と言ったが・・・・これ、割とラオスの子としては、当たり前の感覚なのかも・・・・


2013年4月7日(日)

 子どもたちが、踊りの稽古をしているが、ちゃんとした指導者がいない。
 やっと昨日、夫の友人の奥さん…芸術学校を出た踊り手…と、その妹分が来てくれた。
 まずは、子どもたちに、指や身体を柔らかくする準備体操・・・ それを一緒にやってみたが、それだけでもきつい。ラオスの踊りを見ていると、全然大変そうに見えないのだが、実は、その基礎は大変なのだな・・・・と初めて実感する。踊りの先生たちの身体を見ていると、背筋がピンとのびて美しく、なるほど、やはり、なんでも本格的に取り組むということは、違うのだなぁ・・・と思う。

 さて、子どもたち、初めて踊りの先生に習う。
「わぁ、身体が痛い」などと言いつつ、嬉しそうだ。





 やはり、ちゃんと習うということは、違う。



 白いシャツが踊りの先生。まだ学生だろうが、背筋の伸びから目から違う。

 今日は、昨日よりもずっと動きが美しくなった。
「ここがわかんない」とか、ちゃんと子どもたちも尋ねているあたり、やはりいつもよりずっと真剣だ。
 これまで、踊りが好きでも、先生について習うなんてことはなかった子どもたち。
 なんとか、人前で舞台に立てるくらいまで、頑張ってほしいものだ。



 踊りグループの中の一人、ポック。小学校3年生だが、一番身体が小さいのがポック。
 図書館の裏に住んでいる。
「お父さん、タイに働きに行ってるの。お正月には帰ってくるんだよ」と言う。
 お母さんは離婚して、下の弟を連れて出てしまったため、ポックは1人ぽっちで、今、お爺さんおばあさんと、おじさん夫婦と一緒に住んでいる。酔っ払いのお父さんだったが、タイに働きに行っていないのは、やはり、さびしいのだろう。ことあるごとに、
「お父さん、お正月には帰ってくるの」と言う。
 昨日の午後は、図書館で、私のひざを枕に寝そべったり、あれこれ、本を話してくれ…と持ってきたりする。元気そうに見えてさびしいんだろうなぁ・・・・でも、ここら辺の子どもたちは隣近所の家に勝手に出入りするから、家の中で一人ぽっちということはない・・・・から、いいのかもしれない。

 この図書館も、そんな子どもたちの「自分の居場所」でありたいと思う。

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