1月11日  竹富島

 

 竹富島2日目。私以外の人々はみな帰ってしまった。

 朝、コーヒーが飲みたい。あちこち歩き回り、やっと「あさひガーデン」という、家の片隅が店になっているところでコーヒーにありついた。ちょっとごっついじいさん。さっきまで大声で電話で話していた・・・・が入れてくれたコーヒーを飲む。じいさんは、自分にもコーヒーをつぎ、片パンの袋をあけると、私にも一つくれた。目の前は小学校。子どもの声はしないが、建物は新しい。いったいどのくらい子どもがいるのだろうか?

 片隅に植わっている花々が鮮やかで、つややかに美しい。

 コーヒーを飲み終え、道なりに歩く。犬の見つけた井戸だの、牛岡(ンブフル)などがある。この牛岡が竹富島で最高峰だそうである。牛が一晩にして押し上げたというその岡は48メートルとか。岡というにもあまりに低いが、上っていくと家があり、その上が展望台になっている。人はいるらしいが・・・入場料100円を缶の中に入れて勝手に上っていいようだ。平らな島が一望できた。島の回りは当然、海。

 ンブフルから星砂のあるというカイジ浜に向かう。その途中の小道・・・木々の緑が本当にきれい。葉がつやつやと光っている。丸みをおびた肉厚の葉が、空に向かってついている。こんもりとした緑がいいなぁ・・・と思って歩いていると、ナントカ御獄であった。鳥居がある。その傍に立て札があり、生えている木の種類が書いてあった。ふくぎ(おとぎりそう科)。てりはぼく(おとぎりそう科)。てりはぼくだと思うのだが、ピンポン玉みたいな緑色の実がついていた。これがモンパの木なのだろうか? 

 鳥居の奥へ道を入ってみた。奥にはお社というのには、あまりに簡単なコンクリの建物があった。三方壁があるだけだ。何を奉ってあるわけでもなかった。(私の目には見えなかった・・・と言うべきか)。お供えの茶碗が倒れている。ほぉっと静かな空間。不思議だな。目に見える何かを奉るわけでもなく・・でも、妙に落ち着くような・・。きっと何か大切なものが宿っているのかもしれない。不思議な空間。

 カイジ浜で、星砂は見つけられなかった。今の季節、人もあまり来ないだろうに、売店が出ていた。少し離れて座り海を見ていた。ここから、ずっとコンドイ浜まで歩いていける。パイナップルみたいな実がなっている木がある。アダンというそうだ。人間が食べてもおいしくはないそうである。

 お昼は、おかみさんが薦めた、えびそばを食べた。車エビが5匹も入っている。豪華なそば・・・といっても、日本そばではない。蕎麦からできているのではなく、小麦粉からできている中華そばみたいな麺だ。沖縄そばとはそういうもので、東京っ子の「そば」とは違う。

 隣の席には、とっても恰幅のいい女性たちが4人座った。みんな地元の人だろうか?本当に恰幅がよく、眉が太く目が大きくはっきりとした顔立ちをしている。私はずっと、沖縄の人はすらっと細いイメージを持っていたのだが、違う。お年寄りたちも小さいが、がっしりしている。那覇ですれ違った高校生の女の子たちも小柄な子が多いのにびっくりした。さて、地元の人が何を食べるのかなぁ・・と思って、4人の女性たちを見ていると、焼きそば3人、カレーライスが1人。生協か何かわからないが、通信販売の話をしている。この島にいたら、石垣に行かないと、何も買えないだろうなぁと思う。さっき、アイスコーヒーを飲んだ店でも、地元のお客さんとお店の人が「昨日、おとといは石垣に買い出しに行ったから休んだんですよ。全部材料が切れてしまってねぇ・・・」という話をしていた。

 その日の宿は、女の人ばかりであった。私の隣の部屋には、小さい男の子を連れたお母さん。それに、さっき私を店の人と間違えた女の子・・さやかさん。そして、素泊まりで、西表でヘルパーをしていたという女の子。

 おばあさん(本当の女将だろう)が、昨日も今日も必ず食事時に、料理を持って部屋の方に行くので、誰かいるのかな?家族の人でもいるのか?と思っていたが、それは、一番大きな部屋に仏壇があり、その仏壇にお供えにもって行っているのだということが、やっとわかった。それにしても若い方のおかみが一日見えないけれど、今日はお休みの日なのかな?あまり出てこないのかな?などと思いつつ夕食を、さやかさんと二人で食べる。彼女は、「あまり飲めないんですけど、ちょっと飲みたいな」と泡盛(八重泉)を手にとるので、私も飲みはじめ、結局一人でたくさん飲んでしまった。彼女は、本当は東京の人だ。多摩に住んでいるという。八重山が好きで、来て3ヶ月になるのだそうだ。石垣の飲み屋で働いていたけれど、強引な店長(大阪人だそうだが)についていけず、やめたばかりだとか。次はホテルで働くことが決まっているそうで、その間、やっと時間がとれて来たのだという。

 彼女が、CDをかけた。天河原(ティンガラ)・・・ゆったりと、天河原を眺めて海の音でも聞いているような・・・(その後、私は買って、今も聞いているが・・・歌詞を見ていると、(聞いただけでもわからないので)、沖縄の言葉の美しさに、心が奪われてゆく。

 実は私はもうしたたか酔っていたのだろうけれど、二人で浜に向かった。いつも水牛がいる広場を越え、少し行くと、もう道は真っ暗になってしまった。そこで、私たちは懐中電灯を借りることにした。道沿いの知らない民家をを訪ねた。

「すみません。ごめんください」。すると、女の人が出てきたが「あらぁ?安井さん?」

「えっ?」泉屋のおかみではないか・・・・「あれ?ここに住んでるんですかぁ?すみません。浜に行こうって言ってるんだけど道が暗くて、懐中電灯貸してください」

 私の記憶は、そのことと、暗い浜で星を見上げていたことで途切れていて、後は記憶がない。