1月12日(土) 波照間島へ

 朝、さやかさんに顔を合わせるのがなんとなく気恥ずかしい。今日は私の誕生日だというのに、あぁ、昨夜は記憶をなくした。いくつになっても、しょうもない。

 10時15分の船で石垣に渡ることにする。今日はおかみさんが来て、お庭の一角にある小物の店をあけてくれた。

 おかみさんは、昨日、40度の熱を出して一日寝ていたのだそうだ。

「その前の日ね、あなたが来た日、晩ご飯の洗いものしながら、あ、なんか変だなって思ったのよ。それで息子手伝いに来させてね。受験生をこき使うって怒ってたけど・・」と。「それで、昨日あなたたちが来た時、やっと起きたとこだったんだけど、何かと思ってびっくりしたわ。実は、ヘルパーの子、まだ来て一日目だから、その子がいきなり仕事まかさせられて困って来たのかと思った」と、病気あがりとは思えない明るさで話す。「ハハハ、酔っぱらいが行ったわけです」と私。

 おかみさんはこの島の生まれではない。お嫁にきたのだ。ご主人と、今、石垣の高校に行っている長男。竹富で中学三年生の次男。そして小学生の娘さんがいる。みんな、中学を卒業すると島を出る。島には中学までしかないからだ。高校一年の長男は石垣でアパートを借りて一人で住んでいるのだという。

「受験生をこきつかうって息子は言うけどね、高校から家を離れるわけだから、どうしたって他人様の世話になるわけでしょう。だから、料理はできなくても皿洗いはできるとか、掃除はできるとか、やっぱり自分でも動ける子になってほしいの。娘は生意気言うのよ。私は絶対に、親元を離れて東京とかに行って一人で住むって言うのよ。でも、この前少し寒くなった時があったら、手にしもやけ作ってるの。だから、ここでしもやけ作るくらいだったら、他には住めないよって言って笑ったのよ」。

 島の子どもたちは、みんなこうして一度は島を離れていくのだなぁ。

 まだ、1月だというのに、毎日半袖Tシャツの日差しで、私はもう服がなかった。背中に竹富魂 うつぐみの心・・・と書かれたシャツを買った。

「うつぐみの心って何ですか?」「助け合いっていうか、協力の心っていうか、そういうことね。」うつぐみ・・・まさに、その意味を言葉で表すかのような、丸くやさしい響き。お誕生日だし、何か他にも欲しかった。コーヒーカップが気になる。どうしようかなぁ・・・とあれこれ見ていると、あっ!もう10時。そろそろ行かないと。「どうしよう。今日私のお誕生日だから、買っちゃおうかなぁ」と言うと、おかみさんは

「もう、時間ないよ。また帰りに寄って一泊すればいいじゃない」と言う。そう言われたことが、やけにうれしかった。私は、素朴な土の色に、青で波のような模様の入ったカップを買った。それを、「急いだから駄菓子でも包むみたいになっちゃったわ」と、おかみさんが包んでくれた。

 港に向かう車の中で、さやかさんが「私も波照間に一緒に行ってもいいかしら?」と言う。それで私たちは一緒に行くことになった。旅は道連れ。

 石垣から波照間の往復は5,700円。島の人もこの値段なのだろうか?結構大変じゃないかな?時間は1時間。

 船は快速だ。暴走族のように走る。46ノットとか?「街道をゆく」の約20年前には、18ノットで最高速度だと書いてあったから、すごく速くなっているのだろう。海は、さまざまな色を見せる。薄い水色から、スカイブルー、マリンブルー・・・いったい日本語でなんといえばいいのだろう。この色々は・・・・・波照間・・・・日本最南端の島。

 「みのる荘」という民宿に電話をしておいた。泉屋のおかみさんは二つ宿の名をあげた。彼女が泊まったことがあって、普通にまともな「みのる荘」と、もう一つは一風変わった「たまもと」という民宿。お爺が一人でやっているのだそうだ。お爺の飯はおいしいが量がすごい・・・とガイドブックにもあった。そして、ドォーンと泡盛を机の上に置くのだそうだ。「あなたには向いているんじゃない?」と言われ、確かに普段ならうれしいのだが・・・・私は昨日の今日で、お誕生日にまたガンガンに酔う自分を想像すると、ちょっと頂けなかった。それに、料理が食べきれなくて残してしまう・・・という罪悪感もあり、「みのる荘」を選んだのだが、みのる荘は一番大きなマイクロバスで迎えに来てくれ、宿も四角くて、普通の民家ではない。民家みたいな宿にしておけばよかったかぁ、と少し思った。

 さやかさんと二人で、とにかく歩いて出かけてみる。何もない。いや、あるのだが・・・さとうきび畑と道。そして、風力発電の白い風車がゆったりくるくると回り続けている。この島で使う電力の5分の1を発電しているという。風の島。

「モンパの木ってどこですか?」と、いきなりおみやげものやを目指すのも・・と思いつつ、波照間島には、名前のついた目印というのがほとんどないのだ。さとうきびの品質向上を目指そうという立て看板が立っているくらいだ。一本道を歩いていくと、白い四角いたてものに「パナヌファ」という看板がかかっている。

「お昼ここで食べていこうよ」と中に入る。夜は音楽のライブもやっているのだろうか?アンプやら楽器やら、たくさんのレコードがあり、ジョンとヨーコやビートルズのポスターが貼ってある。メニューは定食が3つ。チャンプルー、スーチカ(豚肉の塩漬け)、ショウガ焼き。あとはカレー。カウンターの向こうの厨房には、あれこれ食材が置かれているが、その食材のすきまに、犬がまるまって寝ている。犬はスカーフかなんかしちゃって、かわいいのだが、クゥクゥよく寝ている。東京あたりじゃ、とても許されない光景だなぁ・・・と面白くなる。私はカレーを注文。ちょっとトマト味のカレー。海草の天ぷらがついている。カレーに天ぷらは初めての組み合わせだけど、かりかりして美味しい。さやかさんはアーサバッポというものを頼んだ。アーサという海草入りのお好み焼きだ。

 パナヌファとは花の子という意味だそうだ。花がパナに、のがヌに、そして子がファなのだ。パナヌファのお店のお二人。料理する男性に、給仕する女性。どっちも店主に見える。二人とも黙々としていて、眉も濃くがっしりした顔をしている。無口で、愛想笑いとかしなくて存在感があるのだ。「夜また来て音楽聞きながら酒飲もうよ」と言っていたのに、夜の真っ暗の道、来られなかった。

 島の唯一のみやげものや「モンパの木」は2時半までお休みとの札。海に向かうと、何か甘い匂いがする・・・・製糖工場だ。その向こうに澄んだ澄んだ、はてしなくブルーの海が広がる。美しい。誰もいない。私たちは、製糖工場の先のコンクリの土手を越えてクリームみたいになめらかな砂浜に降り立った。

「泳ごうよ」と私。「入っちゃおうよ。」

 服のまま入ってしまえ!と・・・でも、一度宿に戻る。私はラオスで水浴び用に愛用している布をまいて入ることにした。さやかさんはおねまきパジャマのズボンで。大急ぎで戻り、今度は自転車を宿で借りる。自転車を貸し出してくれた、たぶん主の「みのる爺」が、手書きコピーの地図を前に説明してくれる。お爺の話しぶりがなんともいい。このお爺とこうして話しただけで、あぁみのる荘でよかったじゃないか・・・と思ってしまった。

 お爺は、「まず、縁結びの木に行け!」と説明してくれる。

「この島には、目印や札なんかないからな、結構こうして説明しても、行きつけませんでしたぁって帰ってくるのがいるんだよ」と。縁結びの木は、琉球黒檀の木というそうだが、二つの木が抱き合っているのだ・・・そうだ。

「そこに、行くにはなぁ、ずっとこの道をまっすぐ行って、採石場があるから、その先の2本目の電線が通っている道路をな、曲がるんだ。舗装がなくてでこぼこだぞ。それにこの島には看板なんか、ないんだからなぁ」とお爺が言う。

「その先は、しばらく行くと、土地改良の碑っつうのがあるから・・・」「その先に、ガードレールがある場所があるから・・・・」と、そういうのが唯一の道標なのだ。あとは、さとうきびと海・・・・「まぁ迷ったら、とにかく道を上がってきたら、集落に出るからだいじょうぶ」と。

 みのる爺に説明を聞き、自転車を借りたが、自転車に鍵がついていない。しかも貸し自転車だ。でも、最初から鍵などついていた形跡もない。この狭い島では誰も盗みなんかしないのだろう。自転車盗んだところで、すぐにばれてしまうし、誰もそんなこと考えないのだろう。

 私たちはまず海水浴にでかけた。

 北(ニシ)浜。北にあるのにニシという。沖縄では、東(あがり)西(いり)南(はえ)北(にし)というのだ。海は冷たくはなかった。海には私たち二人しか入っていなかった。(当然?)

 なんていい誕生日だろう・・・・なんて幸せなんだろう。

 波は穏やかで、はてしなく透明な海・・・・海に浮かぶと、ぽっかりと白い雲を浮かべた空。太古の海の水は地球上どこでもこんなにきれいだったのだろうか?波照間の海。瑠璃色の透明に光る海。クリームみたいになめらかな白い砂。美しい。すべてを透明に流し去ってくれるような波。こんな海からでるのがもったいなくて、なかなか海から出られない。「波照間・・ありがとう・・・」とお礼を言った。最高のプレゼント。

 いつまでも入っていたかったけど、そうもいかない。それでも1月の海に1時間もつかっていたのだが・・・・

 爺さんの言ったように、自転車を漕ぎはじめた。いやはや、わからない。一度間違えたが、2本目の電線の通る道・・でこぼこ道をずっと下り、シムスケーという古井戸を見つけた。そして、その傍に、縁結びの木があった。木が抱きあっている。うんと触っておいた。

 さとうきびしかないのだ。さとうきびが風になびく。どこまでもどこまでもさとうきびしかない。サトウキビの花・・・ススキみたいな花が風に光にそよぐ。

 波照間には何もない。海と風とサトウキビしかない。でも・・・何もないんじゃないよ、ほら、波照間がここにあるよって、そんな存在感を持った島だ。

 

 

 日本の人が住む最南の島。その最南端に着く。日本最南端の碑が立っている。

 二人のおかっぱの女の子が走ってきた。赤いシャツを着たおでぶちゃんのお姉ちゃん。みそっぱの妹。二人とも絵本を持っている。

「遊びに来たの?」「ううん、本読みに来たの」

「二人で来たの?」「ううん、お母さんと。お母さんはやぎの草刈りに来たの」

 まるで、絵本の世界に入っていくような気がした。まぁ、絵本が、ポケモンの絵本だったのが、ちょっと現実なのだったが・・・・二人とも、初めて会ったのに、まるで人見知りする様子もなく、本当にただ、なんにも疑わない子どもそのままなのだ。絵本を声を出して読んでくれる。最南端の、もうそこから南には南波照間があるのかないのか?・・・・フィリピンへとつながる海が渺々と広がっている。そこでおかっぱのおでぶちゃんは、ポケモンの絵本を読んでくれた。

「ねぇねぇ、遊ぼうよ」と言う。遊びたいけど、日が暮れてしまってはまずい。もう、日は傾いているのだった。すると、ベーベーの草刈りをしているお母さんが二人を呼んだ。二人はあっという間に走っていった。小さな小型トラックの荷台に草を盛り、お母さんとおばあさんがいた。二人は車に乗り込む。斜光に照らされた濃い緑が目にしみた。バイバイ!と、女の子たちもお母さんも手をふった。

 6時半。民宿に戻る。お爺が、超過料金・・・だな・・・とうれしそうに言った。もうオリオンビールの缶が転がっている。「あんた飲むのかい?」と。「うん」「じゃあ、2,3本買っておいで。缶ビールが超過料金だ」と気持ちよさそうに座っている。私のティーシャツの背中を見て「なんだい、そのうなぎは?」と言う。竹富島で買ったTシャツの背中には、黒々と太い字で、「うつぐみの心」と書いてあるのだ。「うつぐみって何だか知ってるのかい?」とお爺が聞く。「協力の心、助け合いの心」と、私が竹富の泉屋のおかみに聞いたように言うと、「波照間ではな、スムズレというんだよ」と教えてくれた。

 夕食後、星空観測センターに民宿の車で送ってもらう。まっくら。ずっと向こうに見える明かりは、集落の明かりだそうだ。それがぼうっと見えるだけで他の明かりは一切ない。それでも、館長さんは、「なるべく明かりは見ないでください」。こんなに人工の明かりのないところだから、黄道光(いったいそれが何だかはわからないのだが)という、空が薄ぼんやりと明るく見える現象が見られるという。これは本土では絶対見られないそうだ。

 波照間でなくては見えない星が二つ見えた。一つは魚の口座?もう一つは南の年寄り星?見ると寿命が延びるという星が見えた。私は目が悪いので、薄ぼんやり見えただけなのだが。でも、ラッキーだという。そう、新月なのだ。だから、夜、月がなくて暗い。この八重山地方は偏西風の影響を受けないので、とても大気が安定しているところだそうだ。だから、星がまたたかない。星がチカチカしないのだ。それは少し不思議でもあった。北極星が低い。南十字星は、今の季節だと、夜明け前、朝5時頃に見えるそうで、この夜は見えなかった。次の日もとても起きられず見られなかったが・・・。

 大きな天体望遠鏡で、土星と木星を見せてもらう。とてもはっきりと見えたが、宇宙の惑星を見ているというよりも、小さなきれいな石のビーズでも見ているようだった。土星には微妙に三層に分かれる輪がはっきりと見える。木星にはきれいな土色の筋が見えた。

 波照間は、とても地球なのかもしれない。

 何もないけれど、いい島だった。何がどうしたわけじゃないけど、いい誕生日だった。