1月14日(月) 西表 マングローブ講座

 

 浦内川をボートに乗って、その終点から滝まで歩く。それは、短時間で一人で行ける一般のコースだ。そこに行こうと思い、宿を出ようとしていた。

「浦内川行くの?それなら、カヌーやった方が絶対いいよ。ボートならあっという間に過ぎてしまうけど、カヌーなら水面から自分のスピードで見えるから、みんなボートに乗って後悔したって言うんだよ」と、宿のおじさんが言う。

「えぇ?でもほら、やったことないし、水着も持ってないし」

「70歳のおばあさんだって、できたんだよ。大丈夫。水着はいらないよ。どっちにしても今は泳げないからな。濡れないよ」

「でも、このジーパンしかないから、濡れると着るものがなくなっちゃう」

「それなら、自動車修理のつなぎでいいなら、貸してやるよ。三菱自動車のつなぎ、かっこいいぞ」

ということで、私は、修理工のつなぎを着て、結局、ピナイ川を、ピナイサーラの滝までカヌーで行くというツアーに参加することになった。私ともう一人の男性の二人。川に沿って生えているマングローブを見るのである。

 何もわからず、基本的な漕ぎ方を教えてもらい、カヌーに乗り込む。

 マングローブとは、木の名前ではない。知らなかった。ずっとマングローブの木というのがあると思っていた。それは、熱帯、亜熱帯の汽水域(川に海水が流れこむ淡水と海水の混じっている水域)に生える、樹木の総称・・・なのだそうだ。

 西表には7種類のマングローブが生えている。

 おひるぎ、めひるぎ、やえやまひるぎ、ひるぎもどき、ひるぎだまし、にっぱやし、まやぷしき・・・このピナイサーラの川沿いには、上流からおひるぎ、めひるぎ、やえやまひるぎ・・・の3種類が生えている。

 カヌーでゆっくりと上流に向かいながら、おじさんが説明してくれる。

「はい、マングローブの種類は?」「淡水と海水が混じっているところってなんて言うんだっけ?」などと、授業のように質問の連続だ。

 やえやまひるぎは、一番海への河口に近いところに生えているのだが、根っこがたこのようだ。上流に行くと、おひるぎばかりとなる。おひるぎは、まるで人が砂浜に寝て砂にもぐり、立てた膝だけ砂から出ている・・・とそのように、根っこを土から出している。根っこは10数メートルにもなるそうで、膝を折るように、その根っこを何重折りにもぽこぽこと土の上に出して呼吸している。

 おひるぎの花が咲いていた。赤い(本当はガクだそうだが)花。そして、その中心から緑の芯が飛び出している。それは種で、40センチくらいの長さになり茶色くなった頃、落ちて、下の土に垂直に刺さるような構造になっているそうである。

「おひるぎの葉っぱを見てごらん。10ほどの葉が一つの枝から出ているんだが、その葉の集まりのうち、一つだけが黄色くなる。それはどうしてだと思う?」

 確かに、一つの枝につく濃い緑色の葉の固まりのうち、一つだけが黄色くなっている。

「黄色くなったら落ちるんでしょう?」「当然落ちるよ。自己犠牲。感動しちゃうよ。ほら、ここはどういう環境だか、考えてみな」

「あぁわかった。塩分をその葉が吸収するんでしょ」「あったり」

 ということで、葉の集まりのうち、一つだけが黄色くなるのは、一つの葉だけが塩分を吸収して、他の部分に塩分が回らないように、水を取り込む工夫がされているのであった。幹自体もコルク状になっていて、塩分の吸収を防いでいるが、それでも塩分が水に混じってしまうので、一枚の葉が犠牲になるのだそうだ。

 海水が日々に干満を繰り返し、水没する時間も多い、そのような環境に生育する分、いろいろな工夫がある。また、倒れないように、根っこをたこのように張り出したり、板状の根にしたり、マングローブはアイディアの王様のような木々だ。

 やえやまひるぎは河口に生えているが、そのたこ足のような絡まりが網となって、海からのゴミを防御している。この西表には、中国語やハングル語で書かれたゴミも流れてくるのだそうだ。そのゴミを川に入れないように、やえやまひるぎの根っこのネットが防御し、そして潮が引くとともに外へ押し出している。また、ここには世界最大のシジミ貝−20センチもあるシレナシジミという貝がいて、泥を吸っては浄化して吐きだしているそうだ。また、ギバウミニナという貝は、木々が落とした葉や藻などを全部食べてしまう。この貝は、潮のひく短い間に葉を食べなくてはいけないので、5〜6匹が、一枚の葉に乗っかって、協力して食べるのだそうだ。そうでないと、潮が満ちてきた時にご馳走の葉が浮き上がってしまうからだそうだ。

 やえやまひるぎ、シレナシジミ、ギバウミニナ・・・彼らが共同して今、西表の生態系を守っている・・・・恐れ入ってしまう自然のしくみ。

 岸に上がって、滝まで歩いた。根っこが板状に盛り上がっている、サキシマスオウという木や、切ると赤い血を流すという赤木という木(斧を入れると、本当に赤い血のような汁が吹き出るので、沖縄の人は聖木として切らないそうである)・・・木々が鬱そうとしていてすごい。山ではよく遭難するよ・・・という。そうだろう。島は、鬱蒼とした深い自然に覆われている。私はほんの、端っこを見させてもらっただけなのだが・・・地球は知らないことだらけだな・・・自然の賢さに恐縮してしまうような気がした。

 私は2時過ぎの船に乗って、石垣、そして竹富へ行く。「行く前に、そば食っていくんなら、宿のそばにうまい店あるけど食っていくか?」「うん。でも、お金持ってこなかった。全部宿に置いてきちゃった・・」「貸してやるよ」「何そばがおいしいの?」「そばっちゃぁ、そばしかないよ」と、おじさんが1000円貸してくれる。修理工のつなぎのままで入る。

 おじいちゃんとおばあちゃんのやっている店。港の近くの波止場食堂。そば、やきそば・・・500円。あの、小麦粉のそばだが・・・だしがいい味でおいしかった。

「あんた、ここで修理やってるの?」とおばあが聞く。「違う。これね、カヌー乗るのに服濡れるからって貸してもらっただけ・・・」「いつまでいるの?」「もう今日帰るんだ。西表で一日じゃ少ないよね」と言うと、「いやぁ、長くいることもないだろ。見るとこもないし、なんにもないからねぇ。でも、またお金貯めて、いらっしゃい」とおばあ。

 ここに住む人にとっては、マングローブも海も、あまりにも当たり前で、何もわざわざ見るものではないのだろう。

 雨が降り出した。石垣行きの船に乗る。

 後ろの甲板席(屋根も壁もあるが)にはすでに先客がいた。犬が5匹に、ごっつい顔をした漁師のような男二人。そして、息子だろう、高校生くらいの少年が乗っていた。みんな赤銅色の顔をしている。三人は話をするわけでもなく座っている。船が出港すると、少年は、床のゴミ箱の横に、犬に囲まれたままごろんと横になって目をつぶった。少年を囲む犬たちは、船の移動なんぞには慣れているようなそぶりで目をつぶっているが、まだ若い犬が、船の音と振動に落ち着かない。ハッハッハと荒い息をして、おどおどとあちこち見回している。ごっつい顔をした父は、ずっと犬の身体を手で軽くたたいている。一匹の犬が顔をあげた。目を腫らせ血を滴らせている。この犬を病院に連れて行くところなのだろうか?それで、人間も犬たちもみんないっしょに付き添いに行くのだろうか?

 船は速度をゆるめ、そろそろ石垣島だ、男が少年に何か投げつける。おい起きろよと、日焼けの目が笑う。少年は目をあけると大あくびをし、犬はもそもそと伸びをしている。無骨な男たちと犬たちとの光景が、目の裏に残った。

 石垣から竹富へ。おかみさんが、「帰ってきたね。帰ってくるって聞いてうれしかったよ」と迎えてくれた。