1月2日(水)     再びトン族の村へ

「公共汽車(ゴンゴンチーチャ)はどこで乗る?」

 7時半に起きる。三江の程陽橋賓館で2日目の朝。窓の外、霧。すべて白く見えて、なんだか雪でも降っているみたいだ。5階の窓から下の通りを覗く。昨夜は、祭の後さながら、あんなにゴミだらけだったのに、もうすでにきれいに掃かれている。道路脇にはシートを敷いて場所取りがされている。今日も市が出るのだろう。

 朝早くから人でいっぱいの麺屋に行く。両親と娘が忙しそうに湯気の中で、働いている。ラオスのフゥ(麺)・・・ルアンパバンで食べるフゥに似た味がする。麺の種類はいろいろで、きしめんのような平麺、ラザニアのような太い麺をまいたもの、細麺、いろいろだ。豚肉、にんにく、とうがらし、ねぎ・・・そして、醤油ベースのタレを入れ、麺を入れ熱々のスープを注ぐ。少し辛い。そして、必ずピーナッツを入れる。中国では、豆をよく食べると思う。使っている油は、村で見た茶油だ。

 私たちは、今日はもう一度ヤンサンの村、馬安村に行き、そして彼のゲストハウスで一泊しようということにした。村に泊まるのもいいじゃないかと思ったからだ。でも、出かける前に、翌日の桂林行きのためにバス停を探しておくことにした。

「バスってさぁ、公共(ゴンゴン)汽車(チーチャ)って言うんだよ」と、本を見ながら私が言う。「バス停は、ゴンゴン汽車站(ゴンゴンチーチャジャ)だ」と言うと、小平が、角の店の女の子に「ゴンゴンチーチャジャ ツァイ ナーリ?(どこにあるの?)」と聞く。おぉ、通じた。女の子はすぐそこを指さした。見ると、建物に「三江汽車站」と大きく書いてあるではないか。駅前広場で、「駅どこですか?」と聞いているようなもんじゃない・・と二人で大声で笑った。さて、そのバス停(公共汽車站・ゴンゴンチーチャジャ)へ行き、明日の桂林行きのチケットを買おうとすると、窓口の人は首をふり、「不(プー)プー」という。桂林行きのバス停はここではないらしい。向こうだと指さす。もう一つバス停があるらしい。そうか、ここは近距離バスで、もう一方は長距離バス停なのだろう・・・・しかし、どこだろう?尋ねる方も尋ねられる方もチンプンカンプンで困ったものである。

 ホテルにもどって、フロントの女の子に尋ねる。すると、「いつ桂林に行くのか?」と聞く。「明天(ミンティエン。明日)」「じゃあ、今日はここに泊まるのか?」「今日は、泊まらない。私はこのバス停がどこか知りたいだけなの」「いつ行くのか?」「明日」「じゃあ、今日は、ここに・・・」あぁ、また話がこんがらがりそう・・・・「違う。あのね、今日は程陽橋に行くの。ここには泊まらないの。で、明日、桂林に行くの。でも、今、バス停に行きたいの」

 なんとかわかってくれて、やっと地図を書いて教えてくれた。長距離バス停は、橋を渡ったずっと向こう、10分くらい歩いて行くのである。ガイドブックには載っていない。バス停ひとつ探すのに数時間かかってしまいつつ、このでかい中国を旅しようというのだから、まったく困ったもんだと思う。でも、そんなことが大変でもあり、面白いところなのかもしれない。

 川は大きい。尋江という川。渡った向こう側は新しい開発地区のようで、比較的新しい建物や店がある。長距離バス停も新たに作られたものらしい。窓口に行くと、パソコンでタタタ・・・と入力し、12時半の便のチケットをくれた。

 三江という県は、苗江、尋江、そしてもう一つの川の3つが流れているのだそうだ。田舎ののんびりした風景ばかりかと思われたが、やはり、どこでも開発されつつあるのだろう。10階建てくらいのアパートや団地も建ち並んでいる。こんなに大きい国土で・・と思うけれど、町でも村でも、上に伸びないと、この人口を収容できなくなりつつあるのだろう。

「三江の町」

 三江の町をぶらつく。茶油を大きなポリタンクに入れて売りに来ている人々がいる。茶油はこの地域の特産品なのだ。自家用だけでなく、現金収入にもなっているようだ。油公司と書かれた店の前には、大勢の人々がタンクを下げて売りに来ているが、買い手は油の香りや色を見て、値をつけるようである。必ずしも買うわけではないようで、タンクを下げて店を出る人の姿もあった。小平はにわかに、油研究家を名乗り、市場で茶油を買おうと探し出したが、どこで売られているかはわからず、茶油を小売りしている店は見つからなかった。

 こんにゃくもたくさん売っていた。こんにゃく、さとうきび、バナナ、柑橘類・・は豊富。この辺は柑橘類が豊富に栽培されているそうだ。お隣の貴州省であるが、少数民族の集まる大きなお祭りで、「みかん祭」というのがあるそうである。(伝統的な祭だとは思えないが)リンゴの方は箱入りで、どこか他から輸送されてきている。豆類も豊富に売られていた。中華菓子研究家の私たちは、見れば中華菓子を買う。小さな店。みみっちく2種を一つずつ買う。少し髪を伸ばしたお兄ちゃんが店番をしている。歩き出して小平は「すぐ食べてみようよ。おいしかったらもっと買おう」とさっそくかじる。「あら、おいしいじゃない」と、私たちはまた戻ると、また指して「これ一つ」とみみっちく買う。お兄ちゃんは、「どこから来たの?」と中国語で聞く。「ジーペン(日本)」と言うと、「日本語で、謝謝はなんていうの?」と尋ねた。なんとなくその意味がわかったので、「ありがとう」と答えると、何度も「ありがと」と繰り返していた。

「トンの村」

 近距離バス停からバスに乗り、程陽郷へ戻る。正月2日目は、中国人の観光客がとても多く、ゲストハウスも大入りで、ヤンサンも忙しそうにしていた。

 ゆっくり村の中を歩く。村のあちこち、家のすぐ下に、溜め池がある。水はよどんできれいではない。壊れかけた小屋があり、その脇を通り過ぎると、決まり悪そうにおじさんが立ち上がった。あ!トイレなんだ・・・・しかし、それがトイレだとすると、この溜め池に流れこんでいる。今は寒い時期だからまだいいものの、暑い時には蚊やハエが発生しないのだろうか?臭くないのだろうか?と不思議になった。よく見ると、堰き止めてある。もしかして、田圃をはじめる時に、この肥え入りの水を流して肥料とするのではないか?という気がした。そうでなければ、この家のすぐ近くの肥溜めは、なかなか不衛生といえるのだが・・・・でも、これを田圃の栄養とするのならば、知恵である。果たして、尋ねると、そうらしい。

 トン語

 

 夕食には、もち米が出てきた。この辺り、二期作が出来るという。最初にうるち米。そして二度目にもち米を作るという。

 もち米のことを、ノーミー(中国語)、そして、トンのお酒はもち米から作った糯米酒(ノーミージャオ)である。ラオスの焼酎ラオラオよりは弱く、ネパールで飲んだロキシーに似ている気がした。糯米のおこわ。生椎茸、青とうがらし、豚、ニラの炒め物/鶏とシシトウ、トマト、ショウガの炒め物/白菜のニンニク茶油炒め

 本当は、一品頼んだだけだったのだ。生椎茸と野菜と鶏肉と卵を一緒に炒めてもらえばいいと思っていたら、生椎茸一品。鶏一品。野菜一品が出てきたので、びっくりして、実はもう作りかけていた卵料理をキャンセルした。

 茶油は、さっぱりはしていない。まったりとしているが、しつこさはない。独特の匂いはない。この後、南下して桂林を過ぎると、茶油ではなく花生油( ピーナッツオイル)に変わったりして、中国の油紀行というのもなかなか面白そうだと思ったが、太りそうだ。

 ヤンサンはぺらぺらと英語を話す。桂林で4年間勉強したそうである。英語を話す人が少ない中国の、しかもこの地方ですごいな、と思う。ゲストハウスは村の一番手前、有名な橋を見渡す眺めのよい所にある。この村では他にもゲストハウスとして家を開放している家もあるのに、彼のところばかりが繁盛している。パソコンも使っている。中国人の若者がアクセスしてくれば、旅行情報も流れるし・・・他の村人と差がついてしまうだろう。パイン材で作ったゲストハウスはトン族の建築ではないが、木の香りがして気持ちいい。ただ、隙間だらけで寒いので、暖かい季節向け。隣の部屋の音は筒抜けなので、中国人の若者団体客、アベックと隣合ったりするとうるさい・・・・・私たちがそうでした。

 観光村とはいえ、夕方村を歩くと、人々が農作業から戻ってくる姿とすれちがった。はだしで畑を耕し肥料を黙々と入れている人・・・天秤棒を担いで山から戻ってくる人・・・もちろん、人々の生活の基盤は農業なのである。その村を、観光客が覗かせてもらっている。しかし、観光業で潤う人はごく少数なのだろう。しかし、必死にハンディクラフトを売ろうとする女性たち、観光客に見せる踊りや歌・・・などは大切な現金収入源ともなっているのだろう。また、村の伝統的なトン族の家屋の一室で、何か小さな機械を動かして作業している若い女性たちの姿を見た。家内工業というか、内職というのか・・・伝統的な農業をしながらも、必死に現金収入を探さなくては生きていけない時代なのだろう。

                                 (1元=16円)

朝ご飯(麺)  2x2=4 /お菓子 3 /梅菓子 2.8 /バス(三江→程陽橋)3x2=6   

コーヒー 3x2= 6 / 夕食 10 / ゲストハウス  50

                         81.8元(1308 円)  二人で