1月9日(水) 那覇へ

 

 朝日が見たかった。海から上がる太陽が見たかった。6時に目を覚ます。あぁ、船が揺れている。揺れている。

 6時半。デッキに出た。なんだ、もう明るい。もう太陽は上がっている?東の海の空が、うっすらと淡いオレンジ色を残している。でも、太陽は姿を見せず、海は曇天を映して、黒く白く波立っている。青くない。

 雲の切れ目から太陽がのぞいた。光線が放射線状に海の水平線の近くを照らした。そこだけがキラキラときらめいて、まるでそこがまぼろしの島・南波照間であるみたいだった。
(波照間島は、日本の有人の最南端の島だが、その南に南(パイ)波照間があると、信じられていたという)

 

 空は曇天。船は揺れている。

 海は、空を映して青いのだろう。今朝の海は黒い。

 それでも、朝の時間がたつほどに、青く見えてきた。海は、青くならなくちゃやってられない、とでもいうように、黒い色から青みを一生懸命発している・・・・そんな風に見えた。

 これは、濃いサファイアの色だ。ほとんど黒っぽく見えるサファイアの色だ。

 12時半。船は那覇港に入る。

 

 船の中に検査官が来て、入国のスタンプを押してもらう。「ほぉ、1ヶ月ですかぁ、うらやましいですねぇ」と言われる。その後、日本人が先に出る。おかげで、おばあちゃんに荷物預けられずにすんだ。荷物検査は、底まではひっくり返しては見ないけれど、ちゃんとカバンをあけられた。自転車兄ちゃんは着替えから何から全部並べて見せている。

「タイ経由ということで・・麻薬とか・・」の検査だそうだ。税関には、ダンボールなど大きな荷物がたくさん積まれている。あれは、全部あの台湾おばちゃんたちの荷物なのだろうか?いったい何を持ってきているのだろう?

 ご夫婦の親切に甘えて、同じタクシーで、市内へ向かう。宿を決めてなかった。

「よかったら、私たちがいるウィークリーマンションなんですけど、一日でも泊まれるようなので、どうですか?」と言って下さる。国際通りからも比較的近いところだという。

 ご主人は物静かな穏やかそうな人で、奥さんはフィリピンの方だが、気さくにいろいろと話をしてくれる。部屋はきれいすぎるほどなのだが、値段が少し高いので、申し訳ないが船で見た本で見つけた、新金一旅館という(名前からして、どんな旅館かと思ったのだが・・・安いので・・・)に電話して、そこへ行くことにした。お二人は「送っていきますよ」と、ご主人が私の荷物をガラガラと引いて、地図を持ち、送って下さる。申し訳ない。裏道を曲がりくねっていくと、きっと町の中心地に近いのだろうに、裏通りは静かでほっとする。石敢當という文字を書いた魔よけの石が、突き当たりには必ず置かれている。

 新金一旅館というのは、ぎしぎしの安旅館のイメージとは違い、マンションの何部屋かを貸しているのであった。なかなかお手頃で、広い。東京では考えられない。テレビを付けると、NHKのニュースをやっていて、おなじみの顔のアナウンサーがしゃべっている。まだまだ東京の家からはほど遠く、距離としては台湾や中国の方が近いのに、確かに日本に帰ってきているのだ。「国というのは、こういうことなのかなぁ」と、不思議な気持になった。