2001年12月27日(木)  ビエンチャンから昆明へ

「雲南省の雲の上へ」

 ラオスの首都、ビエンチャンから雲南省の昆明へ飛ぶ。はじめての中国。

 中国雲南航空公司のボーディングパスは、登机牌と書いてある。白いボール紙に文字だけがピンクで印刷してあるのが、実用的殺風景というか、妙に新鮮で、しばらく取っておいたが、捨ててしまった。

 ビエンチャンの空港。バンコク行きの便が出た後の待合室は、中国人ばかりで、もうラオス語があまり聞こえない。立て膝をしてトランプをしたり、大声でまくしたてているのを聞くと、もう見知らぬところに来ているみたいな気がする。ラオス、タイの移動では、緊張することがなくなってしまっているので、久々の旅の気分だ。回りの言葉がわからない。スチュワーデスも不愛想で、にこりともしない。中国人の中にいると、自分がきっとまぬけたとぼけた顔をしているんだろうなぁ・・という気がしてくる。

 どうして、不安なのに一人で旅に出るのだろう?その先に何があるんだろう?

 飛行機の窓からは、赤茶けた土地が見える。雲がポワポワ浮かぶその下には、ラオスよりももっと乾いたようなレンガ色の土地が、はてしなく広がっている。ラオスの上空を飛んでいようが、中国の上空を飛んでいようが、同じ空なのに、中国の上だと思うだけで、それだけで果てしなくその下に大地が広がっている気がしてくる。

 山々に焼畑らしき跡が見える。やはり少数民族が住む地域なのだろう・・・豊穣の地とは言い難いような乾いた土地が見える。

 となりのおじさんが、私に入国カードの書き方を聞いてくる。と言われてもわからない。中国語は全然わからない。覗くと、おじさんは雲南省の人だ。いったいみんな何をしにラオスへ行っているのだろう?

 雲南省の省都、昆明が近づくと、ビルや高層建築の広がりが見えてくる。大都市だ。大きな町だと聞いていたから、田舎町という想像はしていなかったけれど、それにしても本当に大都市だ。昆明に近づくほど、水田が見えてくる。棚田もあり、緑色のところが増えてきた。それだけに水の便がよいのだろうか?

 眞池(本当はさんずいに、この眞という字てんち)というのが、どれだろう?と思って見ている。小さい池を見て、あんなに小さくないだろうなぁ・・・とか思っていると、海のようにでっかい湖が見えた。さざ波だろうか?水面に白い線が見える。でかい。

 畑もたくさん見えてくる。司馬遼太郎が「街道にゆく20 中国・蜀と雲南の道」の中で書いているように、針葉樹が見える。雲南というと照葉樹林というイメージがあるが、そうではなく、針葉樹林なのだ・・・と書いてあったがその通りだ。もっと南では、赤土に情けなそうなブッシュがポワポワと見えただけだった。これは長い間人々が、薪にする木を切り、そして焼畑をした結果なのだろうか?

 上空から眺めただけで、漠々とした大きさ。

「空港から市内へ」

 昆明空港にはたくさんの飛行機が止まっていた。もちろん、ビエンチャン空港よりもずっとでかい。飛行機が降り立ったとたん、まだ機体が動いているのに、人々がわっと立ち上がり、スチュワーデスがあわてて座れ座れ・・・と言っていたのが何やらおかしかった。

 ラオス人が二人観光で来ていた。ラオス語を話せてそれだけでほっとしてしまった。パスポートチェックはスムーズに、荷物も受け取って外に出たのはいいが、リムジンも何もなくひっそりしていて、アラ?どうしたらいいの?と思っているうちに、ラオス人たちも行ってしまい、一人残された。

 おっさんが声をかけてくるが、何が何やらわからない。「バス?」と言うと、「ミニバス、ミニバス・・・」と言う、と話している間に、両替をしていないことに気がつき、金がないんじゃ話にならなかった・・・と大慌てで、空港に引っ返してバンクを探すけれど、あっという間に人気のない空港に、バンクは見あたらない。すると、感じのよい女の人が声をかけてきた。英語で「Where is the bank?(銀行どこ?)」と聞くと、なめらかではないが英語を話し、連れていってくれる。親切。銀行は空港の中ではなく、空港を出て道を渡った先にある。中国銀行。ガードマンがちゃんといてその点は安心できる。女の人は、「私はタクシードライバーよ。昆明の町まで、20元だけど、行く?オッケー?」と言う。私には高いか安いか(安いはずはないが)わからないし、値切るにもよくわからないし、他に誰もいないし、言葉も通じないし、もういいや・・・・と思い、それに女の運転手さんならいいかぁ・・・と、「オッケー」というと、車に連れていく。タクシーではなく白タクだった。それに、運転席には若い男が座っているではないか。彼女は、「マイフレンド」と。

「あらまぁ、立派な白タクにさっそく捕まってしまった」

 ガイドブックなどには、白タクには乗らないこと・・・とさんざん書いてあるのに。

 でも、まぁ、20元なら300円ちょっとだし、そんなひどいこともなかろう・・・と乗った。もしとんでもないところに行ったらどうしよう?と思わないではなかったが、タクシーの脇には自転車が通る通る・・・車はのろのろだし、何かあってもすぐ下りられるから平気かぁと思う。そのうちに彼女は、私が行こうとしているホテル「茶花賓館(ツァーフアヒンカン)」ではない他のホテルを紹介してくる。「もっといいホテルがもっと安いよ」。あぁやっぱりと思いつつ、でも、「もう予約してしまっているから」と断ると、あっさりあきらめて、そのまま茶花賓館についた。もしリムジンバスに乗っても5元だったそうだから、めちゃボラれたわけでもない。

 ここは2つ星のホテル。170元の部屋。部屋はきれい。ただ、よく見ると窓の鍵は壊れているようで、ちゃんと閉まらず、また、夜になると外気が入ってきて結構冷えた。

 中国では鉄道のチケットを買うのが大変と、さんざん聞いていたので、まずそれに奔走しなくちゃ・・・と思っていたが、ホテル内の旅行社に頼むと、すぐ電話して、すぐ予約が入った。30元の手数料。1時間後に取りに来い、という。つまりは彼らがこれから駅に行って買ってきてくれるということだ。

「昆明の町」

 なんだかすごい。圧倒される。道を走る自転車。自転車にありとあらゆるものが積まれている。後ろが車椅子になっているような自転車・・・おばあさんを乗せおじいさんがこいでいる。人と車と自転車が動き回る。絶えずウワァーーーと人と自転車と車が向こうから迫ってくるような感じ。ありとあらゆるものが行き交う。

 役所の前には、兵士が直立不動の姿勢で立っている。微動だにしないその兵士の脇で若い人たちが、ひたすら掃除をしている・・・・若い兵士だって、偉そうに権威的に見えるけど、実は下っぱ兵士で、本当はシンドイに違いないけれど・・・・カメラを向けたかったが、やっぱり取り上げられたら困るし、なんだかこういう姿を滑稽にとらえるのも悪い気がしてやめた。

 わからないので、ただ大通りに沿って歩いていく。食堂、食い物屋が見えない。何だかお腹も減ってきたのに・・・すると、おじさんが、道ばたでお芋を売っている。やきいもだ。ジャガイモとサツマイモがあって、どれもやけにおいしそうに見えた。私は、いったん通り過ぎ、また引っ返してきて、また通り過ぎ、うろうろしながら、やっと立ち止まった。

「多少銭(トゥアシャオチェン?)いくら?」と聞いてみた。初めて使う中国語。すると、答えがいろいろと返ってきて、あぁわからない。たぶん、1kgいくらだの・・なんだの言っているのかもしれないが、私はただ一つ欲しいのだ。指を一本たてると、「ウー(5)」という言葉が聞き取れたので、5元出すと、おじさんはやけにうれしそうに芋を渡してくれた。ジャガイモとサツマイモを一つずつもらう。おじさんが「ナーリージェン(何人?)」と聞いたのがわかった。「ギープンジェン(日本人)」と答えて、写真を撮らせてもらって別れる。おじさんはとてもうれしそうだった。いったい安いのだか高いのだか、ぼられたのだかも全然わからなかったが、少しでも人と話ができたのがうれしくて急に元気に歩いた。

(後々になって考えてみると、この時彼は、5角(10角が1元。つまり、0.5元)と言ったのに違いないのだ。肉まん一つが5角。麺一杯が5元。だから、芋に5元払ったのは、一桁違いだったのだ。きっとそう言われたのに、私がわからずに一桁多いお金を出したのだから、おじさんがうれしそうに、このアホンダラはどこから来たのだろう?と思ったのだろう。)

 そうして買ったうまそうに見えたお芋は、結局、ジャガイモの方はまだガリガリに硬くて食べられず、サツマイモの方は濃い黄色で、かなり繊維が多くてグニョグニョに柔らかすぎた。でも、いいや・・。ただ歩き過ぎるより、立ち止まって話をしてみると、それだけで少し親しみがわいてくる。

 ゴミを集めて走る自転車。なんとか修理という看板をつけて走る自転車。ゴミ箱をのぞく人あり、天秤棒で野菜を道ばたで売る人あり・・・・そして、その脇を派手なスポーツカーが通り、オンボロ車も通る。道ばたで麻雀をする男女。ひたすら多量のにんにくをむいている人・・・・ぶどうをいっぱいに入れた大きなかごを自転車の後輪の両側につけた男の人は、ウズベキスタンだのカザフスタンといった系の顔に見える。鼻筋が細く通り、少し色の薄い目をして、美形。でも、少し気弱そうな少数派という感じに見えた。結局、この人には、2日間の滞在中、3度すれちがった。一度どこかから運んできた葡萄が売れるまで、町のあちこちを回っていたのだろうか?

 通りには、本当にさまざまな人があふれていて、なんでもあり・・・という感じ。

 一つ脇道に入ってみた。すると食べ物屋、食堂が現れた。一等地の大通り沿いから一本脇道に入ると、すぐ庶民の生活圏。古い高層アパート・・・・このでかい中国でも、これだけ大勢の人々を収容する空間は、空に伸びないといけないのだろう。

 昆明で一番高いホテルという昆明飯店・・・きらびやかな空間のその裏の路地に入ってみた。路地に屋台が出て市場になっている。野菜、鶏、そして餃子屋、地元の人々が入る食堂が並ぶ。じゃがいも売りのお父さんと娘。ふざけあって笑っている。カメラを向けたかったけどとまどっていたら、じゃがいもがコロコロと私の足元まで転がってきた。拾って渡すと、「謝謝(シェーシェー)」と微笑んだ。にっこにこの母とマルコメ坊やのような坊や・・人々の喧噪を少し離れた裏道には、いろいろな人の顔がある。

 

 

「サニの人たち」

 おばさんたちが、道ばたで刺繍をしていた。刺繍をしている人を見ると、つい覗きたくなってしまう。覗くと、「ざぶとん、ざぶとん」と日本語を言って、刺繍のクッションカバーを見せてくる。刺繍もクロスステッチでモンに似ている。モン語で話しかけてみたが、全然わからない。「モン?」と尋ねるとキョトンとしている。「苗族(ミャオズー?)」と言うと、「そうだそうだ、ミャオズー、ミャオズー」と行った後、「サニよ」と行った。彼らはやはり、顔つきはモンとは違う。「苗族(ミャオズー)」はかなり大きいくくりで、その中の?サニ人という人たちらしい。

 彼女らが見せてきた刺繍。きれいだ。つり目の女性の作りかけの刺繍がきれいだったので、それを指さすと、かばんの中から同じような刺繍の布が出てきた。「イーパイ」と言う。私が首をかしげていると、他の女の人が日本語で「ヒャク、ヒャク」と言う。「それ、高いよ。」と言うと、「じゃあ、いくら出す?」と。「アールシー(20)」と言うと、刺繍の作り手は、急にむくれてふくれっ面になった。私が日本語で、「怒るなよぉ」と言うと、「冗談じゃないわ。こんなに時間かけて丁寧に作ったのに・・・」とでも言っているかにまくしたてた。実は何もわからないが、言われたことを口まねをしながらうなずく。私が、「ウーシー(50)」と言うと、向こうは「パーシー(80)」と言った。80じゃ買わないなぁ・・・と渋っていると、50でいいと言う。いったい高いのか安いのか見当もつかずわからないが、まぁ、800円かぁ・・・いいかぁ・・・と。でも、絶対これでもふっかけられている値段だろうと思う。どうも民族の刺繍を売るおばちゃんに弱い。さっそく買ってしまった。サニの人々は石林から来たという。道ばたで一日中刺繍を作っている。いったいどこに住んでいるのだろう?

 夕食は、ホテル近くの四つ角にある、混んでいる店に行ってみた。食券を買い、麺や飯のコーナーに行って交換するのだが、買い方がさっぱりわからない。仕方ないので、麺のところを指さすと、3元だという。安い。その食券を持って麺のコーナーに行ってみると、3元のは素ウドンのようなもので、その隣の辛そうな色をしたギドギドした麺がおいしそうに見える。「多少銭(トゥアシャオチェン)?」と聞くと、「5(ウー)」と言うので、食券を買い足してその麺を食べてみた。バラ肉、ピーナッツが入っている真っ赤な麺だが、見かけほど辛くはない。5元=80円。安い。ビールも同じ値段。水は2元。

 中国初日。言葉もわからずじまいだったけれど、なんとかなった。タイやラオスのようにニコニコ笑って対応はしないが、中国の人は、にこりともしない無愛想な中で、結構親切なようにも感じる。まっ、ぼられたのかもしれないけど、それも有りだ。ただ、この大量なる津波のような人間と自転車の量の中に入ると、無関心でつっけんどんにならざるをえないし、そんな中で生きていくにはパワフルなエネルギーがいる。

 

1000 円 → 60元    1元 → 16円

タクシー 20 /茶花賓館 170/列車チケット(昆明−南寧 1等寝台184+30(手数料)

芋 5 / 中華クッキー 3 /ポストカードセット  30 / 夕食(辛そうな麺) 5

缶ビール(青島) 4 / 水 2 / ホテルのビール(ランジャン(メコン)ビール) 5

サニの刺繍 50 / 家(日本)に電話 8.2 / 広西チワン族自治区に電話 4

                          520.2元 (8323円)