12月28日(金) 昆明  いやはやの一日

「バス停を探して」

 朝起きたら8時。二度寝したせいもあるが、初めてのところで知らぬ間に緊張して、意外に疲れているのかもしれない。昨日買ったお菓子とコーヒー、お茶で朝食。 

 9時半、ホテルを出る。雲南民族村に行こうかな?と思っていたが、テーマパークに行っても仕方ないかぁ・・・と、西山(シーシャン)森林公園という古くからの名所?に行こうと思う。そして、西山の下に広がる真池(てんち、本当はさんずいに真)を見ようと思った。司馬遼太郎が、「街道をゆく」の中で、「真池(てんち)はまことに去りがたかった。・・・湖畔を離れた瞬間から、あたまのなかに青っぽいカーテンがかかって追想の影絵があらわれるというような、一種、神威を感じさせる山水だった」と書いている。

 ホテルを出て、タクシーに乗る。「クンミンステーション」と言っても運転手は首をかしげている。そこでノートに「昆明駅」と書いて見せた。わからない。そこで、ガイドブックのページをめくり、やっと「列車」という文字を見つけ、それを略字で書いて見せると、やっと納得した顔になり、私のノートに「火車站(ホーチョージャ)」と書いてくれた。駅をそう言うのだ。列車は、中国では火の車なのだ。赤い顔の田舎のおっさんという感じの運転手さんは、愛想よく、なんだかだと話す。全然わからないが、私がうなずいては復唱するので、どうもわかっていると思っているのか、どんどん話す。タクシーの基本料金は8元。駅までは結構遠い。昆明はでかいのだ。

 バス停が駅の近くというので、駅に来たのだが、どれがバス停やら、それもわからない。歩いているうちに、バスが止まっている一角があった。入ってみると、人々がガンガン声をかけてくる。「文山−昆明」「思茅−昆明」やら、でっかい文字で行き先を掲げたバスが止まっている。どこへでも行けるのだ。でも、ここには、私が今日乗ろうとしている近距離バスはなさそうだ。うろうろと歩いて行くと、また女の人が声をかけてくる。そこで、ちょうど出ていた看板の中の「西山」という文字をさして、「我要去(ウォ ヨォ チュ)(行きたい)」と言うと、「51(ウーシーイー)」と言う。すぐにわからずに首をかしげていると、私の手のひらに指でなぞって、51という数字を書いてくれた。そして、向こうだよ、と指さす。その方向へ、またまたわからぬままに歩いていく。

 人々が、ガンガン中国語で話しかけてくる。完全に中国人だと思われているらしい。旅行とか宿とかの客引きのようだ。みんな近寄ってきては、しばらく私の横を歩きながら中国語をまくし立てる。一息入ったところで、私がゆっくり「我不会中国語(ウォ プー フイ ツンクワユ)中国語わからない」と、それだけ覚えた言葉で言うと、ありゃ?という顔をして、ニッと笑うと去っていく。おかしくなってしまう。

 何人目かに声をかけてきたアンちゃんは、ホテルのパンフを持っていた。「どこに泊まっているんだい?」というので、「茶花賓館(ツァーフアヒンカン)」と言って、また「ウォプーフイ・・・・」と言って、アンちゃんの顔を見上げると、アンちゃんは人がよさそうな日に焼けた顔でニッと笑った。何だか漢族の顔には見えなかった。ラオスで見かける顔とよく似ている。

 バス停はあったものの、51番のバスはなかなか来ない。44番・民族村というのは次々と来る。乗ろうか?と思ったが、あんまりボロいのでためらってしまった。「まぁ、もういいか。今日も町中をぶらつくかぁ」と、道の反対側に行ってみると、そこはまた大きなバスターミナルになっている。駅前に何カ所もバス停があるのだ。バスターミナルは立派できれいな建物。椅子もたくさん並び、売店もある。私はとりあえずトイレへ。チケットを持っている人はただらしい。トイレの入り口に座っているお兄ちゃんが「見せろ」と言う。私は困って、「不有(プーヨウ)、不去(プーチュ)、明天(ミンティエン)ない。行かない。明日」などと、知っている単語を並べたてると、「2角」と言うので、それを払って入った。

 トイレは確かに区切りはあるものの、扉がない。中は縦に一本の溝が走っている。手前でしゃがんでいる人のお尻が通りすがりに見えてしまう。奥に入ったが、どうして手前から人が入るのかなぁ?落ち着かないのに・・・などと思う。しかし、奥の方にいると、他人の落とし物が流れてくるのかもしれない。以前はきっと、この間仕切りもなかったのだろう。

 トイレにも入ったことだし、いっぱい客引きにも会ったし、それで満足して今日は帰るかぁと歩くと、44番のバスがひっきりなしに通り過ぎていく。ボロくない普通のバスだ。せめて民族村に行こう・・・と、また引き返し、ちょうど止まっていた44番バスに飛び乗った。それは、とびきりオンボロのバスだった。だいじょうぶかしら・・・・「リウ(6)」と車掌が言う。わからないので10元出すと、車掌は少し嫌な顔をして、おつりをくれた。4以上のたくさんお金が戻ってくる。不思議だなぁ・・・たくさんおつりをくれるなんて・・・と思って、ガイドブックを見ると、0.6元。たくさんおつりが戻ってくるはずである。乗り合いバスは安いのである。

「民族村へ」

 バスは郊外へ向かって走っていく。と言っても、自然の風景はなかなか現れず、どこまでもどこまでも、小さな作業場や、修理屋みたいなのや、へんな温泉旅館みたいのや、情緒のないほこりっぽい景色が続く。そんな中を、たまに小さな馬に荷車をつけてひかせて馬車が通る。そんな馬車が普通の車の横を走っている。しばらく行くと、やっと田舎の風景になった。といっても、あまり大きな木々はない。

 民族村に着いた。入場料が45元もする。本当にテーマパーク。作られた公園の中にある民族の家・・・予想通り、おもしろくなかった。タイ族の入り口で、演奏をしているお兄ちゃんにラオス語で話しかけてみると、ラオ語は何の問題もなく通じた。シーサンパンナーから来ているという。目がぱっちりとして色が浅黒い兄ちゃんは、やはり漢族の顔とは違う。民族衣装を着て、写真撮影だの、踊りとか、いろいろあるけれど、どれもこれも興ざめがして、嫌になってしまった。

 ここから西山に行けるという。西山方面という西門に行ってみた。誰も他に客はいず、車が止まっている。もちろん白タクだ。どうしよう・・と思いつつも、西山に行けるか?と聞いてみると「イーパイ(100)だ」と。「太貴了(タイグイラ)(高い!)」と言ってみると、おじさんは「高くない。ほら」と地図を一生懸命指しながら「こことこことこの寺と、竜門と行ってから、ホテルに送っていく。どこに泊まってるんだ?」と言う。こんな人さびしいところで白タクに乗って、どこに連れていかれてもどうしようもないのだが・・平気かなぁ?でも平気だよなぁ。いいのかなぁ・・・と思いつつ、ここで戻るのも・・・と、またまた白タクに乗ってしまった。

 おじさんは、ぶっかけ飯を食べかけていたのだが、それを途中でやめ、食べかけの丼を、トランクに入れた。手真似で「食べないの?」と聞くと、「いいんだよ」と笑って、車をスタートさせた。少し走ったところで車を止め、ぶっかけ飯の丼を持って走っていくと、そこにいた女の人に丼を渡した。奥さんらしい。きっと「いいカモなんだ。今日は銭が稼げたぞ」とでも言ったのかもしれないが、食べかけの丼を奥さんに渡しに行く彼は、きっと疑うような人じゃないだろうなぁ・・・と私は思った。

「西山へ」

 道はほこりっぽく、レンガの家が続く。ほこりをまいあげながら、馬に荷車をつけた人々が通る。そのほこりっぽく乾いた景色が、西山の地域に入るといきなり木々が広がる。西山の公園地区は伐採もされずに残っているからだろう。むかしはもっとたくさん木々があちこちにあったのだろう。バスは山の入り口に止まる。下から人々が歩いている。もしバスで来たら下からずっと歩いて山を登らなくてはいけないので、結構時間がかかったかもしれない。白タクでよかったのかも・・・と思う。高尾山にでも登る雰囲気。

「華亭寺(フアティンスー)」

 まぁ、その派手な四天王のでかく派手でアニメのようなこと。「千と千尋の神隠し」に出てきそうな姿。そして五百羅漢像というのが壁いっぱいにあるのだが、全部彩色がされていて、気高いともありがたいとも思えず・・・おもしれぇ・・・という気がしてしまう。お寺の境内の一角で、尼さんの肩を警察だか兵士だかのおっさんがもんであげているのは、なんだかほほえましかった。

 

「龍門」

 さらに山道を上っていくと、大きな駐車場があった。そこで運ちゃんは待っているという。私が一人で参道を歩いて行く。おみやげ屋が並ぶ。暇そうな女たちが、毛糸でスリッパを編んでいる。これもおみやげとして並ぶ。そうでもなかったら、トランプ、麻雀、または丸い駒に字が書いてある将棋のようなものをやっている。こんなところで、売れるのだろうか?と思うけど、観光地のおみやげや・・というのはどこも似たりよったりだ。

 途中、道が分かれていた。舗装の本道と、山に登る道がある。私の前を歩いていた若者が山道に入っていった。私もついて行こうとすると、本道を下りてきた一団の中で、言葉の不自由なおじさんが、不自由な言葉と大げさな身振りで、「違う!行くな」と言う。このような障害者の人々の、共通する人のよさ・・・というのか・・・かえって言葉がわからなくても通じる表現力を持っているように感じる。すると、他の女の人が、そっちもそうだし、こっちもそうよ、といった身振りをする。すると、その男の人は、手で急傾斜だ。大変だ。という身振り・・・・私は、その忠告を聞いていったん舗装路に戻ったのにも関わらず、前の人について、やはり山道を登ってしまった。気持のいい山歩きだった。でも、実は逆コースだったので、龍門に出会う感激が薄れてしまったようだ。龍門は、真池(てんち)を望む西山の崖に作られた道教の石窟だ。崖沿いの道を真池を眼下に見ながら上っていくのが醍醐味だろうが、私は龍門より上の山に登ってから、下って裏から入ることになってしまった。

 このでかい湖は、どこまで続いているのだか、向こう岸ははっきりしない。

 帰りに、大観楼に行くか?と運ちゃんに言われた。いいところだよ・・・と。でも、白タクを無事に乗り終えることが気になっていた私は、結局、そのままホテルに戻ってもらった。道々、本当に人が多い。道沿いの小さな緑地帯でも、とにかく大勢の人々がたむろしている。圧倒される人の多さ。どこもかしこも・・・・・昆明の雑踏を通り抜け、車はホテルについた。おじさんには交渉通り100元払うと、そのまま車は走り去った。

「注文は一苦労」

 腹が減っていた。結局、朝、お菓子と昨日の飛行機の機内食のパンの残りを食べただけで、そのまま食いっぱぐれて、3時半。食い物を求めて町に出る。

 東風東路という大通りの一本南の道に、人々が大勢入っているおいしそうな麺屋があった。でも、いったい頼み方がまたわからない。食券を売っているお姉さんが、店の前の小さなブースに座っているのだが、メニューはそのブースの外壁に貼ってあって、それを差しても、おねえさんには見えないのだ。紙に写してそれを見せれば簡単だったのだが、私は何か言おうとすると、すぐラオス語になってしまい、壁を差してもおねえさんには見えず・・・で、向こうも困った顔をする。結局、店のもう一人の女の子が出てきて、私の指さすメニューを見てくれた。土砂鍋辻橋米線というものだ。これは雲南省の食べ物だそうだ。値段は一番安い6元のにした。けちくさいかな?と思ったが、それで量は十分あった。麺は何?と聞かれてもわからないが、最初に言われた方にうなずくと、白いウドンのような麺だった。熱いスープと具とウドンが別に出てきて、それを土鍋に入れて食べるというもので、昨日の麺よりもあっさりしていて、食べやすかった。

 その後、お茶屋を覗く。昆明には、雲南銘茶・・と書いてあるお茶屋があちこちにある。太った気のよさそうなお兄さんが、机の前に座っていて、手招きをする。座ってみた。机の上の電気ポットのお湯は、いつもチンチンと沸いている。急須ではなく、蓋つきの湯飲みにお茶の葉を入れ、まず、お湯を入れてそれはすぐ捨てる。その後、お湯をまた湯水のように注いで、同じ茶葉で何度もつぐ。一回目よりも数回目の方がよく味がでている気がした。のどによいというお茶と、プーアール茶を入れてくれた。小さい湯飲みだが、飲み干すと次々に入れてくれるのだ。プーアール茶は有名だが、発酵がきついのか、あまり匂いが好きでない。のど茶もすっとするが、やはり匂いが気になって、他のお茶を買うことにした。結局、雲南省のジャスミン茶を買った。茎から切った葉が丸まっているお茶だ。50グラム単位で売っている。50グラム25元。安くはない。バラ茶は、50グラム20元。いいのやら悪いのやら、またわからないが、こうやって、お茶屋で座って飲ませてもらいながら、全然言葉がわからないで、話してわからなくて困って笑うのも、悪くはない。最後に、店のお兄さんのお母さんらしき人が、私に「何人?」と尋ねる。「日本人」と答えたとたんに、「まぁ、日本人かい。それなら、プーアール茶だろ。日本人はプーアール茶を買うんだよ」と、丸くパッケージされたお茶を出してきた、65元。50にまけるよ・・・と言う。息子の方が、「いいよやめなよ」と、少し困った顔をした。このお兄さんも、漢族というよりもラオスでも見かける顔。押しが強くなく、商売気を感じさせない。

 お茶をたくさん飲み、店を出た。暗くなっている。裏通りは、夕方からますます店が多くなっている。切り花を売る屋台がいっぱい出ていた。

                             (1元=16円)

タクシー 10 / バス0.6 / 民族村 45 / 白タク 100 / 寺、龍門拝観料 27

バラ茶 20 / バラ茶100グラム 40 / 茶200グラム 100 / ビール 3

日本への切手 4.2 x2= 8.4 / 茶花賓館 170 / 夕食、麺 6

                      530.4元 (8486 円)