1月8日(火)   台湾へ

「台湾へ飛ぶ」

 香港を発つ。小平は香港から日本へ帰る。彼女はまともに明日から仕事だ。

 私は、香港から台北に向かう。わざわざ・・・・本当は船で渡りたかった。さんざん調べたのだが、なかった。以前はあったらしいが、お客が少ないのでなくなったとか?

 日本アジア航空 (JAA) 9:10発 台北着 10:20

 JAAなので、いきなり日本語の新聞があり、日本人のスチュワーデスもいる。

 飛行機に乗り、私は窓側だったので、手前のおばあさんに「イクスキューズミー」と言うと、「は?」と顔をあげた。あれ?日本人かな?と、ふと座席を見ると日本の新聞が置かれている。「あぁ、日本の人だったのだ」と思い、「すみません」と座る。

 日本の新聞を読むおばあさんは、台湾の人だった。台湾生まれ。大正生まれだという。「私は日本人でしたからね」とおっしゃった。そうなのだ。台湾は日本に50年間も占領されていたのであった。

「日本の教育受けたから、今も読むのは日本語の方がいいのよ。中国語よりよくわかるのよ。敗戦で日本人でなくなった時、みんな泣いたわ」と。やはり台湾の人と結婚した。夫は商売人で、商売のため、香港へ移り住んだという。香港が返還になる前にカナダに移り、今はバンクーバーで暮らす。でも、息子や娘たちが、香港、台湾、カナダと散らばっているので、今回訪ねているのだという。

「いったい、何語で会話なさるんですか?」

「日本語と、台湾の言葉とね。 今は子どもたちは英語と、台湾語と、日本語も話せるわよ。私と夫は日本語で話していたのよ」と。

 国と国との争い。他国の侵略・・・に翻弄された人生。元々の民族の言葉ではない言葉で教育を受け、その言葉で読み考えるようになった・・・・おばあさんの言葉からは日本を恨んだり悪く言う言葉は聞かれなかったが、私は日本語を話せるという、ホッとするうれしさとともに、何とも複雑な気持になった。

「台湾のおにぎり」

 おばあさんだけでなく、台湾に着いた途端、日本語が通じるのだった。税関の人もパスポートを返しながら、「ありがとうございます」なんて言ってくれてしまって、中国の素っ気なさに比べて、面食らってしまった。

 私は台湾は素通りだ。今夜、港町基隆からフェリーに乗って、那覇に向かう。台湾素通りはもったいないとは思ったけれど、次回にとっておこう。

 空港から台北行きのバスに乗る。駅前には三越があり、ドトールコーヒーがあり、ドトールの中に入ったら、日本語のポスターがあった。お昼、麺屋に入り、注文に戸惑っていると、「あんた日本人?これ、排骨麺、**麺、**飯」とおじさんが言う。決してお年寄りだけではなく、日本語を話す人が多いのだ。セブンイレブンがあり、なんとおにぎりを売っている。びっくりした。

 基隆まで移動することにした。電車にゆられて行く。中国と違い、人もまばらである。電車の席で居眠りをする人々も、なんだか日本と似ている。中国での、人人人・・・の群をかきわけかきわけ・・・・ということはない。外の景色も日本の田舎みたいだ。

「港町、基隆」

 基隆。台北から電車で50分ほどの港町。荷物をガラガラ引っ張って、港まで歩く。人気のない港の建物。一人、中に入ると、玄関脇の机におばあさんが座っている。片言の日本語を話す。「荷物?あぁ、私見てあげる。心配ないよ」と言ってくれるが、私の荷物を見て「あんた、荷物少ないね。私の荷物一つ、あんた持つ・・アメだけね。心配ない」と言う。ちょっと困った。やばいものがあるかどうかは知らないが、きっと税関でひっかかるほどの量があるのだろう。「あのぉ、私、何かわからないと持つわけにいかないから。それに、私が持っていたら変でしょ」と答える。「だいじょぶ、だいじょぶ。アメと米だけ」と言う。いったい、台湾からアメなんか運ぶのかなぁ・・・と思う。

「ちょっと上見てきます」と、そこにかばんを置いて、税関がある上階に行ってみた。すでに、二人、乗客の人が、まだ何時間も待たなくちゃいけないのに、ベンチで本を読んで待っている。またまた日本語を話す職員がいたので、荷物のことを聞いてみると、預かってくれるというので、税関の建物の中に預かってもらった。とても親切なおじさんで、日本語教本というのを片手に、なめらかな日本語を話していた。出港の時間はまだまだ先なので、税関には人もなく、電気も消えていて、外も曇のせいか、何だかくすんだ場末の港の旅愁がただよっている。

 基隆は、一見、くすんだごちゃごちゃした港町といった雰囲気がある。決して洗練されていない店並が続く、なんということはない町なのだが、喫茶店だけはおしゃれな喫茶店があり、また焼きたてパンのベーカリーも多い。芋泥(芋の練りあん?)入りのパンや、あんぱんなどもある。喫茶店に入ってコーヒーを頼むと、一杯が80元もしてびっくりした。港町だからなのだろうか・・・・国境の町、港町だから、新しいものと、元々の町並とが混じり合っているのだろうか? 喫茶店で座っていると、まるで日本の喫茶店にでもいるみたいだ。やはり、近くなってきているからか?日本からの影響があるのか?

 基隆の夜市は面白い。いろんな屋台が、お祭りのように出る。麺やら他の食べ物にまじって、カレーライスがあり、結構人気があるようだった。食べてみたいなと思ったが、カレーは日本で食べればいいか・・・とやめた。基隆名物の看板を掲げているのは天ぷらだ。寿司もある・・・・お好み焼きや、たい焼きもある。やっぱり日本に近いのかしら?

「出港」

 港に戻った。さっきまでひっそりしていた港には、急に明々と光りがともり、動き出したようだ。フェリー「飛龍」が入港していて、白い船がきらきらとやけにまぶしく見える。あぁ、うれしい。海を越えて日本に帰って行くんだ。私は急にうきうきしてしまった。

 しかし、豪華客船(ではない。けど、私にはそんな気分だった)なのに、お客は少ない。日本人は、さっきから本や英字新聞を読んでいるインテリそうなご夫婦(旦那は元JICAで奥さんはフィリピンの人。現在は那覇在)と、自転車にいちゃん。おじいさん(日本人か台湾人かよくわからない)と、私だけ。その他は、台湾のおばちゃん、おばあちゃんたち。パンチパーマのおばちゃんたちが10人ほど。こんなので元が取れるのか?心配になってしまう。さっきのおばあちゃんは、私を見つけると「おねえちゃん、部屋いっしょね」と言う。わぁ、まいったなぁ。本当に荷物持たされたら、困るなぁ・・・と思う。

 9時頃、乗船。部屋は、私は物静かなご夫婦と一緒だった。二人は出港前からそそくさと寝てしまい、私は一人でデッキに出たり、うろうろ歩き回った。お客は全員、2等である。1等の部屋にいる人はいない。

 デッキに出る。基隆の明かりが遠ざかって行く。前方に顔を向けると、真っ暗。ただ真っ暗。海なのか空なのかわからない、ただ漆黒の気体と液体がつながっている。恐い。真っ暗な空間に突き進んでいく。顔を数秒向けていると、恐くなって顔をそむけてしまう。

 振り向くと、基隆の明かりがとてもきらきらとやさしげに楽しげに、ずっと船を見送っている。あんな小さな港町の灯りだけど、遊園地みたいにきらめいて見える。だんだん遠ざかっていく。遠ざかって行く。小さく・・・小さく・・・見えなくなった。

 真っ暗な世界。見上げると、ほのかに星が見えた。カシオペア?

 まっくらな海、黒い黒い海・・・