第9回

「CUBE」CUBE(1997)

− また一つ生涯忘れることのできないであろう作品に出会うことができました。カナダの若手映像作家によって作り出された、この「CUBE」という映画は、独創的なアイデアと優れた映像感覚から生み出される奇妙な閉塞感と、緻密な人物設定とストーリーによる緊迫感によって、SFサスペンスに似た形で、作者の人生感や人間の暗部、社会風刺という重苦しいテーマを90分という短い時間で見事に描ききりました。

CUBE

− 大まかなストーリーはこうです。何者かによって謎や罠が仕掛けられた立方体の集合体に閉じ込められたグループが隠されたヒントを頼りに出口を探していきます。ヒントはそのグループの構成員自身に含まれ、協力することによって必ず出口は見つかるようになっているのですが、絶望的な状況に置かれた人間たちは、その最も協力しなければならない場面で、自らのエゴによる愚かな行動により自滅してしまいます。人生に目標を持てない者達は協力を拒み、自分に負い目を持つものは他人を中傷し、前向きに生きたいと思う人間はその願望の強さゆえ偽善の皮をはがされ、エゴをむき出しにし、仲間を全滅させてしまうのです(それが市民を守るべき警官であるという点で皮肉にもなっているわけですが)。

− 彼らが閉じ込められる立方体は社会の象徴として描かれています。閉じ込められる以前は全く無関係だった彼らは、偶然とも必然とも分からぬまま、何らかの法則はあるにせよ、実態は見えず、明確な指針も与えられない、誰も理解できない極めて不条理な空間に集められ、集団として行動することになってしまいます。それはまさしく現代社会の一面であり、その仕組みを実に巧く立方体の集合体として表現しているのです。そして、立方体から抜け出す方法を見つけて行くことが、社会で生き抜く術であり、それが互いを尊重し、協力し合うことだというのは、あたりまえの良心的な結論ではあるのですが、結局、普通の人間はそれができずに全滅してしまうという悲観的で現実的な結末も用意されています。ただし、ラストシーンは作者としての生き方の回答となっていると言ってもよいでしょう。それが、良いか悪いか、正しいか間違っているかは別にして、一種の安堵感をもたらし、作者の良心を感じられるものになっていると思います。(最後に生き残った者を、純粋と見るか狂気と見るかで全く逆の取り方もできるのですが)

CUBE

− 監督は本作が初の長編映画となるヴィンチェンゾ ナタリ。脚本や舞台デザインも手掛けた彼は、気心の知れたスタッフに囲まれ、その才能をいかんなく発揮しているといってよいでしょう。「スターウォーズ」や「エイリアン」に影響を受けたという彼の映像センスに冒頭から引き込まれてしまった私は、舞台設定に感心し、デザインや映像に陶酔し、緊迫感あふれる演出に浸り、テーマに共感し、この上ない充足感に満たされ映画館を後にすることができました。こんなにしびれた映画は久しぶりのことです。(1999.3)

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