第10回

「キングコング」 King Kong(1933)

− キングコングといえば、知らない人がいないくらい有名なキャラクターですが、大抵は、そのキャラクターを利用した別のメディアや別の映画、リメイク作品によりその存在を知っているという場合が多いことと思われます。それほどこのキャラクターは色々なところで利用されたわけで、それはとりも直さず、原点であるこの作品が優れていて、その登場が衝撃的であったからに違いありません。しかしながら、そういう自分自身、TV等で取り上げられる有名なエンパイアビルのシーンやリメイクされた同名映画、ゴジラシリーズなどで知っていただけで、長い間そのキャラクターの魅力を理解できないでいたというのが本当のところで、実際にこの傑作に出会ったのはごく最近のことです。

キングコング

− リアルタイムで観ていなければ作品の良さや凄さを理解できなかったり、時代の変化とともに色あせてしまったりする映画は数多く存在します。そういった映画は本当の名作でないかというとそうは思いません。振り返ってそれらを観た場合に、逆にそれらによって生みだされたはずの世の中の常識の変化や表現方法の多様化などが邪魔になってしまうのだと思うのです。ですから歴史的に見ればそういった作品は間違いなく名作といえるでしょう。ところが、この映画はそういった邪魔はほとんど見当たりません。強いていうならば、特殊撮影がCGや大掛かりなアニマトロニクスではなく、最も初歩的な人形や粘土などによるストップモーションアニメを基本としていることぐらいでしょうが、それさえ全く問題にはならないのです。それらによって生み出されたクリーチャー(生き物)と人間とが見事に一体となった映像世界はそんな技術の未熟さなどまったく問題とならない程、見事な出来なのです。この脅威の映像を作り上げたウィリス H.オブライエンは「失われた世界」(1924)の特殊撮影で注目され本作に抜擢されたそうです。日本などではつい最近まで(一部は今でも)、通常の撮影と特殊撮影によるシーンはばらばらでとても同一の空間にクリーチャーと人間がいるようには見えなかったことを考えると(日米の映画に対する姿勢の違いとも言えますが)、この何十年も前に作られた映像には驚くばかりです。

− それだけではありません。舞台設定やストーリー展開なども、とても何十年も前に生み出されたものとは思えないほど想像力に富んだものです。実際に観ていただくことが一番いいと思いますので細かく挙げることは止めておきますが、ヒット作「ジュラシックパーク」の驚きはすっかり色あせてしまうとだけは言っておきたいと思います。少なくとも私はそうでした。コナン・ドイルの「失われた世界」が参考の一つとされてていることもあるでしょうが、コングのすむ孤島には、数多くの恐竜が生息しているのですが、その描写はまるで現実に存在するかのように実に生き生きとしています。この作品を観た時、「ジュラシックパーク」の驚きは色あせ、ましてやその続編などは盗作やパクりといわれてもしかたないと思えるくらい陳腐に見えてしまったのです。

− 何十年の間、この種類の映画はまったく進化していないと考えさせられる程、本作品は今も色あせることなく、モンスターパニック映画の金字塔として輝き、そして輝きつづけることでしょう。(1999.6.28)

(>DVDを買う)