第5回

「ニューシネマパラダイス」Nuovo Cinema Paradiso(1988)

− かつてこれほど映画への愛があふれた映画があったでしょうか。この映画をはじめて観たとき、心から映画が好きで良かったと思ったものです。そしてこのホームページを作ったとき迷わずこの映画の題名をいただくことにしました。今回はイタリア映画の名作「ニューシネマパラダイス」を紹介します。(正式にはフランスとの合作ですがほとんどイタリア映画といって良いでしょう)

ニューシネマパラダイス

− 舞台の中心は映画が娯楽の王様だった時代の小さな街です。その小さな街のただ一つの映画館がパラダイス座です。街の人々はただ一つの娯楽である映画をそのパラダイス座で観ることを心から楽しんでいます。その人々のエピソードを交えながら、主人公トトとパラダイス座の映写技師アルフレードの物語が展開していきます。

− まず、街の人々の映画にまつわるエピソードの数々がすばらしい。いちいち挙げることは避けますが、映画を心から愛している人々を観ていると、決して映画が娯楽のすべてではない現代で映画が大好きな自分と、同じように映画が大好きな人たちがまだたくさんいるんだと言う思いが込み上げてきて、まずはそれだけで暖かい気持ちになれます。監督・脚本をしたジュゼッペ トルナトーレの映画に対する愛情がこれらの数々のエピソードに込められています。ぜひご覧になって堪能していただきたいと思います。

− 映画はトトの少年時代と青年時代の思い出という形で語られていきます。少年時代のトトは映画好きで、パラダイス座に入り浸り、そこの映写技師のアルフレードと仲良くなっていきます。トトが成長し、いつしかアルフレードは彼の親友であり、人生の師となります。アルフレードの影響を受け、街を出て立派な映画監督となった彼は、アルフレードの死の知らせを聞いて、何十年ぶりに故郷に戻ってきます。そして荒廃した街と映画産業の衰退とともにつぶれてしまったパラダイス座を訪れ、少年時代の映画の思い出と青年時代の初恋と失恋の思い出をよみがえらせるのです。それらを思い出し、主人公トトが涙するすばらしいラストシーンで一気にこの映画は盛り上がります。検閲によって映画から切り取られ、長年保管されていたフィルムをつなぎあわせたストーリーのない短い映画が、人生から切り取られたはずの思い出と、映画の全盛だった時代へのノスタルジーを暖かく蘇らせるそのラストシーンは、突然の大胆な演出とエンニオ モリコーネによる見事な音楽により観る者に深い感動を与えてくれます。この、映画と人生の上手な対比と映画へのオマージュがあって、全世界の映画ファンの心をつかみ、その年のアメリカのアカデミー外国映画賞を獲得しました。

− キャストは少年時代のトトにサルバドーレ カシオ。彼は本当に見事な演技をしました。彼のお陰でこの映画が成功したとも言えるかもしれません。そして、アルフレードにフランスの名優フィリップ ノワレ。音楽は前述のようにエンニオ モリコーネ。彼は古くは西部劇から最近は「アンタッチャブル」等数多くの名曲を作っており、この映画でもとても美しい音楽を聞かせてくれました。

ニューシネマパラダイス

− 未見の方にはぜひ見ていただきたい映画ですが、注意していただきたいことがあります。必ず「日本/アメリカ公開版」を借りてください。上述の感動は「〜公開版」だからこそ味わえる感動なのです。「オリジナル全長版」もビデオ化されていますが、こちらはあまりお勧めできません。私は公開時に観に行ってひどく落胆しました。最初の感動が、追加された(ヨーロッパでは最初からついていた)シーンによってすべてぶち壊しになったのです。なぜなら初恋の淡い思い出が思い出でなくなってしまうのです。感動のラストシーンは全てが思い出となってしまったからこそのものです。どのエピソードも現在では復元することの出来ないものでなければなりません。それが分かって作られた映画じゃないと分かったとき、私は他のトルナトーレ監督の作品を観る気がなくなってしまいました。完全版は知らない方が身のためです(ちょっと大袈裟かな)。比較してみるのも一興かもしれませんけどね。(1998.4?)

(>DVDを買う)