第16回

千と千尋の神隠し(2001)

− この映画は好きです。多分、好き嫌いは別にして脚本的な問題は今までの宮崎作品中一番多い作品だとは思います。主人公の実社会での他人や両親との関わり、どういう悩みや問題を抱え、何故パラレルワールドに迷い込んだのか、そしてそこでの経験が実社会にどういかされるのか、そういったことが一切語られていないのです。意図的に削除されたとしても、絶対に描いておかなければならないと思う部分すらないと感じるのです。しかしながら、彼の思い浮かぶままの想像力がふんだんに盛り込まれた、遊び心いっぱいの宮崎ワールドは、堅苦しくなく、とても自由で、見ていてとても楽しいのです。

宮崎駿

− そのイマジネーション溢れる世界の上に、現代社会に対する批判を散りばめることでこの映画は成り立っています。逆にいえば、それこそがこの映画のメインテーマとなっています。最初は同じ女の子の成長物語を扱った「魔女の宅急便」のような失敗を心配したのですが、見る人を元気付けたいという彼の言葉とは裏腹に、中心として扱われているメッセージは「魔女の宅急便」とは全く異なる非常に痛烈な社会批判でした。パラレルワールドの住人たちの主人公に対する教育、その教育者の長たる者が抱える矛盾、人間の排泄物を呑み込み苦しむ川の主、自分の意志をうまく伝えられず、ストレスをため込んで暴走する「かおなし」や親の飼育下で世間を知らぬままわがままに育てられた「坊」など、現代社会に対する批判は過去の作品と比べより具体的になっています。しかしそれらは、どれも直接的ではなく、説教くさくも、力説するでもなく、好感が持てるのですが、その分、どれ程の観客が正しくそれを感じ取れたかでしょうか。子供というよりも大人達にもう一度自分達について考えさせるためともとれる両親のひどい描き方は、しかし、どれ程の親たちがそれを受け止めたでしょうか。子供に対する一切の義務を放棄した親に育てられた子供に「あいさつしろ」とか「礼儀をわきまえろ」といった簡単なしつけまでも、この映画を通して伝えければならなくなった今の日本を憂う者がどれほどいるでしょうか。親も仲間も助けてくれない、人間は独りで生きていかなければならないと小学生に訴えなければならない現状に問題意識を持つ人がどれほどいるでしょうか。テーマパーク的な楽しい内容だけを楽しめる映画である分、考え様によっては今までの彼の作品中、最も暗い社会問題を取り扱っているにも関わらず、その本題が埋もれている可能性があると思うのです。子供から大人まで、ヤンキーからオタクまで幅広い層に受け入れられる映画を作れるのは彼だけですから、いろいろな社会的メッセージを訴える映画を作れるのは彼の権利であり、義務でもあります。映画としては良いバランスになっているとはいえ、そういった人々にメッセージを受け取ってもらうためには、もう少しきつめに訴えかけることも必要だったかもしれません。前作までの重い使命感のようなものが感じられた強い主張に比べ、肩から荷が下りたような雰囲気さえあるのは、自然対人間という重いテーマに比べ、皮肉的に描けるという点では細かい社会批判の方が描きやすかったということもあるとは思いますが。

− ただ、そういったイマジネーション世界や社会批判が中心にあったとしても、やはり主人公の成長物語として、彼女の実世界での生活をしっかり描いておく必要があったと思うのです。パラレルワールドの存在意義が最後まではっきりせず、家族、現実社会との繋がりが希薄なのはどうしても気になります。主人公を応援するパラレルワールドの住人達が現実とどう関わるのか、なぜそういうかたちでしか存在し得ないのかは描く必要があったのではないでしょうか。確かに家族を描くのがあまり上手ではないのは前からだ思うのですが、何も考えてない大人を批判するにしても、親子の描き方にはすこし問題があったのではないでしょうか。脚本にそういった雑さを感じるのは公開時期に無理矢理間に合わせようとしたためかもしれません。いつも公開時期が遅れる彼の作品がぴったり間に合いましたからね。脚本だけでなくキャラクタデザインなんかもなんか雑ですし。(1回見ただけではそこまで理解できなかっただけで、繰り返し見ることによってはっきりしてくるかもしれませんが)

千と千尋

− 結局、私がこの映画を好きになった最大の理由は、他でもない、彼が「ナウシカ」の頃から黙々と語りつづけてきた、自然と人間の物語だったからなのです。本作品は彼の作品の中では初めて自然が人間を許したという点で、最も泣ける物語となったのではないでしょうか。人間によって殺された自然(川の神)が人間に復讐するために魔法を身につけようとして、狂いかけた(「もののけ姫」でいうタタリ神に似たところがあります)ところを人間に助けられ自分を取り戻す。それと同時に人間も昔自然に助けられていることを知り、そしてお互いに心を通わせあう。宮崎監督は一貫して自然に対する畏敬を映画を通じて語ってきました。「ナウシカ」では、人間に滅ぼされた自然が必死に復活をかけ人間と戦う姿を描き、「ラピュタ」では大地を離れ天空から自然(地球)を支配しようとする人間達の愚かさを描き、「トトロ」では、子供に向けて自然の大切さを訴え、「もののけ」では、もはや自然を壊さなければ存在し得なくなった人間が自然と手を携えて共存していく方法を探りました。自然と人間の接点となる人間達をずっと描きつづけてきたのです。そして、この作品ではついに人間と自然が理解しあい、手を携え、涙を流し抱き合ったのです。これはとても感動的な出来事ではありませんか。この作品では、自然崇拝の物語は中心ではないものの、実は宮崎駿はやっぱり宮崎駿で、逆に中心でなかった分、感動的なものになったといえるでしょう。(メインの物語だったら自然が人間を許した、なんて許されないかもしれませんしね)一連の作品の自然と人間の関係の変化は非常に興味深いところです。

− そういう意味でも、できればこの物語をメインにして、前後のエピソードを固めて欲しかったのです。そうすれば、たとえ4時間の映画になったとしても、最高傑作になっていたと思うのです。少なくとも私にとっては最も好きな宮崎作品になったはずです。そういった面で残念な部分はあるものの、新しい宮崎駿の世界と全く変わらない彼の良き物語に感動することができ、とても楽しい時間を過ごすことは出来ました。(2001.9.24)

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