このシーズンの寒川神社への初詣臨時バスの乗車券です。
 当時は相鉄鉄道~バス通しの割引乗車券が各駅で発売されていました。翌1989~1990年シーズンまでは発売されていたようです。バスは片道330円、往復割引が600円で、片道乗車券はペラ券ですが、往復乗車券は硬券でした。パンチが入れられるのは電車みたい?
 いずれの乗車券も、日付の年号が西暦(下2桁)になっている事に注意して頂きましょう。
昭和~平成 時代の変わり目の相鉄バス
 昭和から平成へ、時代が移り変わった1989年。あの前後に日本全国を覆った重苦しい雰囲気は今の、特に30歳以下の若い人にはわからないかも知れません。
 この時代はバス業界にも、新たな動きが見えようとしていました。横浜博覧会開催を控えた相鉄バスも、これを機に新しいステップに踏み出そうとしていたように思います。1988(S63)~1989(S64~H元)年の相鉄バスのトピックスを、いくつか拾ってみました。多少ローカルなネタもあります。
夜行高速バス「ブルーライト」 運行開始予告幕
車両編

コレクション編

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 この時期に撮影した児童遊園地の折返場(横浜市南区)の画像をご覧頂きます。横浜駅西口(一部保土ヶ谷駅東口発着)からの〔旭3〕系統の終点です。
 スイッチバック式の折返所で係員による誘導が行なわれます。3台分の駐車スペースがあり、ダイヤによっては食事等の休憩で長時間駐車している姿も見られました。緑色に縁どられた旧タイプのバス停標識も、時代を感じさせてくれると思います。 
寒川神社初詣臨時乗車券
「ふるさとエキスプレスバス'88」のチラシです。クリックすると拡大します。
 毎年大晦日の深夜~元日早朝にかけ、海老名駅~寒川神社間に初詣臨時バスが運行されます。
 寒川神社を発車して海老名駅へ向かう所。
初詣バス海老名駅行
1988(S63)年12月31日~1989(S64)年 1月 1日 寒川神社初詣輸送
寒川神社初詣 電車・バス乗継時刻表
寒川神社初詣 直通バス時刻表
 寒川神社で乗客を乗せる所。
 当時は海老名駅~寒川神社間に1日1便の定期路線の運行がありましたが、初詣バスはノンストップの直行でした。
初詣バス寒川神社
 三ツ境駅(北口)~南瀬谷小学校・ニュータウン南瀬谷・細谷戸第3等の系統は、以前は三ツ境駅のすぐ西の三ッ境1号踏切を通過していましたが、県道丸子茅ヶ崎線の整備により、新ルートに変更されました。
 整備によって立体化された相鉄線の交差区間を通過する南瀬谷小学校行。
 このルート変更により、瀬谷区役所に近い瀬谷警察署前停留所を通らなくなることから、区役所来庁者の便宜を図るため、南瀬谷小学校発の一部の便のみ在来ルートを経由する便を残しました。
(ただし踏切は通過せず、三ツ境駅は南口の到着)
 瀬谷警察署前を通過する三ツ境駅行には、少し分かりづらいが、行先表示に「二ツ橋経由」の文字があります。
 この系統は後に廃止になりました。
 平日のみ一日1往復だけ本厚木駅~河原口~海老名駅~大塚本町~相模大塚駅~大和駅入口~二ツ橋~三ツ境駅~二俣川駅北口と長距離を走る系統が運行されていました。綾瀬〔営〕のナロー車で運用され、バスファンの間ではよく知られた名物系統でしたが、1996(H8)年5月に廃止となりました。
  瀬谷警察署前を通過する本厚木駅行。下り方向でこの停留所を通過するのはこの系統だけとなりました。
 このルート変更によって、相沢原~二ツ橋間のルートも運行が無くなるため、平日のみ片道一回だけ瀬谷駅~三ツ境駅(やはり南口)系統が新設されました。旭〔営〕のナロー車の運用。瀬谷駅を夜21時の発車では利用する乗客があるはずはなく、やはり後に廃止となりました。
 上の本厚木駅~二俣川駅もそうだが、当時の相鉄バスは、一日1本と言う系統が多くありました。
 浜田地区の道路の開通により、国分寺台線に2本のルートが新設されました。
①海老名駅~浜田~国分寺台第10~国分寺台第12
②海老名駅~国分寺台第7~綾瀬西高校入口~国分寺台第12
 新設されたルート上を行く浜田経由路線。
1988年(S63)年 8月 8日 海老名付近に系統新設
1988(S63)年 5月12日 三ツ境駅付近 ルート変更による系統再編
丸子茅ヶ崎線立体交差
「ブルーライト」第1便出発
 横浜博覧会「YES’89」が開幕。メインの交通機関の一つとして横浜駅西口~博覧会会場間のシャトルバスが設定され、相鉄・横浜市・神奈中・東急・京急・江ノ電の6者が共同で運行しました。
 相鉄は5台の専用デザインの車両(三菱ふそう3台
西横浜〔営〕)といすず2台(旭〔営〕))を用意しました。
 横浜駅西口の専用乗場。
1989(H元)年 3月25日 横浜博覧会「YES’89」開幕
児童遊園地(相鉄バス廃止後) 2009年6月1日
 2009(H21)年6月20日の撮影です。敷地全体がフェンスで覆われているが、この数年、この状態のまま変わっていません。

 
2014(H26)年11月4日現在、この土地には民家が建てられています。
(個人宅なので、撮影・公開は控えさせていただきます)
児童遊園地(相鉄バス廃止後) 2003年11月1日
 久しぶりに訪れてみると、結構変化があるものです。小屋も建て替えられているし、後の住宅も建て替えられています。また、柵も網状のものに取り替えられていました。
 右は会場前を走るシャトルバスで、アルピコグループ入りする前、旧カラーの川中島バスとすれ違う所です。今は「みなとみらい大通」と呼んでいる道です。
 会場の降車場(ゴンドラゲート)です。
 YES’89ではもちろん貸切輸送でも大活躍。特に市内の小中学校の団体の輸送が目立ちました。左は貸切バス。子供たちが楽しそうでいいですよね。
「ブルーライト」出発式典 花束贈呈
「ブルーライト」チラシ 表
「ブルーライト」チラシ 裏
「ブルーライト」出発式典 テープカット
 「ブルーライト」開業時のチラシです。近鉄と共同で作ったらしく、体裁が近鉄製作分と全く同じ。車両も日野ブルーリボンになっています。
(「ブルーライト」に限らず、当時の近鉄系の夜行高速バスのチラシは皆そうだった)
 後に鶴屋町のバスターミナルができたり、大阪側でルートを変更し、茨木市内や難波に停車したり、USJに乗入れたり(但し2003(H15)年10月31日限り)と色々変わっていきますが、当時はチラシの通り、単純なダイヤになっていました。
 運賃は消費税導入前の金額です。運行開始直後の4月1日より消費税(3%)が導入され、片道8,080円、往復14,520円になりました。
 クリックすると拡大します。
 そしてその夜22時30分、横浜駅西口8番乗場より、大勢の人々の拍手に送られ、第1便2台が出発しました。
 8番乗場は普通の路線バスの乗場と兼用(当時は小机駅・西原住宅・川上団地行等が発車)で、バスが入って来る時、ベンチにいた若い女性2人組が「何あのバスー。」と叫んでいたのが印象的でした。
 この日、横浜市内均一区間の運賃の改定が行なわれ、大人170円、小児80円となりました。
(2014(H26)年4月1日より大人220円、小児110円(現金))
1989(H元)年 3月23日 夜行高速バス「ブルーライト」開業
 1980年代後半のバス業界の大きなトピックは、阪急・西鉄「ムーンライト」や京急・弘南「ノクターン」が火付け役となった、全国的な長距離高速バスブームでした。
 相鉄でも3月23日、夜行高速バス横浜~大阪線「ブルーライト」で、高速バス事業に参入しました。近鉄(当時は近畿日本鉄道)との共同運行です。
 当日の昼、横浜駅西口で行なわれた記念式典の様子です。第1便の運転士に花束が贈呈。
 続いて関係者によるテープカットが行なわれました。
1989(H元)年 1月 8日 昭和の終わり、平成の始まりと運賃改定
 1月7日、天皇崩御。62年強続いた「昭和」が終わりを告げ、翌8日より「平成」の世が幕を開けました。
 相鉄でも各事業所で半旗が掲げられました。8日の
西横浜営業所。
(営業所敷地外の公道から撮影)

 西横浜営業所は相鉄線西横浜の駅前に隣接した場所に位置していたが、1997(H9)年12月、保土ヶ谷区峰沢町に移転し、横浜営業所となりました。跡地は相鉄線星川駅付近の高架化工事のため、車両の留置線に転用されています。
平成最初の日 西横浜営業所
海老名駅~綾瀬西高校入口~国分寺台第12 方向幕
 天理ビル前に停車する帰省バス。昭和時代は毎年恒例の光景ではあったが、この年の暮れは「ふるさとエクスプレス」と銘打ち、在来の盛岡・青森方面、秋田・大館方面に加え、新たに金沢・輪島方面、高松・高知方面行が設定されました。行先からして、後の夜行高速バスへの参入のために需要を探るマーケティングの意味もあったように思えます。
1988(S63)年年末 帰省バス運行
 二俣川営業所は、以前は路線バスと貸切バスの両方を担当していました。路線バスは二俣川営業所と言いながら二俣川発着系統は担当せず、三ツ境・瀬谷駅発着の路線を運行していましたが、路線バスを旭営業所に移管し、貸切専門となりました。
 画像は、相鉄線の跨線橋から撮影した路線バス分離後の二俣川営業所。オレンジの貸切バス群が懐かしいです。この後高速バス参入により、高速バスの基地となって、共同運行各社の車両も見られるようになります。

 貸切バス部門分離により、現在は相鉄自動車二俣川営業所。夜行高速は横浜〔営〕へ。


※2009(H21)年3月31日をもって相鉄自動車はバス事業を廃止しました(タクシー部門は存続)。
 昼行高速2路線(二俣川駅~羽田空港・横浜駅西口~河口湖駅)と特定バスは相鉄バスが引き継ぎ。貸切事業は日の丸自動車興業に譲渡。この敷地は相鉄バス・二俣川営業所となりました。
※2012(H24)年6月24日をもって二俣川営業所は全面廃止。跡地は相鉄系のスーパーマーケットに利用されています。一部は羽田空港行高速バスの待機場所として使用。
1988(S63)年 9月 1日 二俣川営業所 貸切専業化
海老名駅~浜田~国分寺台第12 方向幕
 綾瀬西高校入口に停車する海老名駅行。平日のみ3往復(海老名発朝・国分寺台第12発午後)設定されたが、在来系統の停留所からそんなに離れていなかったこともあり、後の再編成で廃止となりました。
(この付近は現在綾瀬市コミュニティバスが運行)
海老名駅~浜田~国分寺台第12線
 21時30分、第1便が田沢湖へ向け出発しました。
 当時は鶴屋町の高速バスセンターは開業しておらず、相鉄線横浜駅の1階に予約を取り扱う貸切高速バスセンターが設けられました。
 今のこの付近は、クィーンズ伊勢丹への入口(エスカレーター)とATM、洋服店になっています。
瀬谷駅→二ツ橋→三ツ境駅
二俣川~本厚木線
瀬谷警察署前
こちらはは路線バス。6台みられるが、ずいぶん雑多な編成です。
 夜行高速バス2号路線として、横浜~田沢湖線「レイク&ポート」が運行を開始。やはり運行開始当日の昼間、横浜駅西口でセレモニーが行なわれました。テープカット。
1989(H元)年 7月20日 夜行高速バス「レイク&ポート」開業
寒川神社初詣の時刻表です。表は相鉄線電車~直通バスの乗り継ぎ時刻表、裏は海老名駅及び寒川神社からの時刻表です。クリックすると拡大します。
 1月1日~4日に運行された昼便。
 かつては乗客も運行本数も多く(
保土ヶ谷〔営〕の三菱ふそう車も使用されたこともありました)、1月15日(成人の日)にも運行があったが、JR相模線の海老名駅開業や電化・増発によって利用者が減り、運行日も運行本数も少なくなってきました。
 ただし、相鉄バス移管後の2003(H15)年は若干本数が増えており(大晦日~元日の深夜には寒川神社発海老名駅経由大和駅行の運行もあった)、現在も運行が継続されています。
 海老名駅前は、再開発で当時とは大分変ってしまいました。画像のバス停の背後は、今は「ビナウォークが建っています。
寒川神社初詣往復乗車券 鉄道~バス
寒川神社初詣往復乗車券
二俣川営業所
帰省バス 天理ビル前
「ふるさとエキスプレスバス88」 チラシ表
「ふるさとエキスプレスバス88」 チラシ裏
 相鉄ジョイナスに設けられた帰省バスの受付。
 お盆や年の暮れの風物詩として、TVニュースでも季節の話題として必ず取り上げられていた帰省バスですが、新幹線や高速バスの整備が進んだ結果、相鉄に限らず1990年代半ばにはほとんど運行がなくなりました。
帰省バス 受付
児童遊園地(相鉄バス廃止後) 2003年11月1日
〈番外編〉 児童遊園地折返場
児童遊園地 折返所
児童遊園地 小屋&バス停
児童遊園地 全体
〔旭3〕系統は2003(H15)年10月31日限りで相鉄バスとしては廃止、横浜市営バス(53系統)に移管されました。同時に平和台折返場まで延伸され、この折返所は使用されない事になりました。
 廃止翌日の11月1日に訪れたので、その時の様子を収めた画像をご覧頂きましょう。ちょうどバス停がクレーンでトラックに収容される所でした。寂しい…。