1989年3月23日に夜行高速バス1号路線として運行を開始した「ブルーライト」号。ネーミングはやはり、いしだあゆみのヒット曲から?
 近畿日本鉄道
(当時)と共同運行で、カラーリングも全く同じだった近鉄は日野ブルーリボン)。当時の夜行高速バスのデザイン上のトレンドとして、基本的には運行会社に関係なく、路線ごとに専用カラーを決めて統一感を持たせていた。近鉄でも「ブルーライト」の前の「サンライズ」「オランダ」が共同運行会社と共通デザインになっていた。
 ただ、相鉄では2号路線の「レイク&ポート」がこのデザインの色違いでデビュー(羽後交通とも違う)、「ラピュータ」「ポセイドン」「トリトン」は専用デザインとなったが、結局は「レイク&ポート」色が、相鉄が夜行高速バスの運行を終了させるまで、統一デザインとして使用され続ける事になる。
下敷き・1〔裏〕 上から「スーパーハイデッキ・ラウンジコーチ」・「スーパーコーチ」・一般路線車
6.大和・横浜~新潟「サンセット」
〔1993年11月2日~1997年9月1日〕
2.横浜~田沢湖「レイク&ポート」
〔1989年7月20日~2008年8月31日〕
1.横浜~大阪「ブルーライト」
〔1989年3月23日~2007年4月19日〕
(開業時のチラシについてはこちらをご覧下さい。)
バス共通カード 「よこはま動物園ズーラシア(シロフクロウ)」
「干支シリーズ」。2008(H20)年の「子」。
 これが、「干支シリーズ」の最終回となりました。十二支全てが勢ぞろいしている図柄から見て、初めからこの年で終わりにする事が決まっていたように思えます。前の年にICカード「PASMO」がスタートしていて、磁気カードのサービス終了が見えていたのだろうと思われます。
「干支シリーズ」。2007(H19)年の「亥」。
この年から、新CIのマークになっています。
バス共通カード 「干支シリーズ『戌』」
「干支シリーズ」。2002(H14)年の「午」。
相鉄自動車・観光バスのトミカ 手前がエアロバス・奥がスーパークルーザー(相鉄には実在せず)
裏 貸切車(旧塗装)の代表車両と路線車
 新春の恒例だった「干支シリーズ」のカード。例年、前の年の12月から発売されていました。いつから始まっていたかは解らないが、2001(H13)年の「巳」からご覧いただきます。
「干支シリーズ」。2003(H15)年の「未」。
コレクション編

◆1993年1月現在(B5版)
 明石海峡大橋開通までの間は、運行開始当初は中国道~播但道路~一般道~瀬戸大橋経由、後に山陽自動車道路経由で、坂出経由高松発着という形で運行されていました。
 車両のデザインはやはり瀬戸内海をイメージした物と考えられます。運行開始当初の共同運行会社だった瀬戸大橋高速バスと共通デザインでした。共同運行会社は後に四国高速バス、さらには琴平参宮電鉄と変わりました。

 相鉄撤退後は四国高速バスが再び参入、「さぬきエクスプレス横浜」の名で運行を継続しますが、結局西東京バス「ハローブリッジ」が八王子発着・新宿及び横浜経由というルートに変更して代替することになります。琴参は撤退という事になりました。

◆1990年12月(A4版)
 運行を開始した時のもので、高松線「トリトン」と共通になっています。
 車両については、「ポセイドン」は岩国の錦帯橋をイメージした物になっていた事は一目瞭然でしょう。なお、防長交通はオレンジをベースとした別デザインでした。
◆1993年11月現在(B5版)
 北陸小松(北陸自動車道の小松インターに併設されたバスストップ)に停留所が追加されています。
 ところで、写真の車両は、本来は田沢湖線用のいすずスーパークルーザーになっています。3台のうち田沢湖線専用は1台のみ、他の2台は画像の如く「Sotetsu」ロゴで、3列シートながら座席のレイアウトが若干異なり、大阪線など、他の路線の続行用としても使用されたものと考えられます。(つまりこの頃には金沢線も3列シート化されていたという事でしょうか?)
 昼行便は2000年3月まで運行されました。

 相鉄撤退後は代わって江ノ電バス(後に江ノ電バス藤沢)が参入、横浜から鎌倉経由で藤沢まで運行しています。
◆1989年7月(A4版)
 運行を開始した時のものです。
 時刻表には横浜(駅西口)と金沢(駅前)のみの時刻が記載されていますが、金沢市内では片町・香林坊・武蔵ヶ辻にも停車していました。
 当初は昼夜行で合計2往復が設定されていました。
横浜発・昼行-北陸鉄道・夜行-相鉄 金沢発・昼行-相鉄・夜行-北陸鉄道。
◆1993年10月現在(B5版)
 秋田側の横手~大曲間に「六郷」(六郷村・美郷町)停留所が開設されました。
 この後、秋田県内では山内(さんない)・せんなん・なかせんと相次いで停留所が開設される事になります。

 相鉄撤退後は江ノ電バス藤沢が参入。但し鎌倉・藤沢への延長は行なわれていません。羽後交通車は江ノ電バス横浜・横浜〔営〕に入庫。後にイオン大曲SCにもバス停が設けられています。
 これにより、相鉄の夜行バスは全面的に廃止・撤退となりました。相鉄のバスセンターも廃止になり、跡地は本来の用途だった路線バスの待機場所及び地下街から移転した案内所として利用されています。
待合所は貸会議室として利用されている模様。

2011年11月1日より鎌倉・藤沢へ延長。
◆2001年4月現在(A4版)
 3月30日に横浜→大阪便のみユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)まで延伸されました。(但し2003年10月まで)また、すでに茨木市内(近鉄バスの路線網があります)を経由するようになっていて、走行ルートが東名経由に変更されています。時刻表は裏面に書かれているので、ここに記しておきます。

往路:相鉄バスセンター22:20→横浜駅西口22:30→JR茨木駅5:30→阪急茨木市駅5:38→OCAT6:04→あべの橋6:29→USJ6:59
復路:あべの橋22:30→上本町22:47→OCAT23:02→阪急茨木市駅23:42→JR茨木駅23:50→横浜駅西口6:16→相鉄バスセンター6:26

 
相鉄撤退後は、東北急行バスと近鉄が共同運行していた「フライングライナー」が横浜を経由する形でカバーするようになっています。京都駅八条口を経由するが、茨木市内には停車しません。
バス共通カード 「干支シリーズ『午』」
 相模鉄道のバス(+相鉄バス)に関連して私が保有しているコレクションです。下敷き、トミカ・バス共通カード・そして夜行高速バスのチラシです。相鉄のバス事業の黄金時代の姿を映すアイテムでもあろうかと思います。
 コメントは車両編、あるいは「アーカイヴ」の他のコンテンツと被っている部分が多々ありますが、予めご了承下さい。
◆????年(B5版)
 これもチラシには年月日の記載がありませんでした。
 昼夜行で合計2往復が設定されていました。(横浜発・昼行-新潟交通・夜行-相鉄 新潟発・昼行-相鉄・夜行-新潟交通)
 このうち夜行便のみ、横浜からさらに大和駅入口(今はないんですが、平日1往復だけ運行されていた二俣川駅~本厚木駅系統の二俣川駅行と同じバス停・当時は地下化工事の真っ只中で駅前には入れなかった)まで運行されていました。片道だけながら新潟交通が大和に乗り入れていたのですね。

 1回乗車した感触では乗り具合は悪くなかったと思ったのですが、4年足らずで廃止になってしまいました。
◆????年(B5版)
 このチラシには、年月日の記載がありませんでした。ただ、やはり1990年代の前半くらいだと思います。

 横浜~山口県というのはやはり運行区間が中途半端だったという感が否めず、この後、既に品川~山口・萩線を運行していた京浜急行電鉄(当時)に路線を譲渡する事になります。同時に品川始発・横浜駅東口経由となりました。さらに萩線と一本化した後に京急が運行を廃止、現在は防長交通単独で東京駅~岩国・徳山・山口・萩で運行しています。(横浜は経由せず)
◆1989年7月(A4版)
 運行を開始した時のものです。写真は角館の武家屋敷のイメージですね。
 運行開始当初は横浜からダイレクトに秋田に向かっていました。後に浜松町バスターミナル経由となり、このあたりから乗車効率がさらに良くなってきたようでした。
(浜松町バスターミナルには昔から羽後交通の案内所がありました)
 秋田側の停留所はまだ横手・大曲・角館・田沢湖(駅前)のみ。
◆1994年1月現在(B5版)
 下段の路線もそうですが、この時期の高速バスのチラシはデザイン的に統一性があります。まだ横浜と大阪市内が東西名阪道・名阪国道経由でダイレクトに結ばれていた頃です。
 2001(H23)年12月、相模鉄道のバス部門の内、綾瀬市にある綾瀬〔営〕が分社の「相鉄バス」となりました。海老名市・綾瀬市・大和市に路線を持っています。
(1本だけ、大和駅から横浜市瀬谷区に入る系統があります)
 相鉄本体もそうですが、相鉄バスも残念ながら最近は路線の縮小が相次いでいます。一方で海老名市・綾瀬市のコミュニティバスの運行を受託、2009(H21)年4月には相鉄自動車(バス事業廃止)が運行していた高速2路線の運行を開始、二俣川〔営〕も引き継いで、高速と共に特定輸送も行なっています。
 「再発足」という表現はどういう事?「開業」じゃなくて?と思われる方も多いと思います。
 現在の相模鉄道は、1926(T15)年に開業した神中鉄道の路線が母体になっていますが、1943(S18)年に現在のJR相模線である
(旧)相模鉄道と合併して(新)相模鉄道になりました。この時、1940(S15)年に(旧)相模鉄道が開始したバス事業も受け継いでいます。しかしその直後、(旧)相模鉄道路線は国有化され、神中鉄道の路線だけが(新)相模鉄道となりました。同時にバス事業は神奈川中央自動車(神奈川中央交通)に譲渡されています。
 
(新)相模鉄道は1950(S25)年、沿線で新規にバス事業を開始しました。それから数えて「50周年記念」という訳です。
 この写真の撮影場所はたぶん、現在は廃線になった県庁前付近だと思います。但し「二俣川駅」の4文字は合成っぽい。
 貸切バス部門の分割・相鉄自動車委譲後に二俣川〔営〕で購入した物で、セット販売でした。貸切バス車内でも記念品として販売していたようです。手前は新色のエアロバス・奥は旧塗装のスーパークルーザー。但し、相鉄には純正のスーパークルーザーは存在しませんでした(ガーラデビューまでのいすゞ貸切は全て富士ボディ)。なお、新色になったスーパークルーザーのトミカもありました。
 相鉄グループの貸切バス事業は2009(H21)年3月を持って廃止され、日の丸自動車興業に譲渡されています。後にスタートした昼行高速バスは相鉄バスに委譲、二俣川〔営〕も相鉄バスが引き継いでいます(後に二俣川〔営〕も廃止)。
 1989年に「みなとみらい」地区で開催された、開港130周年記念・横浜博覧会「YES’89」時に、横浜駅西口~(首都高速)~博覧会会場間で運行されたシャトルバスの専用車。カラーリングもさる事ながら、逆T字窓の都市新バス仕様が驚かせた。(当時、少なくとも関東だと東京都営バスの都市新バス「グリーン★★★★」シリーズ位しか例がなかった)いかに相鉄の力が入っていたことか。
 会期終了後は「YES’89」のロゴを消した上で、「Green Box」(鉄道にもある独占広告車両)として、西横浜〔営〕(後に移転し横浜〔営〕)で、一般路線で他車と共通で運用した。

車両編

あの頃編

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4.横浜~徳山「ポセイドン」
〔1990年12月20日~1993年〕
3.横浜~金沢「ラピュータ」
〔1989年7月23日~2007年9月30日〕

Ⅲ・夜行高速バスのチラシ reaflet of night coach' s advertisement

 よこはま動物園「ズーラシア」で飼育されている「シロフクロウ」。
 このカードもシリーズ化されていたと思いますが、私が入手したのはこの1種類だけでした。入園料割引の特典がついていました。
 ズーラシアへは相鉄線の鶴ヶ峰駅・三ツ境駅
及びJR横浜線&地下鉄グリーンライン中山駅から相鉄バス路線があります。
「干支シリーズ」。
2006年(H18)年の「戌」。
「干支シリーズ」。2005(H17)年の「酉」。なぜかこの年は「相模鉄道」の4文字が、当時の正式なフォントになっていません。
「干支シリーズ」。
2004年(H16)年の「申」。
バス共通カード 「干支シリーズ『巳』」
Ⅲ・バス共通カード prepaied card for bus lines around Kanto area
Ⅱ・トミカ miniature car made by TAKARA TOMY
Ⅰ・下敷き celluloid board for lay under writing paper
5.横浜~高松「トリトン」
〔1990年12月21日~2007年6月16日〕
バス共通カード 「乗合バス再発足50周年記念」
バス共通カード 「2001.12.1 相鉄バス株式会社 開業」
表 1989年開催の「横浜博覧会(YES’89)」で活躍したシャトルバス
下敷き・2〔表〕 横浜博覧会シャトルバス(横浜駅西口~博覧会会場)
裏 1989年3月23日運行開始の夜行高速バス「ブルーライト」
下敷き・2〔裏〕 夜行高速バス「ブルーライト」(横浜駅西口~大阪上本町・あべの橋)
表 1989年に運行を開始した夜行高速バス
下敷き・1〔表〕 上から「ブルーライト」(横浜~大阪)・「ラピュータ」(横浜~金沢)・「レイク&ポート」(横浜~田沢湖)
上:「スーパーハイデッキ・ラウンジコーチ」
エアロクィーンKを使用した、当時の相鉄貸切バスのフラッグシップ車両。2台在籍した。
中:「スーパー・ラウンジコーチ」
後部がサロンに変形。カーブドガラスを採用。ただ、今にして思えば、当時としてもボディは古かったかもしれない。
下:路線バス
特にどうという事はない、当時としては平均的なエアロスターK。横浜・旭の両営業所に配置された。
上:横浜~大阪線「ブルーライト」号
夜行高速1号路線。近畿日本鉄道(当時)との共同運行で、カラーやロゴが共通(近鉄は日野ブルーリボンだった)。
中:横浜~金沢線「ラピュータ」号
北陸鉄道との共同運行。当初は4列シートで、昼行便の設定があった。当時昼行便では日本最長だったとか。
下:横浜~田沢湖線「レイク&ポート」号
羽後交通との共同運行。相手のアステローペに合わせたのか、富士重ボディのいすゞを選択した。