アーカイヴ
ARCHIVES PHOTOGRAPHS
 「アーカイヴ」(Archives)…「公文書、古文書」と私の英和辞典にありますが、ここはそんな大げさなものではなく、私の古いアルバムから引っぺがした古い写真を画像化してご覧頂こうという所です。気に入っていただけるかどうか分かりませんが、よければご覧になっていって下さい。
 なお、スナップ的な写真ばかりなのと、写真自体の劣化によって、より見苦しい画像になっているかもしれませんが、ご了承下さい。

 松本電気鉄道、及び川中島バスと諏訪バスが「ALPICO GROUP」となって以降、バスのデザインも何だか随分オシャレになりましたが、ここでは今から約20~30年位前、まだ赤・紺・クリームをベースにしたバス窓車が幅を利かせていた頃、及び「ALPICO GROUP」成立直前の貸切、高速の新カラー車の画像を中心にご覧頂きます。特に前者は、オールドファンには「これこそ松電バス!」と思われる方もおられるかも知れません。
 また、私は以前は結構登山をしていまして、特に夏場は北アルプスに行く機会が結構ありました。今現在(2010年)は途絶えてしまっているのですが、久し振りに行きたいと思っています。で、その行き帰りには当然松電バス(+電車の上高地線)を利用していました。中には松電バスとしては廃線となった路線もあります。山や、上高地の画像と合わせてご覧頂きたいと思います。
松本電気鉄道
 上高地のバスターミナルを出発した直後はこんな感じ。マイカーが入っていた事もあり、交互通行になっていました。

 向こうからやってくるのは川中島バスです。まだALPICOが成立する前でしたが、経営の破綻を契機に松本電鉄の支援を受ける事になり、カラーが松電新塗装の色違い(グリーン系)になっていました。
 燕岳への尾根道。北アルプスの中では比較的易しい山なので、学童登山にも利用されています。私が訪れた時も中学生の団体が来ていました。
 この後大天井を経由して槍ヶ岳へ向かったのですが、終始天候が悪かった上に、私自身が極度の疲労困憊に陥ったため、槍ヶ岳付近でお見せできるような画像がありません。従って一気に上高地の画像をご覧頂く事にします。お恥ずかしい…。
 帰りはもちろん松電バスのいすずBU。上高地バスターミナルで客を待っている所です。

 なお、現在もそうですが、上高地バスターミナルからバスを利用する際は、沢渡駐車場シャトル以外は全て時刻を指定した整理券の入手が必要になりますので注意。前日から配布しますが、長期の山行だと、せっかく上高地までたどり着いても希望の便どころか、その日の全ての便の配布が終ってしまっている事もあります。
(私もこの後の山行で、帰りの便の整理券を入手できなかったため、不本意ながらタクシーの相乗りで松本駅へ向かった経験がありました。)
白馬営業所(1990年)
 1990年に撮影した白馬営業所。JR大糸線・白馬駅から徒歩で3分程。今は高速新宿線・特急長野線の他、上高地の方から転属してきたNSKボディのP-LV318Nを中心に白馬村内路線や、小谷村営バス路線を運行している所です。夏は白馬岳を中心にした登山客、冬場は八方や岩岳などへのスキーヤーの輸送でも活躍します。

 当時はやはり旧カラーのモノコック車が全盛でした。そんな中、左端に見える貸切車は「ALPICO」の前の新色で、フロントと側窓に「さわやか信州号」と書かれています。
(当時は会員制バス)
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1988年10月 上高地
新島々駅前の上高地行
上高地 梓川・河童橋・岳沢、そして奥穂高岳

 この時は山には登らず、単純に上高地付近の散策的なトレッキングのみでした。「アルプス」から電車に乗り換え、新島々からはバスです。やはり北村ボディのいすずBUですが、後期の車で、バス窓から2段サッシになり、多少洗練された感じもします。フロントガラスが拡大されていますね。でも逆五角形のいすずのエンブレムは健在。

 左手の新島々〔営〕も並んでいるのはBUばかり。低公害車なんて夢のまた夢です。

303
BU04だと思いますが、とにかく昭和の終わりの頃までの松電バスと言えばこのタイプ・この塗装でした。これは松本市内線ですが、上高地・乗鞍等の観光路線でもポピュラーでした。
840
1989年の横浜博覧会「YES89」の時の駐車場で撮影したもので、P-LV719Rだと推測します。貸切車は昭和の終わりの頃から新色が採用されました。なお、撮影時には同色の松電観光バスも来ていました。
911
1989年には松本電鉄も高速バスに参入、松本~新宿線(京王電鉄と共同運行)及び画像の松本~東京線(JRバス関東と共同運行)の運行を開始しました。新宿線は現在は18往復運行する大幹線に成長しますが、東京線は早々と運行休止に追い込まれました。
〔303〕
〔840〕
〔911〕
上高地バスターミナルに隣接する駐車場
 上高地って、晴れるとこんなに美しいんですよね…。岳沢の向こうに奥穂高岳がそびえています。(私も15年も経ってからこのルートで穂高岳へ行きました。)
 なお、現在(2009年)の河童橋は1997年に架け替えられた5代目です。

穂高駅前に待機する中房温泉行
松本2あ617
昭和の終わり位の松電バスを代表するもう一方が画像の三菱ふそうで、MR470でしょうか。
前ドアに社号が書かれているため、不覚にも番号が読めません。ゴメンナサイ。大糸線白馬駅前での撮影です。
1987年7月 中房温泉~燕岳~槍ヶ岳~上高地
 大糸線穂高駅前の中房温泉行。穂高駅~中房温泉線は季節運行で、ハイシーズン時には夜行急行「アルプス」に接続する便もあったのですが、私が訪れた日は確か平日で、朝もかなり遅くなってから始発便が運行されました。

 この路線は燕岳へのアクセスとして便利だったはずですが、やがて廃線になり(水害がきっかけだったとも聞いています。)、しばらくの間中房温泉までの公共交通はタクシーだけになっていました。現在は地元のタクシー会社によるバスがあるそうです。この他、大糸線沿線にはマイクロバスによるローカル線もいくつかあったのですが、全部廃線になってしまいました。残念です。
上高地バスターミナルで客を待つ新島々行
 この後数回北アルプスを訪れた後、しばらくブランクがありまして、21世紀になって再び上高地から北アルプスを目指す事になりました。この頃になるともう少しまともな写真もあるのですが、特にアクセスのバスがブランクの間に大幅な入れ替えを行なった結果、今も現役の車両が大半となり、「アーカイヴ」として取り上げるには少し早いように思います。その時の画像はまた別の機会に公開したいと考えています。
〔松本2あ617〕
上高地を発車直後
燕岳への尾根道
上高地・梓川にかかる河童橋
新島々の5000形 元は東急の名車
上高地→松本 バス→電車連絡乗車券
 上高地からの便は一部松本直行(当時は上高地発のみ)もありますが、たいていは新島々から電車を利用する事になります。当時は東急5000形が使われていました。

 上高地ではバス→鉄道の連絡乗車券も発売していました。硬券でした。
 上高地の駐車場。バスが並んでいますが、左側2台が松電バスで、どちらもFHIボディの三菱ふそうMS系と思われます。
 バスファンの皆様はだいたいご存知と思いますが、途中狭い釜トンネルがあるため、上高地への観光バスは貸切車はHDさえ投入できず、標準床の「上高地仕様」車が各事業者に配置されていました。

 手前にはマイカーが並んでいますが、当時はマイカー規制は確か休日と夏場だけでした。現在は通年毎日規制がかけられています。(沢渡や岐阜県側の平湯温泉の駐車場でシャトルバスに乗り換える事になる。)