名づけられざるもの 1 2 3 4 <<小説置き場へ |
サイボーグ専用のシャワー室は今日もジェット一人だった。他に誰が使ったという形跡もない。もっとも何人のサイボーグがここを使おうと、そこに人が使った跡など残らないであろうに違いない。 午後十時、その日その日の訓練を終えてあてがわれた部屋へ帰る時のジェットは、まるでここへ連れて来られたばかりの頃のように歩くこともままならないように見える。最初の頃、あの首輪を外されてもジェットの体は赤ん坊のように未熟な動きしかできなかった。だがそんな体なのに不思議なことだが、戦闘訓練に入った途端、それが嘘のように俊敏になる。今でも訓練時とそうでない時には体の感覚に落差がある。 (いっそ二十四時間、銃を持たせて戦闘気分になってりゃ寝る前にこんなにえれえ思いをしなくてすむってえのに。ったくできのいい厄介な体だぜ) 体重の半分を足で支え、引きずるように一歩一歩、進みたい先へと足を動かし、さらに体重のもう半分を手すりを掴んだ両腕で支える。この体を動かす上でクリアしなければならないのは、動き方そのもの、あるいは動かし方そのものではなく、その際の力加減だった。戦闘時において一気にその潜在能力にスイッチが入るこの体はその気になればいくらでも暴走してしまう力でもある。ある方向に際限なく向かっていこうとする力を、同じ体の中にある別の力で逆方向に「捻る」ことこそ、この体を使いこなす上での肝であり、その体の主である者を最も消耗させることなのであった。 (最初は一日中ずーっとこんな調子だった。あっちこっちに暴走して、ぶち当たって叩きつけられて・・・) 今日こなしたノルマを一つ一つ思い出す。今まではできなかったができるようになったこと、それが少しずつ、本当に少しずつではあるが確かに増えていっている。今日は加速装置マッハ一での連続三回使用をやった。二回使用できるようになるまでに合計百三時間かかったが、そこから三回できるようになるまでには恐らく八十時間強あればできるような気がする。 (で、またあちこちの皮がズル剥けになるってんだろな) ここまでくるのに随分と血を流したが、それと引き換えに信じられないようなことがいろいろとできるようになった。だがこの体の居心地の悪さだけはいまだにどうにもならない。それだけが悲しい。 (でもま、こんなもんでここまでできるようになったんだから、上等だよな。にしてもこんなことばっかりで、俺はそのうちどこの戦場へ送られるってんだろうな。ま、どうせ俺みたいな貧乏人のイタ公はそのうちベトナム行きに決まってたんだ、いいじゃねえか・・・) そう心の中で口にしながら、しまったと思った時には頭上に冷たいものを感じた。どういう仕掛けか知らないが、001はいつもこうして何の気配も前触れもなく現れる。 「ちぇっ、見逃せよ。寝惚け頭のたわ言さ」 《私はブラック・ゴーストの002です、と十回言えばこの場は免じよう》 「私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です、私はブラック・ゴーストの002です」 言い終わると、001の気配は消えた。 (赤ん坊が、こんな時間まで起きてんじゃねえよ・・・) ぼろぼろの体には今のは喋りすぎだった。しばらく手すりに掴まったまま、ジェットは崩れ落ちそうになるのをぐっとこらえていた。 固いベッドの上に仰向けになり、固く張った長い手足をまっすぐ伸ばした。ベッドもシーツもジェットの体格に対してゆとりがないが、それは何も今に始まったことではなかった。ジェットは目を瞑り「午前五時」という言葉を思い浮かべた。ジェットの頭の中にある補助脳には目覚ましのような機能もついていて、その上睡眠時間に合わせて睡眠のリズムを調節してくれる機能もある。便利と言えば便利だが、他事を考えていたりするとうまくいかない。頭の中身は人それぞれだが、常に頭のどこかで二つ以上の泡のような思考とも呼びがたい意識や言葉が浮かんでは消え、また浮かんでは消えていく。 (あれだよな、コーンスープの中からクルトンだけを掬おうとしても、パセリも入ってきちまうのと一緒だよな) ジェットはしまったと思ったが、せき止められていた雑念はなけなしの集中力の割れ目から細く無数に流れ出す。スープスプーン、食器棚、開けるといつもゴキブリが出てきた、台所にはいつもゴキブリの糞が、鼠の糞も、鼠捕り、鳥もち式の、冬の朝一匹掛かってた、朝、だから午前五時、お湯をかけてあっためてやろうとした、あったかそうだった、安心しちまって、そのまま放っておいたら、後で見たら凍ってた、バカなガキ。 (ああまたいらねえことをっ。頭ん中を元に戻すんだ) 鼠が死んだ、雪が、午前五時、朝、朝の五時に明日も起きる。 眠りに落ちる前に限ってなぜかこのように本来思い出してはならないことばかりが、思い出そうとしているわけでもないのに勝手に浮かんでくる。しかし朝目を覚ますと、もう前の晩にこういったことが頭に浮かんだことを彼は忘れていた。 「だから午前五時つったら、午前五時なんだよっ」 その声と共に頭の中で何かがあるべきところに収まっていったような感じがした。それは瞬く間に全身の感覚に広がり、彼の意識は真綿で覆われた底に落下していった。 早朝の軽いノルマをこなした後、ジェットはいつも通り彼一人には広すぎる食堂で朝食をとった。こういった体でも真人間であった頃と同様に物を食べなければならないというのもおかしな話ではあるが、実際に食事で得たカロリーがエネルギーになるというわけではなく、一種の精神安定のために人としての習性を改造された体にも残してあるのである。 最初の頃ずっと食べさせられていた茶色い紙パックに入ったゼリー状の食べ物に比べればまあまあ人間らしい献立のものを頬張りながら、ジェットは大きな声で三メートルほど離れた調理場にいる年配の食事係に話し掛けているつもりになっていた。食堂に限らず、サイボーグは私語は厳禁となっていたため、そのかわりに彼はいつも頭の中で目の前の人間と喋っているつもりになっていた。001もこのくらいならお咎めなしとしてくれるらしい。 「やっぱ結局最後には声に出さねえとぴしっといかねえんだよな、脳みその方によ。だいたい俺みたいなのに一つのこと考えろってのが間違いなんだよ」 食事係にはジェットが朝食を掻き込む音以外なにも聞こえていなかったが、ジェットの心の中の耳にはこの食事係の聞いたことのない声が聞こえていることになっていた。 シューと音をたてて食堂の自動ドアが開き、人が二人入ってきた。ギルモア博士と、もう一人は自分と同じ赤い戦闘服と黒いブーツを履いていた。初めて見る同類だった。 (ギルモア博士から、俺の次のサイボーグが選出されいずれ改造を施されて俺にも引き合わせる予定だ、と聞かされたことがあったが、あいつがそうなのか) ようやく会えた仲間と呼べる存在に、ジェットは改造されてから初めて転ばずに走れるようになった時のような喜びを真っ先に感じてしまった。 (俺としたことが浮かれやがって。こんな所に連れてこられてこんなんにされて、どんな気分だったんだかな、あいつも) 二人がジェットのいる席へと近づいてくる間、彼は同類が女であることに驚いた。凝視した視線の先にいる彼女の髪の毛は亜麻色で、年の頃は自分より少し下のようだった。その歩く姿勢はまるで頭のてっぺんから足の爪先まで一本の針金を通したように真っ直ぐで、足取りは雲の上を歩いているように軽やかで音一つせず、美しくはあったが幽霊が歩いているようだった。 (改造されたてってわけじゃなさそうだな、あの歩き方からして) 見とれている間に二人とも目の前にいたのでジェットは慌てて立ち上がった。しかし相手に対し好意的な興味を抱いているジェットとは逆に、彼女の方は決してジェットの目を見ようとはしなかった。 「おうおう、ちょっとの間だけ私語は解禁じゃ」 調理係に向かって、一人分頼む、と言って二人を交互に見つめたギルモア博士は、二人の間にある痛い空気を感じたのか、いかにも若者同士をとりなす世間知豊かな老人といった感じで002に話し掛けてきた。 「002、君の次に新たに生まれた003だ」 003は僅かに表情を柔らかくしてジェットの方へ目を向けたが、それは初めて仲間らしい仲間と出会えたという局面が自分の思惑と異なるものであったことに対する清潔な悪意だった。 「001ばかり特別扱いの単独行動で、今まで君は一人寂しい思いをしておったじゃろうが、この子は001と違って君と同じように選ばれここへ来た、真の意味での君の同胞じゃ。君とは訓練する場所も暮らしている部屋も離れているが、食事くらいは一緒が良かろうと思っての。まあ、知っての通りここでは私語は禁じられておってせっかく一緒でも喋ることもできんが、食堂では解禁してもらっておいたよ。なんにつけても、仲間が一緒にいる時間があるならあった方がいいからのう」 相変わらず言うことがいちいち鼻につくじじいだ、と内心で毒づいたが、003の手前、あまり考えないようにした。 「ああ、俺は002だ。よろしく」 「私は003です」 一瞬ジェットと視線を合わせた彼女の目には怯えと威嚇の意志が宿り、名乗り方には番号で名乗ることへの自嘲がまだ残っていた。一方のジェットは自分でも気がつかないほどごく自然に002と名乗っていた。ここで過ごす間、絶えず彼は002と呼ばれ、何かの応答をする際にも自分のことを002と告げていた。彼自身も知らぬ間にジェットという固有名詞は002によって次第に意識の下層へと追いやられていたのである。 「実はな今、四番目になる人間を選定人たちが探しておる最中なんじゃ。今度のはすごいぞお、両手両足に兵器が内蔵されておるのだ。体内はその武器庫や弾薬庫になっておっての、訓練さえ順調に行けば最強の戦士になる。頼もしい限りじゃよ」 ギルモア博士がサイボーグの性能についてこちらを前にして口上を述べるのは、これまでもよくあった。こういった話題を打ち切るために、ジェットは無意味に頭を使って、口先を変えて話題を打ち切った。 (毎度よくもまあ、べらべら喋りやがる。この糞じじい、脳みそをミキサーにかけてやりてえぜ。003に聞かせてられっか!) 「博士ぇ、女の子は低血圧なんだぜ。朝飯前の長話で目の前でぶっ倒れられたんじゃ、お互いバツがわりいんじゃねえの」 「あ、ああ、それもそうじゃのう。いや、すまんすまん。んんと、じゃあ、わしはわしで朝飯に行って来るわい」 「そーそ、邪魔しないで下さいよ」 ジェットは自分でも嫌気がさすくらい爽やかな顔をして体よくギルモア博士を追い払った。博士が出入り口から消えると、飲みかけにしてあった薬の匂いがするコーヒーをぐっと飲み干し、出入り口に向かって唾をとばしたい気分を抑えて、長く静かに息を吐いた。すると後ろの調理場の方でビーッという音がした。 「ああ、あんたの分、できたみたいだぜ」 「ええ」 少し間をおいて、003はジェットに言いにくそうにこう言った。 「博士の言うことなんか、私は気にしていないから。相手をあんまり憎んでいらいらすると、相手の隙が見えなくなってしまって、かえって相手に見下されているような感じがしてくるわよ」 「へえ、そりゃあ」 003は調理係から自分の分を受け取ると、ジェットの視線を振り切って彼といくらか離れた席に座って食べ始めた。会話は中途半端に途切れてしまい、あとは二人ともなんとなく無言のうちにやり過ごした。 ジェットと003はその後もギルモア博士の計らい通り、食事の時間だけは同じ時間に食堂にいた。しかし003はなぜか必ずジェットが食べ終わる五分ほど前に来る上に、座る席は決まってジェットの背にありかつ最も離れた所で、加えて、一体きちんと食べているのか疑問だが、彼よりも早く食べ終えて出て行ってしまうのであった。ジェットの方も後から来た彼女の近くへ改めて席を移動したり、彼女の方をいちいち振り返ったりはしなかったし、またそうしたいとも敢えて思わなかったが、それは彼女の方のこういった態度だけが原因というばかりではなかった。003は常に001を抱いて食堂へやって来たからである。正確にはこれはジェットも知らないことだったが、食堂のみならず、001と003は003が寝る時と用を足す時以外、片時も離れなかった。だから当然、たまにジェットが二人を見かける時、二人は常に一緒だった。001が003を離さなかったのか、その逆なのかはジェットには分からなかった。ただ、二人の関係を気味悪く思った。 食堂以外ではめったに003の姿を見かけることはなかった。透視能力を持つ彼女がわざとジェットに会わないような所を通っていたからだったが、彼女の能力をまだ知らないジェットはそうとも知らずに一体003はいつもどこでどんな訓練をしているのだろう、と怪訝に思っていた。 (ああ、ついてねえよ、せっかく美少女とクノウを分かち合えると思ったってのに) ジェットは大きくため息をついた。 (001はB.G.は一つの国だと言ってやがったが、いるのは気違い博士と鬼軍曹みてえな奴らばっかりじゃねえか。でなきゃあとは幽霊みてえな腑抜けた野郎ばっかりだ。とどのつまり、本当の意味で俺の身が惜しい奴なんざどこにもいねえ。まあいいさ、そんならそれで俺の命はそっくり俺のものってことでもある。一人でせいぜい大事にさせてもらうまでだ) ジェットは003について、普通の状況で初対面の人間に対して一番最初に抱く興味、どこの誰でなんという名前なのかということについて知りたいとは思わなかった。彼女が誰であろうとどうでもよかった。そう思うことで今の自分に味方がいないという状況より上に立とうとしていた。これはジェット自身の過去の記憶をB.G.から守るためにある意味で有効に働いてくれたが、自分がかつてどこの誰であったかという記憶の存在意義はジェットの中で日々薄れつつあった。 もう何日ギルモア博士に会ってないだろう、とジェットは思った。別に本意からあの老人に会いたいなどとは思わないが、彼との個人的会話以外でB.G.やこの基地のことを知ることはできなかった。本来、訓練等で必要な場合以外での私語は厳禁なのだが、ギルモア博士はそういうことには無頓着な上、彼はその優秀さゆえに多少のルーズさは大目に見られていた。 004もそのうち003の時のように食堂で引き合わせてもらえるのだろうと思っていたのだが、その日は今のところまだだった。 (改造される直前に手術室に殴りこんでいって、諸共トンズラ、・・・なんてな) 今自分がこうして訓練に明け暮れている間にも004となる人間の人間たる部分が確実に奪われている。そう思うとジェットは、少しでもこの体に馴染もう、使いこなそうとしている自分の努力も、結局はB.G.の計画にはまっているだけなのだということを思い知り、虚しかった。だが、自分がそうして虚しさを覚えその気持ちに浸るのは、知らず知らずのうちに「004となる人間の体がどんな改造を受け、どんな有り様となるものなのか」という好奇心を抱いてしまう自分の中の幼稚さと残酷さから目を背けたいがためであることに、ジェットはふと気がついてしまい、胸の奥が苦くなった。 (他にもっと考えることはねえのかよ。例えばそいつはどっから・・・) そう考えかけて、ジェットは慌てて思考の蓋を閉じた。 果たしてそれから約一週間後、相変わらず離れて食事をしているジェットと001を連れた003の所へ、ギルモア博士が004を伴って現れた。その姿を見てジェットは、 (なんだ今度は白髪のじじいかよ。にしちゃちょっと背筋がいいな。改造の効能か?) と思った。が、よく見ると自分より年上には違いなかったが、白髪だと思った頭髪は銀髪だった。特に危なげなところもない歩き方からして、改造を終えてからある程度はたっているようだった。ギルモア博士は、ほとんど食堂の端と端にいる二人にはっきりとした不安を感じたが、彼はそんな自分の不安を顔に出さないようにして三人を呼び、004を紹介した。 ギルモア博士は004の性能について本当は二人にいろいろと聞かせたかったのだが、001は別として三人とも顔にはっきりと「博士には出て行って欲しい」と書いてあったので、ギルモア博士は「まあ、みんな訓練の時間には遅れんようにのう」と言い残してそそくさと退室していった。 ここへ来て間もない者の相手というのはある意味気楽だった。取り敢えずここは相手の知らないことだらけである分、こちらが知っていることをいろいろと教えればそれで会話は成り立つ。それにお互い改造人間同士、ある程度お互い伝わるものはあるだろう、とジェットは思っていた。004はジェットの向かいの席に座った。ジェットは調理場の方を指差して言った。 「あっちにボタンが並んでるのが見えるだろう? 来たらまずあれを押すんだ。そうするとその日その時の飯が出てくるようになってる。飲み物が出る機械は飯が出てくるカウンターの傍にあるあれさ」 004はジェットが示した調理場の方を見ながら、ジェットの言葉に適当に頷いていた。その時の004の首の動かし方は僅かに硬かった。ジェットは、こいつは001にどんな目に合わされたんだろう、ここまで動かせるようになるだけでもそれなりに大変だったんだろうなと思いつつ、004のぎこちなさがどこか微笑ましくもあった。だがすぐに、彼についてそんなことを考えている今の自分を不謹慎だと思った。 「ここでは食事はどうしても食べなきゃいけないものなのか」 あまり明るくない、低いぼそぼそとした声で004は質問した。それは単なる質問に過ぎなかったのだが、003との関係とも呼べないような寒々しい関係に少し落ち込んでいたジェットは、早速相手に話し掛けてもらえて嬉しい、という風にしか思わなかった。 「さあ。特にそれが決まりってのは聞いたことねえけど、食わなきゃもたねえぜ。あんたの訓練がどんなもんかは知らないけどさ」 ジェットの声は弾んでいた。004は相手のそんな反応を一瞬目に焼き付けた。 「海岸の崖での射撃だ。強風の中での正確な射撃の訓練だと言われた」 海岸、と口にしている時、間近にある004のその髪の色とよく似た薄い色の目がかすかに笑ったような気がした。なかなか男前だな、とジェットは思った。 「あんまり食べる気がしないんでな、飲み物だけにしときたいんだ」 「ふうん。無理しても食った方がいいと思うけどな。飲み物つったって、水か変な味のコーヒーしかないんだぜ。食う気がしねえような具合の時に腹に入れるもんがあれだけじゃあ、よけい具合が悪くならあ」 「まあ、別に構わん」 そう言って004はカウンター横の機械からコーヒーを一杯汲んできて、紙コップを両手で支えながらゆっくりと口元に運んで飲んだ。なんとなく危なげではあったが、コーヒーはこぼれたりはしなかった。 「へえ、うまいなあ、あんた。よくそんなこぼさずにできるなあ。俺なんか最初のうちは紙コップを握りすぎちまってバンバン垂れ流してたぜ。あっちーのなんのって」 004はコーヒーを一旦置いて、喋った。 「このくらい、特に。コーヒーくらいが熱いのか?」 「あ、わりい、持ち直すのめんどいだろ。煎れたてのコーヒーは熱いさ。俺の皮膚ペラいんだ」 ジェットは調理場の方をちらちらと眺めながら言った。 「なあ、煙草吸っていいか?」 「ああ」 ジェットはすぐにカウンターから灰皿とマッチを取ってきて、戦闘服のポケットから煙草の箱を取り出し、慣れた手つきでマッチを一本吸って火をつけ、気持ちよさそうに吸った。自分の方に流れてくる白い煙を見つめながら、004は言った。 「悪いが、俺にも一本くれないか」 「おう、どうぞ」 004にそう言われるのを密かに期待していたジェットは嬉しそうに煙草の箱を差し出した。 (くれないか、だとさ。よこせって言やあいいもんを、お育ちのいい奴だな) 004は口に煙草をくわえて、彼のいかめしい手には細すぎるマッチ棒を苦労しながら箱から一本取り出し、擦ったのだが、それは呆気なく折れてテーブルに落ちた。004の口の端がわずかに引き攣り、それにつられてくわえていた煙草がぴくりと動いた。それを見たジェットは「つけてやろうか」と言おうとしたが、004は素早く箱から棒を五、六本つまんで一気に擦った。そのうち一、二本が頭から折れて火がついたままテーブルに落ち、そのまま燃えてテーブルの上に黒い染みを作った。煙草一本にはやや大げさな火を口元に運んで、004は煙をゆっくりと呑んだ。彼の心はどこにあるのか、やや下目使いのその視線にジェットが入っていないことは明らかだった。 |
|
<<前 次>> 1 2 3 4 |