名づけられざるもの      1 2 3 4      <<小説置き場へ


 しばらくの間お互い無言のまま、ジェットの方も004から視線を外して、煙を吐いていた。
(なにもああまでして吸わなくてもなあ。俺なんかに火をつけられるのがやだったのかな)
 この食堂には自分を含めて四人もいるのに、ジェットは一人だった時よりも居心地の悪さを感じていた。
 ぎりぎり短くなるまで吸うと、004はすでにジェットの吸殻が入っている灰皿にすっと煙草を押し付けた。
「ありがとう、002」
「あ、別に。礼言うほどじゃねえよこのくらい」
「灰皿は、どうしておけばいいんだ?」
「ああ、このまんまでいい」
 そう言われて004はすぐさま椅子から立ち上がり、自分が飲んでいた紙コップを持ち、ジェットの配膳に目をやり、それはもういいのか、と聞いた。ジェットが「ああ」と答えると何も言わずに配膳をカウンターまで返しに行ってしまった。カウンターから折り返して、まだ席についているジェットと擦れ違いざま、
「じゃあな。先に行かせてもらう」
 と言ってそのまま止まりもせず出て行ってしまった。「おお、またな」とジェットはすぐに言い返したが、多分向こうには聞こえてはいても聞いてはいなかっただろう。
 灰皿だけのテーブルの上はがらんとしていた。新顔との慌しい初顔合わせを終えたジェットはなんとなく気が抜けて、二本の吸殻と004が残したテーブルの染みをしばらくぼんやりと見つめていたが、その束の間の脱力状態を001の声が断った。
《やれやれ、004は自殺をはかる気だよ、002、003》
「えっ」
 ジェットと003の声が同時にした。二人とも離れた状態で思わず顔を合わせた。ジェットは立ち上がって001と003の所へ走った。
「本当に奴はそのつもりなのか?」
 三人は一旦、食堂から出て人気がなく声が響きにくそうな所へ行った。
《体は正直だからね。例えその殆どが機械でも。004の予定はこうだ。彼の今日の戦闘訓練場、ポイントN62は高さ二十メートルほどの崖で、真下は海になっている。訓練中に隙を見つけてあらかじめ体内酸素ボンベを手動で切った上で海へ飛び込み、そのまま窒息して死ぬつもりだ。まあそれ以前に彼の体は全身にミサイルや銃器状の武器及びその弾薬が内蔵されているから、体の大きさに比べて重さがかなりある。崖から飛び降りて岩だらけの海に落ちた時に大きな損傷をすることが考えられる。飛び降りた衝撃で岩に体が挟まるだろう。救助するのは困難になる》
 ジェットはこれまでになく001の言葉に集中していた。
「どうするの、001。004はもう訓練場行きのジープに乗ったわ。なんとか止められる?」
 ジェットは久し振りに003の声を聞いた。004のことでその時は頭が一杯だったが、003は初めて会った時とは違い、澄んだ静かな目をしていた。少なくともジェットはそう感じた。
《早急に今日の彼の訓練を中止しなければならない》
 001はテレパスでそう言おうとしたのだろうが、最後までそれは続かなかった。この直後、ジェットには信じられないようなことが起きた。
 それはまるで芝居の舞台の上で熟練の役者が犯したミスかアドリブのように、一瞬でしかも自然だった。001が《早急に今日の》とまで言った時、003は胸元に抱いている001を高く上げると、そのまま下に叩きつけた。001は床に血をなすりつけながら転がり、そのまま動かなかった。001を叩きつけた勢いで床にしゃがみこんだ003の針金のような人工筋肉が震えていた。

 004は指令に従い、地面に引かれた線の上に足を揃えた。遠く海面が青黒く広がっていた。
(今のところ予定通りだが、さっき001に心の中を読まれた筈。だったら、すぐに俺を止めようと手を打ってくると思っていたのに、いまだに何もないということは、このままいけるのか・・・)
 004は外からの通信指令通りに光線銃を握り、絶壁にある標的に狙いを定めた。最初と言うことで標的との距離は五十メートルと、その光線銃の威力の割に短めに設定されていた。日常ではいまだに鈍重さの残るこの体も、こうして銃を握り身も心も戦闘時だと自覚した時、それをスイッチとして全身から力が炎のように湧き、氷のように神経が研ぎ澄まされる。それは改造されてから何度も味わった落差だった。今、彼は潮の匂いを含んだ強い向かい風を頬に感じていた。
(全ては戦争のために。俺はもうすでに一人殺した。あと何人殺すのも同じなのかもしれないが。・・・せめて一度だけ、この体と心まるごと自分の意志で・・・償わせて欲しかった)
 一発目の弾を彼は注意深く大きめに外した。続けて数発どれも微妙に加減して外した。彼は何も言わず、通信指令を待った。二十発ほど撃った頃、頭の中に通信が届いた。
『距離四十メートルの所で撃て』
 まだだな、もう一押しだ、と004は思った。
(死ぬまでこの体で人を殺し続けることが報いなのか。それとも今これから水の中でもがき苦しむことが報いなのか。本当の罰はどちらだろう。生き続ける方が本当の罰だったとしても、もう俺は誰も殺したくない。それが神の意志でも)
 最後に002、003と呼ばれた彼らとの短い縁を思った。
(002、あいつはこんな体にされても何か嬉しいことを見つけられたんだな。003、まだ幼なかった・・・)
 そうして標的までの距離二十五メートルの所まで来た時、彼は銃を捨て、全力疾走した。
004の体は落下の勢いで海底の岩を深く砕き、その砕かれた隙間に彼の体は捉えられた。水面と岩だらけの海底とで二度叩きつけられた004の体は例え体内酸素ボンベが作動していても、自力で地上へ浮き上がる力は残っていなかったが、意識はまだあった。だが、酸素を断った彼には言葉をもって思考する力はもう残ってはおらず、生きながらの圧倒的な苦しみだけがあった。しかし意識の底でなお、窒息の苦痛とは裏腹に、死に心を委ねた安楽と、楽になるなど許されないという理性の声とが、狂った蛇のようにもつれあい、噛み合って血を流していた。

 ジェットは血を流して床に転がっている001の傍へ行き抱き上げ、003の方を見た。
「お、おい、・・・」
 003は顔をあげてジェットを見た。
「大丈夫よ、このくらい、001は死なないわ」
「大丈夫だと? 今のお前の言うことなんざ信じられるか! なんだってこんな、お前らいつも一緒だったろう? それがっ」
「やめてよ!」
 003の顔が歪んだ。ジェットは否応なしに黙らされたが、混濁する思考から必死に何が最優先かを引き摺り出した。
「俺は一人でも行く! あいつを助けるんだ」
「002、・・・行かないであげて」
 003は声を出すのもやっとと言う感じで、その声はとても小さかったが、ジェットの走りかけた足はその声に捕らわれてしまった。
「・・・なんだって?」
 003はジェットを真っ直ぐに見据えて言った。
「私たち、あの人を助けるべきなの?」
 ジェットは心臓を釘で貫かれたような気がし、003の目から視線をそらした。
「なに、・・・言ってんだ」
「私の目を見て答えて。毎日毎日どんな思いで・・・。死ぬ以外に何をどうできるの?」
 全てを見通せるかのような強烈な視線だった。もはやジェットにはそらすことなどできなかった。
「・・・さあな、そんなことは奴を助けてから考えるさ」
「今以外いつ死ねるの? ちゃんと自分の意志で! このままにしてあげて! あなたは神じゃない、その場限り助けるくらいでいい気にならないで!」
「俺は貧乏ったれのイタ公だからさ、拾えるもんはその時に拾っておくのさ」
 003は今度は殺意を秘めているかのように刺すような視線をジェットにぶつけた。
「冗談はやめなさい・・・!」
「だからさ、いったん拾っておきゃあ、あとでどうにでもできるんだ。逆にまあいいやって放ったらかしちまったもんは、もう戻っても他の誰かが拾っちまってるかどっかいっちまって、どっちにしてもパアだ。だから・・・」
 ジェットは自分の声が震えてだしているのに気がついた。
「だから?」
「迷った時は拾っとけってのが死んだ親父の口癖でね」
 003の表情から怒りが消え、威圧的な視線も力を失い、ただこみ上げる嗚咽を抑えてうずくまった。ジェットはしゃがみこんで彼女の肩を抱いて言った。
「あんたは正しいよ。俺もそう思う。だけど、俺、行って来るわ」
 003はその言葉にただうなずいた。
「あんたこそ、あとで001に酷い目に合わされないか?」
「私は大丈夫。001は絶対、私を傷つけたりしないから。多分何があってもね。私もすぐ行くわ。001と一緒に。あなたはその足で先に行って」

 004は助け出された。もっとも最終的にそれを行ったのはジェットではなく後から来た001だった。
 004が挟まっている岩を砕くことがまず第一だったのだが、海中に004がいる以上、作業用機械やダイナマイトで荒っぽくするわけにもいかないので、002が潜っていき、スーパーガンでまわりの岩を砕いていたのだが、004が挟まっている所は思ったより深かった。何より、いくら体が戦闘仕様になっていても水中では動きが鈍った。
(ああ、ちきしょう、時間がねえ!)
《002、あがっておいで。004は今、僕のテレキネシスで助けた》
 ジェットは崖に掛けられた縄梯子を上り詰めて、教官たちに囲まれて倒れている004の方へと駆けて行った。人の輪の中に003と彼女に抱かれた001もいた。001の頭に傷跡が見当たらないのがジェットには不思議だったが、今はそれはどうでもいいことだった。人波を強引に掻き分けて、教官のうち何人かが突き飛ばされた。
「004!」
 004の顔や体には、見た限りでは思っていたほどの大きな損傷はなかった。しかし顔は色を失い、まるで死んでいるようだった。抱き起こした体の皮膚にあたる装甲に亀裂が入っているのが戦闘服の上から触れるだけでも分かった。
「どけ、002!」
 担架を担いだ教官たちが現れて、二人を引き離した。004は彼らに担がれてそのままジープで整備室へと運ばれていき、他の教官たちも何事もなかったかのように持ち場へ戻っていった。
 004を乗せたジープをジェットと003は立ちすくんだまま見送っていた。003が、
「大丈夫よ、004の心臓は動いてるわ」
 とジェットに話し掛けたが、ジェットの心はそこにはなかった。

 004の容態がどうなったのか、特に誰からも知らされないまま、ジェットはその後もいつも通りのノルマをこなし、いつも通りにぐったりとして眠りにつくという変わりばえのしない日々に戻っていった。
(所詮、お互いの何を肩代わりできるってもんでもねえ・・・)
 一週間後、ギルモア博士と会えたジェットは004のことを聞いた。
「命に別状はなかったし、意識ももう戻っとる。もう一ヶ月もすれば訓練にも出られるじゃろう」
「じゃあ、奴はまだ使い物になるってわけだ、博士」
「ああ・・・」
 ジェットは博士に対する皮肉をこめて「使い物になる」と言ったのだが、意外にもギルモア博士はそのひと言が少し効いているようだった。
(じじいにもちったあ、罪の意識ってのがあったのかな。ま、だからって俺は遠慮してなんかやらねえけどよ・・・)
 ジェットは004に会いたかった。だから今、ギルモア博士に自分を004に会わせてくれるよう頼みたかったのだが、一方で彼の有り様を目の当たりにするのが恐ろしくてなかなか言い出せなかった。
「あ、じゃあまたな、002」
 ギルモア博士はジェットを避けるようにして去っていこうとしたが、それが逆にジェットの背を押した。
「え、あ・・・。あの、博士」
「ん? なんじゃ」
「奴の見舞いに行っちゃあいけないか? 俺も003も」
「気持ちはありがたいが、今は会わない方がいいかもしれん。その・・・言いにくいがまだ正気ではないんじゃ」
「博士、あんたがどんな物差しでものを見ているか知らねえが、ここには正気の奴なんていねえよ。あいつが今どうだろうと関係ねえ。生きてる姿が見られりゃ、あとは別に構わねえよ」
 言いながらジェットは自分の言葉の傲慢さに怒りと呆れを覚えた。生きてさえいればそれでいい、そんなきれい事をなぜあの004に対して自分は言えるのだろうか。ジェットは、自分が004を助けたいと思ったことを、自分の同類である者がああいった終わり方をするのを認めたくないという、あくまで自分本位に基づいての衝動だという理解の仕方をしていた。しかし今よりもっと以前、B.G.へ連れて来られる以前の自分なら、少なくとも004のような人間を助けたいとは思わなかっただろう。ジェットは自分の命にも他人の命にも無頓着な人間だった。生きている以上、死ぬ時は死ぬというのが彼の信条で、自分の手で人を傷つけたり死なせたりした時ですら、それがその人間の成り行きだったのだから仕方がないと開き直って、反省したことなど一度もなかった。どんな哀れな人間がいようと、その人間が自分と関係がある者であろうとなかろうと、同情したことなどなかった。
(あいつの体はあいつの体で俺のとはまたちょっと違っているんだろうが、こういう体にされて、他にもいろいろ理由はあったのかもしれないが、いろいろひっくるめて生きているのがつくづく嫌になっちまったんだ、あいつは・・・。とどのつまり俺は、可哀想に思ったんだ、あいつのことを)
 会話の途中で他のB.G.の人間が現れたため、博士への相談は結局中断してしまった。そのことにジェットは内心ほっとしながら、その後しばらく食堂で煙草を吸うたびに、末期の煙草もままならぬ手つきで火をつけていた004のことを思い出し、喉がしみた。

 一ヶ月以上過ぎたが、004の姿は食堂もそれ以外のどこにも見当たらなかった。食堂と言えば001も003について一緒にいるのだから、001に訊けば004の様子を知ることができたかもしれなかったが、ジェットはそれだけは絶対にしたくなかった。
 そんなある晩、ジェットが訓練を終えて基地内の廊下をいつも通りぐったりとして歩いていると、屋内射撃訓練場から虫の音のように連続的な銃声を聴いた。屋内の射撃訓練場なので、当然ながら防音設備が備わっているせいもあり、それは改造を受けているジェットの聴力をよくよく研ぎ澄まさせてようやく聴こえるもので、その場を少しでも離れれば全く聴こえないという程度の音量だった。音からするとマシンガンのようだがこんな夜に一体なんだろうと思いながら通り過ぎた。
 それから毎晩、そこを通るたびにその銃声が聴こえた。慌しい朝など気がつきにくかったが、その時間でも夜と同様の銃声がしていた。なにぶん戦闘的な物事で構えられている施設であるため、こういった音も日常的なものとして認識していたが、もう少し細かく考えるとここで銃器を扱う人間は大勢いても、こんなにも毎日それを実用する者はある意味限られている。もしかしたら004がもう訓練に出られるようになったのだろうか、と真っ先に思ったが、だとしたら病み上がりの人間にこんな時間まで訓練をさせるのはかえって非効率的である。昼間はこの辺りにはいないので、もしここで004の訓練が行われているとして一体どういう時間割でここで訓練をしているのかは知らないが、一度こうして不審に思ってしまうとどうにも落ち着かず、ジェットはある日の訓練が終わった夜、確かめてみようとそこへ入っていった。
 この射撃訓練場は屋内とは言っても基地全体の中ではかなりの規模で、中にはそれぞれ形式の違う小さな建造物がいくつかあり、それらの中でいくつかのシュミレーションメニューに基づいて、動く上に攻撃をしてくる的を相手に射撃の訓練をするという所だった。モニター室もあり、そこで録画された自分の訓練状況を後で見ることもできた。ジェットの訓練はここを使って行われるような典型的な戦闘訓練よりも飛行能力や加速装置の操作能力向上の方が主だったため、ここへはあまり連れられてきたことがなかった。サイボーグなら一応自由に使っていい所ではあったが、ジェットが自分からこういう所へ足を運ぶ筈などなかった。やりたくないと言えばどこのどの訓練もいやなものだったが、ここの動く標的が放つ金属製の丸っこい偽弾にうっかり当たった時の痛さは思い出してもぞっとした。当たったところでどこにどんな損傷を負うというものでもなかったが、一発でも当たると防護服など関係なく全身に堪え、あまりの痛さにシャワーを浴びることができず、眠る時まで尾をひく。内容そのものも難しかったが、そんなメニューでも偽弾に十発当たるまではオーバーとならない。
(あの野郎、死ぬのにしくじったってんでこんな所で治った体に粗塩をなすりこんでやがるのか)
 ジェットはまずモニター室へ入って現在使用中となっている建物の中が映っている画面をチェックしてみた。画面はいくつもあり、一日の訓練のあとでこうやって画面に目を凝らすのは辛いものがあった。画面に映る建物は戦闘訓練用だけあって全体的に暗く、その上、中の通路や階段や室内の配置は入り組んでいて見通しが悪い。加えてランダムに動く標的が人間に見えて紛らわしく、疲労の上塗りだったが、期待と恐れが入り混じった感情はそれ以上だった。果たして本物の人影を発見するのにはそれほど時間はかからなかった。じっくりと顔を合わせたことがそうそうあったわけでもなかったが、それは004に間違いなかった。この画面の解像度からでは004の顔色までは分からないが、少なくとも彼は生きて動いている。ジェットはしばらくの間、004の戦闘的な動きを見守っていた。
(いつからやってるか知らないが、俺があいつぐらいの頃にこんなことできなかったぞ・・・。どういう改造をされたんだ? それとも訓練だけでここまでできるようになったのかよ)
 004はついこの間、自殺しようとした者とは思えないほど活き活きと動いていた。さらに画面に出ている数字を見ると、メニューの設定時間は一時間とあり残り時間はあと五分弱ではあるものの、すでに偽弾を八発浴びている。ジェットは自分がどのメニューでやったのかはもう忘れたが、ここで二十分でオーバーした自分とを比べてぞっとした。ジェットは部屋を飛び出して、画面に表示された建物へと走った。



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