名づけられざるもの 1 2 3 4 <<小説置き場へ |
建物の中は静まり返っていたが、時々マシンガンの音がしてそれが004の気配となり、ジェットはそれを頼りに近づいていった。やがて時間終了を告げるブザーが建物の中に鳴り響いた。最後にしたマシンガンの音の位置に辿り着くと、004は壁にもたれかけて肩で息をしていた。今にも倒れそうな顔をしていたが、その中で口の端を歪ませてかすかに笑っていた。その笑顔はノルマをこなした後の安堵の笑みのようでもあり、何かが滑稽に思えて仕方がないようでもあった。 「004」 ジェットがそう呼びかけると、004はびくりとしてジェットの方を見た。足音を消して歩いていたわけではなかったから、誰かが来ることぐらいは気がついていただろうに、004は不意をつかれたようだった。 「002、か」 「おう」 ジェットは次に何を言ったらいいのか困り果てた。言いたいことは確かにあるのだが、それを004に対しどういう言葉で言ったらいいものか思い浮かばなかった。 「最近見かけねえからどこにいるのかと思ったら、こんな所で秘密の特訓かよ。画面見たら八発食らってるじゃねえか、大丈夫か」 ジェットは「最近見かけなかった」と言うことで敢えてあの事件を話題から遠ざけた。004は深呼吸を一つしてジェットに答えた。 「平気だ。頑丈にできてるからな」 頑丈、という言葉を口にした時、004の目が重い動きで笑みを作った。 「あんたも熱心て言うか真面目って言うか。いつ寝てんだ? こんな時間に動いててよ」 「お前こそ、もう寝ないと明日辛いんじゃないか?」 「まあなあ」 実際、例え十分でも普段より遅く寝ると翌日の訓練は悲惨なものだった。 「訓練終わるとシャワー浴びて、この辺通って部屋戻るんだけどよ、ここんとこずっと毎晩マシンガンの音がしたんでさ、俺以外でここ使う奴なんてあんたくらいだろうと思って来てみたら大当たりだったぜ。ついでだし、あんたももうキリだろ。帰ろうぜ」 「俺はまだ寝ない。お前こそもう寝た方がいい」 「まだやるのかよ? いつからやってるんだ?」 「・・・今日始めたのはついさっきだ」 ジェットは、004が自身を追い込む習性に憑かれてしまったのではないかという自分の予想が当たりつつあると思った。 「朝もしてたじゃねえか、マシンガンの音」 「それは・・・」 ジェットは苛立った。004は消極的に自分を無視しようとしているようにしか思えなかった。 「あんたはまともじゃねえ」 その言葉に対し、004はきっぱりと言い切った。 「これで俺はまともなんだ」 続けてジェットに諭すようにこう言った。 「お前が空を飛べるように、速く走れるように、ちょっとばかし眠るのを忘れようが、あの偽弾を食らおうが、そうそう参ったりはしない。ギルモア博士だって、眠る気がしてこないのなら、起きていていいって言ってたんだ。これで俺が死ぬってわけじゃない。ま、少なくとも今世紀中にはベッドに入るさ」 それはごくまっとうにジェットに気を使った言動だった。しかし一度死を思った人間がそれをすることを、まっとうだとはジェットには思えなかった。ましてやそんな病んだ、痛ましい厚意を自分に向けられるのは我慢できなかった。ジェットはこの男の深い所に触れてはならないと理性では分かっていたが、それよりも今は怒りの方が勝っていた。 (いったい俺は何がそんなに腹が立つんだ。こいつの悲惨な様にか? B.G.にか? ・・・それとも俺はこいつを助けなきゃよかったとでも思ってて、それがむかつくのか?) 004を遠くから静かに労わりたいとジェットは思っていた。しかしそれはジェットが004に近づきたい感情の裏返しに過ぎなかった。だが彼に近づくということ、それは彼がようやく保っているであろう自己を突き崩すことに他ならない。自分なりに悩んだ上で004を助けに行ったことは後悔していなかったが、今日まっすぐ部屋に帰らなかったことをジェットは後悔した。しかしこうも思った。あいつが自分で自分をゆっくり殺すつもりなら俺はもっと別の居心地のいい苦しみを与えてやろう、と。 「何いい気になってやがる、てめえで死のうとした奴がっ」 004のほの暗い顔が白く凍りついた。 「知られるものなんだな・・・」 「へっ、001と鉢合わせちまったお前の運が悪かったのさ。第一、あんな外で、しかも訓練中にやらかすなんざ、どうぞ大騒ぎして下さいってなもんだろうがよ」 「俺もそう思うぞ」 引き攣った笑いを浮かべてそう呟くと、004はその場にずるりと腰を落とした。 「なんだあ、ざまあねえやな。やっぱり今日こそは寝ろよ」 004の様子にジェットは内心ひどく動揺したが、言葉ではなんでもない風を装った。 「おい、んな所で寝るんじゃねえぞ、ちゃんとてめえの部屋に戻って寝ろって」 ジェットが004を起こそうと腕をとると、004はそれを振りほどこうとした。 「要らん・・・」 004はろくに口を開かずに言ったのでその呟きはずいぶん聴き取りにくかった。すると、004は閉じかけた目をはっと見開いて、低く呻きながら上半身を倒した。 「俺に、何度でも罪を繰り返せと言うのか・・・。それならそれで、すっきりするものさ・・・」 苦しい息の下で吐き出したそのせりふは誰に向かって言っているでもないようだった。体の苦痛を散らすためか両手を強く握り締めていたが、まるで互いの手を潰し合っているようだった。 「004! 004! しっかりしろ、おいっ!」 ジェットは004を抱き起こし、必死で叫んだ。ジェットの腕に触れた覚えのあるどこまでも硬い感触が当たった。このままでは004は死ぬとその時は本気で思った。ジェットは急いで備え付けの通信で連絡をとって出入り口を出た所まで004を担いでいき、係の者が来るのを待つ間も、必死で004に呼びかけた。そしてジェットは唐突にひどい欠落感に襲われた。 (俺は何をわめいているんだ。004ってそりゃ、こいつの名前じゃないだろうが) 今にも死にそうな人間がいて、その目の前の人間をこの世に繋ぎ止めておくために呼びかけるべき名前を知らないことにジェットは気がついた。 「004、あんた名前なんてんだ? 教えてくれよ。・・・このまんま004で逝っちまうなよな」 ジェットのこの乞いに004は首を振った。 「001が、・・・たらどうする・・・」 その直後に004は意識を失い、後から駆けつけた係りの者に運ばれて行かれ、また当分、整備室の厄介になることになった。本心として、ジェットは彼を自分の部屋に連れて帰りたかった。少なくとも今の004をB.G.の連中の輪の中にいさせるのは耐えられなかった。なので今度は単刀直入にギルモア博士に004の見舞いに行かせて欲しいと頼みこんだ。ギルモア博士も004が倒れる前までジェットが傍にいたことから、ジェットが見舞うことをあっさりと取り計らってくれた。 一応病室代わりの狭い個室のベッドに寝かされている004は元気そうな顔とまではいかなかったが、昨夜見た時よりは少しはましな顔をしていた。ジェットはベッドの傍に椅子を持ってきてどっかと腰をおろした。 「よお、なんとか生きているみてえだな」 「・・・お前にはすまない。昨日も今日も、訓練の後だってのにな・・・。ギルモア博士にも迷惑をかけどおしだ」 ギルモア博士に恩義を感じているらしい004のせりふをジェットは怪訝に思った。 「あのじいさんにどんな借りがあんだよ」 「この間のあの時、俺は精神的不適格者として本来なら脳まで奴らに奪われるところだったんだが、ギルモア博士が懸命にとりなしてくれたお陰でそれを免れることができたんだ。体はこういうものになっちまったが、本当にそれだけでも残ってくれてよかった。自分の生き死には所詮、自分のものでしかないが、頭の中にあるものってのは俺一人のものじゃないからな」 「思い出とか?」 「まあ、それも含めていろいろな、懐かしいことも惨めなことも。過去ってのは生き物じゃないが、忘れれば死ぬものだ。誰でもそういうものを持っているもんだろう?」 「・・・ああ。さあ、どうだかな」 004の口調は終始乱れた様子もなかったが、ふと話すのをやめた目がどこか焦っていた。恐らく訓練に行けないのが口惜しいのだろう。004は自分の身を以前のあの時のような形で処することはもうしないだろう。その代わりこの男はもっと別の形で自分の命の消費の仕方を身につけようとしている。ジェットは004の落ち着きのない目を見てそう思った。 「まあ、昔は昔で俺もそれなりにいろいろあったけどよ、なんだかんだ言ったってこれから先の方が長そうだからさ、多分。あんたも今からあんまり無茶したってよ」 「このざまで言っても何の説得力もないがな、昨日も言ったが俺はこれが普通なんだ。まあ、それにしてもちょっとばかり張り切りすぎたが・・・。俺は戦闘の中にいた方がいいのさ、気分と言うか、生理的にな。俺の心は俺の体を、この兵器の塊を拒絶してないんだ。初めて右手で標的に向かって弾を撃った時、何かがすっきり繋がった気がした。この体にされた時一切失ったと思っていたそういう感覚、・・・言ってしまえば自然な感触、それがまた戻ってきたみたいな気がしたんだが、銃を握っただけでそれがいきなり戻ってきたことを、俺は意外ともなんとも思わなかった。そうだ、この感じだ、これでいい、いつも通りだ、と。何の表裏も嘘臭さもない、どうしようもなく確かな実感だった。俺はそれまでずっとこの体を元の俺に取り憑いた枷のような物だと思っていた。だがそうじゃない、枷のように感じていたのはその時が非戦闘時だったからだ。本当の所は枷なんてどこにもない、あるとしたらそれはどこにも敵がいないという状況だ。もう俺は身も心も奴らの道具になっている。その時の俺はそれが嫌だったんだ。だから俺は・・・。だが、今はもうそれも嫌じゃない。一度しくじったんなら、もう二度目もないだろう。これからは生きに生きるさ、このあと何人、俺の手で死のうとも」 「004・・・」 「真人間じゃない以上、真人間のようなきれいな人生設計はできんさ」 硬さと脆さが合わさったひどく不安定な面持ちで004はそう言った。この男は何かを深い胸の内にしまっている。そしてその何かが恐らくこの男を時に惑わし、時に導いているのだ。だが、そんなものなど知ったことか、とジェットは思った。 「へっ、何がそんなに後ろめたかったらそんな悟り方ができんだかな・・・」 うつむいてそう呟くと、ジェットは椅子から腰をあげてシーツを剥がし、004の体を抱き寄せた。 「あんたの言うすっきり繋がった感じってのは確かに俺にもある。でも、俺だってあんただってそれが全部か・・・? 俺は生まれた頃から002だったわけじゃねえ。それを忘れちまうってことがどんなことか・・・。あんた忘れたくないんだろ? あんたの言ってることはおかしいぜ、あんたは自分の中の004の残りを捨てようとしてる」 記憶を消されるから思い出さないようにしていたが、反芻されない記憶はやがて思い出すことができなくなる。事実、ほんの僅かな間002と呼ばれ続けただけで自分の名前を忘れかけた。どちらにしてもいつか自分は全く違うものに変わってしまうのだ。 「忘れようとなんかしていない。しまっただけだ、頭の中に。・・・手を離せ、002。人さまの腕は俺には居心地が良すぎる」 拒絶されるのは完全覚悟の上だったが、ジェットは腕が一瞬びくりとなりそうになった。 「ジェットって呼んでくれたら、離してやる」 「そういう名前だったんだな」 ジェットは001のことが頭になかったわけではない。だが、今この一時、自分も004もただの人として何かをかわすことができればそれでよかった。004はそんなジェットの、がむしゃらに自分を求める態度にかつての自分の姿を見て、おぞましい懐かしさを感じた。 「離してくれないか、ジェット・・・」 ジェットはゆっくりと腕を離した。掌によくできた汗がにじんでいた。004の体を寝かせようとしたが004はそのまま体を起こし、ベッドの背にもたれかかった。ジェットは小声で004に語りかけた。 「すまねえな、病人相手に。俺もう行くわ。その、最後に・・・なあ、絶対にこれから心の外には出さないから、教えてくれないか」 「それが俺に答えられることなら」 「あんたはどこの誰なんだ?」 僅かに間ができた。 「それを言うのは嫌か」 「まあ、お前には借りがあるからな、それも二回。003が教えてくれたよ」 ジェットは何か言おうとして口を少し開けたまま、004の目を見た。 「俺はアルベルト・ハインリヒ。国は、ドイツだ」 「ああ・・・」 ジェットはかつて、幻覚から覚めて自分の名前を見つけた時のように、ただ声で頷いた。そして椅子から立ち上がりざま、唇を間近にいる男の口へつけた。 ジェットが去った部屋でアルベルトは再びシーツを被って仰向けになり、明かりを消して目を閉じた。耳を澄ますとかすかに海鳴りが聴こえた。 「キスでもすれば少しは人間に戻れると思ったのか? 違うだろ・・・」 暗闇の中に低い声がとけていった。 ジェットは自分の部屋に戻ると、そのままベッドに突っ伏した。目を閉じると、アルベルトの悲惨な顔ばかりがなぜか浮かんできて、思いがけず涙が溢れてきた。 ジェットはアルベルトという明らかな欠落と出会って自分もまた欠落者であることを知った。それは悲しみであり、また、かつてはっきりとあった生の実感の再現でもあった。ジェットはアルベルトを求めたというより、求めたかったのである。そのことに彼はたった今気がついた。 (こんなことを考えるのは夜中のせいだ。朝になればまた、いつもの威勢が戻るさ) そう自分に言い聞かせ、ジェットは目を閉じた。 (了) |
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