脳内劇場☆HARAIYA☆ 第4章 決戦、キターッ!

第4章 決戦、キターッ!


 月曜日の放課後。

 八幡宮へと向かう道すがら、立花ちよこは何度もため息をついた。

《どうしてあそこでもっと強く言っておかなかったのかしら……》

 悔やんでも悔やみきれなかった。

 あの場から彼女たちを行かせてしまったこと―――せめて雷が戻ってくるまで待ってもらえばよかったのに……

 それに除霊ならなにもバッグを開かずとも行えたのだ。それなら彼女たちだって拒否することはなかったのでは?

 そう思うとまたため息がでる。


 ―――あのあと逃げた悪霊を雷と一緒に探しまわったのだが、その努力は無駄に終わっていた。

 ならばやはりあのバッグに憑いていったとしか考えられない。

 そこで翌日、瑞希に宮地さんの住所を尋ねることにして、その夜は雷に見張ってもらうことにしたのだ。もしこの付近であの悪霊が活動を始めたならあの子に分からないはずがない。

《それがあんな結果になってしまうなんて……》

 スポーツバッグを持ち帰ったのはなぜか瑞希だった。

 そのせいでその夜、悪霊が彼女の夢に現れたところを雷が押さえようとしたら、奴だけでなく彼女の魂まで抜けてしまったなどと……


 ―――その結果をちよこが知ったのは翌日、学校に来てからだった。

 確かに空っぽの身体を放置するのはとてもまずい。それを守るために雷が入ってしまったのを怒るわけにはいかない。

 だがそのため初動が完全に遅れてしまったのだ。

 それからあたりを必死に探しまわったのだが、瑞希の魂も悪霊も、その痕跡さえ見つけられなかった。

 どういうことなのだ? あの雷にさえ発見できないなんて……

 だというのに……

 ちよこはまたため息をついた。

《どうして春華様はあんなにのんびりしてらっしゃるのかしら……》

 娘の魂が行き先不明だというのに『隠れんぼでもしてるんじゃ~?』とか、危機感というものがまったく感じられない。

 叶のご本家はもうこの方面では頼りにならなくなってしまったのだろうか?

 そういった話があればみんな立花に丸投げしてくるし―――おかげで小さいころから父の手伝いをすることになってしまった……

 まあそれは彼女が雷といちばん仲良くなってしまったからでもあるのだが……


 ―――そんな昔のことはともかく……

《瑞希さんはまだ消えてないってことなのよね?》

 雷がいうには先日と夕べ、少しだけ瑞希の気配を感じたという。

 ということは彼女はどこかにまだ存在しているということなのだが……

 民家に挟まれた細道を抜けると八幡宮の鳥居が見えてきた。

 とりあえず今は目の前の問題を片づけねば……

「時間は……いけない。ぎりぎりだわ」

 ちよこは足を速めた。

 彼女が八幡宮に向かっていたのは高祖(たかす)英二からメールが来たからだった。

 先日のことについて話がしたいので瑞希ぬきで来てほしいといった内容だった。

 確かにあの話をするのに本人いたら恥ずかしいのはよく分かる。そこで今日は部活には付きそわずに一人で先に帰っていたのだ。

《それにどうして彼女が憑かれたって思ったか、訊いておかないと……》


 ―――あの告白事件からずっと彼がちよこたちを見張っていることには気づいていた。

 その理由は彼が瑞希のことを好いていたからだと思っていたのだが……

 英二については小さいころから顔は見知っていたが、話したことはほとんどない。

 彼が東磨を出ていってからは、すっかり忘れはててていた。

 お神楽の手伝いで一緒になったときにも、思いだすのに一苦労したくらいだ。

 だが、姫神楽を舞う瑞希をなにやら熱い視線で見つめる姿は印象に残っていた。

 もちろんあんな素敵な人なのだから当然といえば当然だ。彼女をそんな眼差しで見ていた男子や女子の数は、それこそ両手の指でも足りないくらいだ。

 ではそれだけ崇拝者がいる中でどうして彼だけが“正解”に行きついたのだろう?

 しかもたまたま思いついただけならまだしも、そんな普通なら“あり得ない考え”を信じこんで、祓い屋に依頼までしたというのはいったいなぜなのか?

 警察署の廊下ではもう可哀相なくらいにペシャンコだったので問いつめるのは控えておいたのだが、今日はちょうどいい機会だろう……


 八幡宮への石段を上りきると見慣れた境内が広がる。

 小さいころから遊んでいた場所なので、あらゆるところに何かしらの思い出がある。

 ちよこが本殿の前まで来てあたりを見回すと―――ご神木の下に学ランを着た学生が立っているのが見えた。高祖英二だ。

 英二はちよこに向かって片手を上げて歩いてくる。

「ごめんなさい。待った?」

 そう言って―――なんだかデートの待ちあわせでもしていたみたいだなと思って、少し笑いがこみ上げてくる。

《デートとか……》

 彼女には縁のない話だった。

 ―――そんなことを思っていたせいで、彼女は英二が右手を不自然に後ろに回していることに気がつかなかった。

 そして……

「え?」

 気づいたときにはちよこの首に英二の腕ががっちりと巻きつけられ、頬にはカッターナイフの刃がぴたりと押し当てられていたのだ。



 頭がはっきりしない。

 夢でも見ているのだろうか?

 視界の下半分が真っ黒で―――いい香りが漂ってくるような……?

 それと左肘の内側になにやら幸せな感触があるが―――でもこれっていったい?

《えーっと……何してたんだっけ……?》

 視線が上がるとつい最近見た景色があった。確かここは―――八幡様?

「高祖君! どうして……」

 そのとき真下から聞きおぼえのある声がした。

 真下? ということは―――それは“彼が押さえ込んでいる物体”から聞こえている?

《立花さん?》

 今の声は立花ちよこに間違いない!

 そして英二はいま自分がしていることに気がついた。

 どうも彼女を後ろから抱きすくめて、カッターナイフで脅しているようなのだが……

 ………………

 …………

 ……

《なんつーバカな夢を……》

 瑞希が変なことを言って騒ぎすぎたせいで、つまらない夢を見ているにちがいない。

 だが……

「あたしは英二君じゃないわ。叶瑞希よ!」

「え?」

 英二の口が勝手に喋っている。

《はぁ? ちょっと待てって!》

 英二が瑞希のわけがない。なにを言ってるんだ? 自分は?

「そんな! どうして?」

 ちよこの問いに口がまた勝手に答える。

「ふふっ。あたしねえ、いま英二君の頭の中にいるの」

「ええっ? そんなことって……」

「英二君って午後になるとぜったい居眠りするから、こうできると思ってたわ」

 居眠り? たしかに六限目の地理の時間、教師の催眠呪文にかけられて意識を失ったとは思ったが―――ちよこの首に回した腕から彼女の動揺が伝わってくる。

「それでさあ、ちよこちゃ~ん。よ~く~もあたしの体を乗っ取ってくれたわねえ!」

「乗っ取るなんてそんな!」

「やかましいわ! あんたんとこの化け猫に命じて乗っ取らせたんでしょうがっ!」

「違うわ。そんなつもりじゃ!」

 ちよこが足掻くが、さすがに英二も男だ。その腕力にはかなわない。

「じゃあどういうつもりだったわけよ?」

「それはあなたのところに相馬の悪霊が行ってしまって、それで雷ちゃんが……」

「なにわけ分かんないこと言ってるのよ!」

 腕に勝手に力が入る。ちよこが苦しそうなうめき声をあげた。

《お、おいっ!》

 彼女の細い首がマジ絞まっているのがわかる。

 この感触、少しばかりリアルすぎるのだが―――本当にこれって夢なのか?

 そしてたいへん遅まきながら英二は真相に気がついた。


《ちょっと待て! みっちゃん! やめろよ!》


「あん? 起きちゃったの?」

 その拍子に腕の力が緩んだ。ちよこが苦しそうに咳をする。

《ちょっと! 何やってんだよ!》

「決まってるでしょ? あたしの体を取り返そうとしてるだけよ」

《だからこんなやり方ダメだって!》

「うるさいっ! 裏切り者っ! こいつと取引しようとしてたくせにっ!」

 英二は言葉に詰まった。

 取引? いや、でも確かに無断でちよこと話そうとはしていたが……

《え? いや、そんなつもりじゃないから。ともかくまず相談しようと思って……》

「その件についてはこいつをぶっ殺してからゆっくり話しあいましょ

《ちょ! 待てぇぇぇぇ!》

 英二は全力でその動きを阻止しようとした。

 だが、その想いに反して体はまったくいうことを聞いてくれない。指一本さえ動かすことができない。

 代わりに右腕に勝手に力が入るとカッターの刃が細い首筋に触れて……

「いやぁぁぁぁぁ!」

 境内にちよこの絶叫が響いた―――と、まさにそのときだった。


「待ーてこらぁぁぁ! やめるんにゃーーーーーっ!」


 八幡宮の境内にセーラー服姿の“叶瑞希”が息せき切らして駆けこんできたのだ。

 全力で走ってきたらしく、ぜいぜいと肩で息をついている。

「こらーっ! ちよこを放すんにゃーっ!」

 なんだ? 慌てて噛んでるのか?

「雷ちゃん!」

 ちよこの叫びに英二の顔が勝手ににやっと笑う。

「出たわね。化け猫っ!」

「化け猫じゃないにゃ! 猫又なのにゃ!」

「似たようなもんでしょ!」

 ああ、それで猫語で話してるんだ―――いや、猫語? なんてのはともかく!

「ぜんぜん違うのにゃっ! それよりお前こそ何物なのにゃ!」

「叶瑞希だって言ったでしょ? さあ、とっととその体を返しなさいよ。じゃないとこの子がどうなるか分かる?」

 脳内瑞希に操られた英二がカッターでちよこの頬をぴたぴた叩く。

「瑞希様? 嘘をつけ! なのにゃーっ‼ 瑞希様がそんなチンピラヤクザみたいなことはしないのにゃーっ! 正体を現せなのにゃーっ!」

 たしかに今の悪役は英二(脳内瑞希)の方である。

 それはまさに図星だったようで、彼(脳内彼女)は激高した。

「ぬぁんですってぇぇ? 泥棒はあんたのほうじゃないのよっ! この泥棒猫がーっ!」

 だが瑞希(雷)は涼しい顔だ。

「うちは何も盗んでないにゃ。空っぽになった体を保護していただけなのにゃ」

「だったらとっとと返しなさいよ」

「偽物には返せないのにゃ」

「に・せ・も・の・ですってぇぇぇ? 言うにこと欠いて……」

 だが瑞希(雷)はちっちっちと指を振りながら答える。

「あのにゃー。普通の女子高生に、生き霊になって他人に憑依して人質をとるとかそんな真似は絶対にできないのにゃ」

 絶句した英二(脳内瑞希)を瑞希(雷)がびしりと指さす。

「すなわち、今までのお前の行動すべてが、お前がとんでもにゃい悪霊だってことを証明しているのにゃっ!」

「んなーっ!」

 あまりにも当を得すぎた指摘にさすがの脳内瑞希もしばらく絶句した。


 ―――だがその程度でめげるような彼女ではなかった。

 気を取り直すと英二(脳内瑞希)が恐ろしい形相で瑞希(雷)をにらみつける。

「化け物ごときがなんて言おうと、あたしは叶瑞希なんだからねっ!」

 だが瑞希(雷)は平然としている。

「ふ。だったら証拠を見せてみるにゃ」

「だからあたしは十一月一日生まれのさそり座で、血液型はB型で……」

「そんなことは調べればわかるのにゃ」

「じゃあどうすりゃいいってのよっ!」

 それを言われたら正直すごく難しい問題だと思うのだが……

「うむ。確かににゃー」

 瑞希(雷)はしばらく腕組みして考えこむと、おもむろにぽんと手を打った。

「おおそれなら、もしお前が本物ならお屋敷の屋根裏に何があったか知ってるはずなのにゃ。さあ答えてみるのにゃ」

「はわ?」

 ところがそれを聞いた途端に英二(脳内瑞希)の体がぶるぶる震えはじめた。

 その動揺が英二にまで伝わってくる。

《え? いったいどうしたっていうんだ?》

 その姿を見た瑞希(雷)が勝ちほこる。

「はっはっはっ! やっぱり答えられないようだにゃ? これでおまえは偽物確定……」

「見たの?」

 その冷たい響きに瑞希(雷)も思わず言葉が止まる。

「あん?」

「あれを見たのか? って聞いてんのよ!」

「はにゃ?」

「あたしの体は乗っ取って……家に勝手に上がりこんで……変な女は連れこんで……あげくにあれまで見て笑ってたってわけ?」

「えっと、別に笑ってはないにゃ?」

 脳内瑞希の怒りが爆発した。

「ふざけんなぁぁぁ! このど畜生ーっ! お前ら、今すぐここで死ねぇぇぇ!」

 腕に力が込められる。

 途端にちよこが叫んだ。

「やめてーっ! そんなことしたら高祖君が人殺しになっちゃうのよ!」

 それを聞いた英二(脳内瑞希)がぴたりと動きを止める。だが……

「ふ。もうどうでもいいのよ……」

《ちょっと待て! どうでもよくないだろーっ!》

 英二は全力で突っ込んだが彼女に完全無視された。

「とうとう本性をあらわしたにゃ。この悪霊!」

《おまえもあまり煽らないで、もっと平和的に話しあえよーっ!》

 だがそんな思いは遠くの猫又にはますます届かない。

 勢いづく瑞希(雷)にちよこが叫んだ。

「ちょっと。雷ちゃん! もしかして本物だったから怒ってるんじゃないの?」

「え? あれ? そうかにゃ?」

 おいおい!

「だからまずは体を返してあげて!」

 瑞希(雷)はしばらく考えこんで、それからしかたなさそうにうなずいた。

「あー。わかったのにゃ。ほら。瑞希様の体なのにゃ」

 とたんに瑞希の体がくたっとして地面に崩れおちた。

「ふっふっふ。最初っからそうしておけば痛い目にあわずに済んだものを……」

 その言い方って本気で悪役でしょ? と英二は本気で突っ込みたかったが、これで一件落着するのなら事を荒だてない方が―――などと思っていたときだ。


『だめだよ? 瑞希』


「あん? おばあちゃん?」

『いま出てはだめだよ? あいつらを信じちゃだめだよ?』

「え? あ……」

 いったい誰が喋っているのだ?

 脳内瑞希は少し考えこむと、それからぎろっとちよこをにらんだ。

「あんたたち……私がそうやってのこのこ出てった隙を狙ってるってわけね?」

 ちよこが蒼くなる。

「ええ? そ、そんなことしないわ! 約束するから!」

「分かるもんですか! やっぱりここは……」

 英二(脳内瑞希)がにたーっと笑う。

「こいつを始末してからの方が安心ってわけね

 カッターを握った腕が振り上げられた。

《おいおいおいおい! まてまてまてまてーっ!》

 だが体は彼の意思にはまったく従ってくれない。

 そして英二(脳内瑞希)がその腕を振り下ろそうとしたそのときだった。

 くたっとしていた瑞希の体がぴくりと動くといきなり四つん這いになって、一気に跳躍して飛びかかってきたのだ!

「うわあああ!」

 英二(脳内瑞希)が慌てて払いのけようとするが、瑞希(雷)は猫のような身のこなしでその腕をかいくぐると彼の肩口にがぶりっと噛みついた。


「いでぇぇぇ!」《いだだだだだっ!》


 その痛みは中の英二にも伝わってくる。

 その勢いで地面に押し倒されると、手からはカッターがすっ飛んでいく。

「こんの、ケダモノがあっ!」

 肩を押さえながら英二(脳内瑞希)がわめいたときには、ちよこはもう瑞希(雷)に奪回されてしまったあとだった。

「はーっはっはっは。やっぱり瑞希様のふりをしてた悪霊だったのにゃ。でもこれで形勢逆転なのにゃ!」

 瑞希(雷)が勝ち誇る。

「おーのーれえぇぇぇ……」

 だからもうそれって本当に悪役の末路みたいなんですけど。しかも小物の。

《ねえみっちゃん。もうやめてよ》

「うるさい!」

《ってかさあ、さっき体を返してくれるって言ったのに、どうしておとなしく戻らなかったんだよ? 一体誰と話してたんだ?》

「うるさいうるさいうるさいぃぃぃ!」

 それを見ていたちよこが瑞希(雷)に尋ねる。

「雷ちゃん、もしかして高祖君がいるの?」

「うん。いるみたいなのにゃ」

 それを聞くなりちよこがふり返って叫んだ。

「高祖君。聞こえる? いるんだったら彼女を押さえて! あなたの体なんだからあなたの方が強いはずなのよ」

 ええ? そうなのか?

 さっきからずっとそうしているつもりなのだが……

《ねえ、みっちゃん。聞こえる? 》

「うるさい。黙れ。聞こえとるわ」

 そんな姿を見てちよこが首をかしげる。

「どういうことなの? これって」

「うちにもよく分からないのにゃ。でもこの悪霊はどうにかしなきゃならないのにゃ」

 それを聞いた英二(脳内瑞希)がわめいた。

「だから、誰が悪霊よーっ!」

「だから、お前だって言ってるにゃーっ! いーからとっととそこのかわいそうな少年の体を解放してやるにゃ」

 あ、それはたしかにそのとおりで……

「解放したらどうする気よ! あたしを消すつもりなんでしょ!」

「消したりはしないのにゃ。もういちど井戸に戻ってもらうだけなのにゃ」

 あ?

「あ、あたしを封滅するつもり⁈」

「しょうがないのにゃ。世に仇なす悪しき霊を浄化するのがうちらのお役目なのにゃ」

 え? ちょっ、ちょっと待て!

 封滅って彼女が消えるまで封印しておくってこと? それって―――即消しよりももっとむごい運命なんじゃないのか? だが……

 そこで英二はまだ答えの出ていなかった疑問を思いだす。


 ―――この瑞希は本当に彼の知っている叶瑞希なのか?


 もしこれがちよこ達が言うように悪霊が化けたものなのだとしたなら?

 さっきまではまだ信じていられた―――だが今はどうだ?

 どうして彼女は戻れるチャンスをふいにした? それってやっぱり……

《本当に……この子ってみっちゃん?》

 体が一瞬、凍りつく。

 それから……

「はーっはっはっはっは」

 英二(脳内瑞希)が笑いだした。

《みっちゃん?》

 だが彼女は英二の思いには答えず……

「どいつも、こいつも……あたしがいったい何したって言うのよぉ!」

 腹の底からどす黒い何かがわき上がってくる。

 そしてその何かが身体中から溢れだすと周辺は灰色の霧で包まれてしまった―――そんなように英二には感じられた。

「そろそろ正体を現したようだにゃ」

 英二(脳内瑞希)が瑞希(雷)にらみつける。

「ぜ・っ・た・い・に消されたりしないんだから……」

 だが瑞希(雷)はせせら笑った。

「往生際がわるいのにゃ。いいからその少年の体から出ていくのにゃ。それともその体にこだわる理由でもあるのかにゃ?」

「あん?」

「にゃはは。おまえのパソコンにあったあれだけどにゃー……」

 瑞希(雷)がそこまで言ったところでちよこが突っ込んだ。

「ちょっと。雷ちゃん。それってこいつにはもう関係ないでしょ!」

「ありゃ? あ、そっか。失敬失敬。今のは本物の瑞希様のお話で、おまえとは関係なかったのにゃ」


 ミシミシ……バキバキバキッ!


 いきなり近くで生木が裂けるような音がした。

「え?」

 一同があたりを見回すと……

「雷ちゃん、あれ!」

「はにゃ⁈」

 本殿の横に佇んでいたご神木に大きな裂け目が入っているではないか。


「あぁ~…あぁ~…あァ~れェ~もォ~みィ~タァ~ノォ~カァ~アァ~?」


 とたんにあたりが真っ黒になった。



 ちよこと瑞希(雷)の目前で高祖英二の体が真っ黒なオーラに覆われていった。

「なんて強さなの?」

 一般の人間にさえ感じられてしまいそうな強力な霊気だ。

「……ツイニ…ヨミガエッタワ……フヒヒヒヒヒィッ!」

 英二がおかしな声で笑いながらふらふら歩きはじめる。

「あれってまさか……」

「相馬の怨霊なのにゃ!」

「やっぱり……でも今までいったいどこにいたの?」

「わからないにゃ。それよりおかしいのにゃ」

「おかしいって?」

「あいつこんなに凶悪じゃなかったのにゃ。あのバカ犬に軽くひねられてた程度で、こんな力なんてなかったはずなのにゃ」

「え?」

 ちよこは怨霊にとり憑かれた英二を見つめた。

 雷と同化していないちよこにさえも、その禍々しさがびんびん伝わってくる。

 相馬の悪霊とはちよこが生まれるはるか前に叶の家に仇なして封じられたものだと聞いていたから、このぐらい強力でも不思議はないかと思っていたのだが……

「それじゃどうして?」

「考えられるとしたら瑞希様を取りこんだせいなのにゃ……あいつ、瑞希様の記憶をしっかり持ってたし……」

 ちよこは混乱した。

「でも……どうして瑞希さんにそんな力が?」

「それはわからないのにゃ」

 と、それまではふらふら歩きまわっていた英二がちよこ達の姿に気づくと、顔を妙な角度に傾けてにたーりと笑った。

「ヒヒヒィ、ソンナトコロニ居オッタカァ! フハハハ! エラクカワイクナッタモンダナ。タチバナノ猫メガ……」

 突然、突風が吹きつけられたような気がして体がよろめいた。

 だが実際には風は吹いていない。

「ヒーッヒッヒ。ヨクモ……アンナトコロニ……トジコメテクレタナァ!」

 再び強風が吹き荒れて体全体が衝撃を受ける。

「きゃあああ!」

 ちよこは思わず尻もちをついていた。

《そんな……ただの霊障のはずなのに……》

 頭では分かっている。何事も起こっていないのだと。なのに、体が反応してしまう。

 このままではいけない!

「ちーこっ!」

「雷ちゃん。だいじょうぶ。来て!」

「わかったにゃ!」

 とたんに瑞希(雷)がくたっと座りこみ、代わりにちよこの目がきらりと輝くと、いきなり四つん這いになった。

「本気でいくのにゃ」

《いいわよ!》

 雷が降りたちよこに英二がまっ黒いオーラをまき散らしながらゾンビのように近づいてくる。ちよこ(雷)がその姿をぎろりと睨めつけると……


「ンニャアアアアアァッ!」


 獣のような叫びとともに彼女の体からも真っ黒なオーラがわきだし、その全体が巨大な黒猫の―――いやその大きさは猫なんてものではない。真っ黒い巨大な猫科肉食獣としか言いようのない姿に変貌した。そして……


「ハギャアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 つんざくような咆哮とともに獣が大跳躍すると、巨大な前足から飛び出したジャックナイフのような鉤爪が英二に向かって一閃した。


「グワオォ!」


 その衝撃を受けて英二が思わず数歩下がる……

「にゃに?」《えーっ?》

 それを見た彼女たちは心底驚愕していた。


 ―――たった数歩? だと?


 雷の全力の破魔掻鉤(はまそうこう)を食らわせたというのに―――たった数歩ひるませただけだと?

 今の攻撃は湯川ミヤコの邪神をけし飛ばしたときとは比較にならないほど強力な一撃だったはずなのだ。

「と、とんでもない奴なのにゃ」

「イーマノハチョット…イタカッタゾー」

 英二がまたにたーりと笑うと、その体全体からどかんと真っ黒な霊波が放出された。



 全身を棍棒でぶん殴られたような衝撃が走った。

《なんじゃー、こりゃー!》

 夢なのか? 夢だったら超特大の悪夢だが……

 それから―――今までのことが思いだされてくる。

《えっと、どうなったんだ?》

 たしか脳内瑞希に体を乗っ取られて立花ちよこを殺そうとしてたところに、猫又の憑いた瑞希が現れて―――それからいろいろあったが、なんか瑞希がブラック化して……

 英二がともかく前の方に意識を集中すると……

《はいーっ?》

 なんかものすごく凶悪そうな猫というか、もう黒豹みたいなのがいるんですけど⁉


 ―――だがそれはなにやら戸惑っているようすだった。

「と、とんでもない奴なのにゃ」

 黒豹が喋った⁈

 と、今度は英二の口が勝手に動く。

「イーマノハチョット…イタカッタゾー」

 それに続いて―――英二の体から何かよく分からないものが四方八方に放出されて……

《なにこれーっ!》

 その真っ黒な波動とでもいうべきものに黒豹が呑みこまれると……


「ハギャアアアッ」


 悲鳴とともにその姿が消し飛んで、後には四つん這いの立花ちよこの姿が残された。

《え?》

 どういうことだ?

「雷ちゃん!」

「だいじょうぶなのにゃー」

 ちよこの問いに答えたのは瑞希の体だ。

「でもちょっとこれってまずいのにゃー」

 英二の体がふらーっと揺れると口がまた勝手に動き出す。そして……

「ヒーッヒヒヒ。スゴイゾ。スバラシイィッ!」

 体を取り巻く黒い気体のようなものにゅっと延びると、巨大な腕の形になったのだ。

「ホーラァ、コレデ……ドウダァ!」

 やにわにその“腕”がちよこと瑞希に向かって振り抜かれる。

「いやああああああ!」「はにゃあああああ!」

 二人が同時に悲鳴を上げた。

 ??

 何が起こっている? 黒い腕にはどう見ても実体なんてない。当たっても単に影が通りすぎているだけにしか見えないのに、ちよこも瑞希も激痛でも感じているかのように目が裏返っている。

《やめてって! みっちゃん! なにしてるんだよ!》

 だが脳内瑞希は答えない。

「ホーラァ、モウイッパツ…ドウダァ!」

 黒い影の腕が再度ちよこ達をの上を通りすぎると、二人がまた絶叫をあげた。

「ヒーッヒッヒッヒ。コイツラァ、ヨワイィ。ヨワイゾオォ!」

 黒い腕がまた振り上げられる。こんど食らったら本当にやばいのでは?

 恐怖に駆られた英二はあらん限りの意思を込めて叫んだ。

《や・め・ろぉぉぉっ‼》

「ウルサイ! ザコハ…ヒッコンデロッ」

 途端に目の前がまた真っ暗になる―――体を丸められて袋に詰め込まれてしまったとでもいうのだろうか。

《みっちゃん! やめてって!》

 英二はただ叫ぶことしかできない。と、そのときだ。

「高祖君! いるなら聞いて!」

 立花ちよこの声が聞こえる。

「そこにいるのはもう瑞希さんじゃないから!」

《え?》

「聞こえる? 彼女は“もういない”の! この悪霊に、呑み込まれてしまったのよ‼」

 ………………

 …………

 ……

 なんだって?

 瑞希はもういない?

 悪霊に呑み込まれてしまった?

 そんなことあるはずが―――だが、状況は全てに付合していた。

 考えてもみろ。

 瑞希が、本物の瑞希がこんなひどいことをするはずないではないか!

 ―――ということは?


「高祖君! その体はあなたのもの! 心さえ強く持てば、簡単には支配されないのよ‼」


 英二の心の中が星空のようにすっと晴れ渡ったような気がした。

 続いて冷たい怒りがわき上がってくる。

《おい。おまえ》

 英二は彼の心の中の存在に静かに語りかけた。

「ア?」

《おまえ、いったい誰だよ?》

 その言葉に脳内瑞希がひるんだ。

《おまえはみっちゃんじゃないのか?》

「もちろん叶瑞希に決まって……」

 その言葉はなぜか途中でフェードアウトしていく。それを聞いた英二は確信した。

 そして……


《出て行けーっ! おまえなん―――て、嫌いだあああぁっ!」


 その言葉は途中から間違いなく英二自身の声になっていた。

 同時に彼の体から真っ黒い何かが渦を巻いて抜け出していく。


「出ーてーいーけぇぇぇぇぇっ!」


 英二が再び絶叫する。

 気がつけば―――彼の体は彼自身の持ち物へと戻っていた。

 英二は自在に動かせるようになった両手をじっと見つめて、それからがっくり膝をついて地面にへたり込む。

 しばらくは何も考えられなかった。

 と、頬に暖かいものが触れる。見ると―――立花ちよこの手だった。

 彼女は涙を浮かべながら英二を見つめている。

「高祖君。ありがとう」

「えっと……立花さん?」

「おまえなかなかやるのにゃ」

 そこに瑞希(雷)もやってきて英二に微笑みかけた。

 美少女二人に挟まれて―――それでも英二はまったく喜べなかった。

「でも……今のはみっちゃんじゃなかったんだろ? じゃあみっちゃんは?」

 ちよこと瑞希(雷)がぴくりと固まる。

 英二は嫌な予感がした。

「ねえ。本物のみっちゃんの魂はどこにいるの?」

 だが二人とも黙りこくったまま答えない。

「なあ、教えてくれよ!」

 英二は思わずちよこの肩を掴んで揺すぶった。ちよこは目を逸らせながら答えた。

「ごめんなさい……はっきりは分からないの……でもあの悪霊が瑞希さんの記憶を持ってたってことは……あいつの中にいるのかも……」

「いるって……それじゃ助けないと」

「………………」

 ちよこは目を伏せてしまた。代わりに答えたのが瑞希(雷)だ。

「それは無理なのにゃ」

「え? どうして。今あいつの中にいるって言ったじゃないか!」

「それは多分そうなのにゃ。でももう混じってしまったから戻せないのにゃ。コーヒーにミルクを入れて混ぜたみたいなものなのにゃ。熱力学第二法則なのにゃ」

「はあぁ?」

 そこにちよこが苦笑いしながら補足する。

「えっと雷ちゃん、理数系なんで気にしないで」

 はいぃ? 猫又が理数系って―――なんかちょっと自己矛盾してないか?

 などというのはともかく……

「要するになに? 瑞希の魂はあの悪霊に取りこまれて完全に混じっちゃったから、もう元には戻せないって……そういうことなのか?」

 二人は黙ってうなずいた。

 ………………

 …………

 ……

 ぽたりと地面にしずくが垂れた。

 ぽたぽたぽたと、とめどなく流れはじめる。

 涙が止まらない。

「どうしてだよ!」

 英二は地面をがんと両手で叩く。

 戻せないって―――瑞希がどうしてそんな目にあわなければならない?

 そりゃあ少々性格に難のある奴だったとはいえ―――いや、それではあの性格は悪霊に影響されていたものだったのか? だとしたらあの時点ですでに瑞希という存在は……

《あの……時点で?》

 ―――もう英二の知っていた瑞希は存在していなかったというのか?

 ………………

 …………

 ……

 すっとハンカチが差し出される。ふり返ると立花ちよこだった。

「立花ひゃん……」

 ちよこが英二の肩にそっと手を触れるが……

「あ痛っ!」

 肩に激痛が走った。

 さっき猫又化した瑞希本体に思いっきり噛みつかれたところだ。

「だいじょうぶ? ケガしてない? 見せて」

 ちよこがあわてて服を脱がそうとするのを英二は押しとどめた。

「いや、だいじょうぶだから。学ランの上からだったし」

 歯形くらいはついたかもしれないが……

「だったらいいけど……」

 彼女はほっとした表情になるが、それからまた真剣な顔になる。

「えっとそれで高祖君。尋ねておきたいことがあるんだけど……」

「なにを?」

 鼻をすすり上げながら英二は答える。

「あの悪霊にどこで憑かれたの?」

「そうなのにゃ。それを聞いておきたかったのにゃ」

 英二はうなずいた。

「ああ、あれは……お化け井戸にカバンを落としちゃった日の夜だったんだけど、いきなり僕の頭の中に出てきて……」

 ところがそれ聞いていたちよこと瑞希(雷)がぽかんとして首をかしげた。

「えっと、いったいなにを言ってるの?」

「なにをって、だからみっちゃんが僕の中に出てきた話だけど」

「カバンを落とした日って二週間も前じゃないの」

「そうだけど?」

「今日とり憑かれたんじゃないの?」

「いや、だから二週間ずっとだけど?」

 ちよこが目を丸くした。

「二週間もあんな悪霊に乗っ取られてて、どうして普通でいられたのよ?」

 何か話がかみ合っていないようだが―――そこで英二は脳内瑞希が現れたときの経緯を二人に細かく話した。


 聞き終えた二人は驚きの表情で顔を見合わせる。

 それから瑞希(雷)が言った。

「それじゃちょっとうちの姿を想像してみるにゃ」

「いまの格好でいいのか?」

「いいのにゃ」

 そこで英二はいつもどおりに脳内瑞希の姿を思い起こした。瑞希の姿を想像するのはもはや自由自在だ。

 だがこれまでならすぐに動き始めたというのに、今回はマネキン人形のようにぴくりともしない。

 と、そのときだ。目がぴくりと動くと、あたりをきょろきょろ眺めはじめたのだ。

 それから彼女は……

『うわあ! これはおもしろいのにゃ! 自由に体がうごかせるのにゃ!』

 と言いながら部屋の中をぴょんぴょん跳びはねはじめた。

 唖然としながらその姿を見ていると脳内瑞希(雷)が言った。

『それじゃこんどはちよこの姿を出せるかにゃ?』

《え? うん……》

 ちよこといえば―――思わず以前トライしたときを思いだして顔が熱くなる。

『ん? どうしたのにゃ?』

《いや、なんでもないって!》

 英二は間違えないようにセーラー服姿のちよこを思い起こす。

『それじゃここにちよこを呼ぶのにゃ』

《立花さんを?》

 なんかすごい妖怪らしいこいつならともかく、彼女にそんなことができるのか?

 だが脳内瑞希(雷)は自信ありげにうなずく。

『だいじょうぶなのにゃ』

 そこで英二はちよこに伝えた。

「えっと……雷ちゃん? が来てほしいって言ってるんだけど」

「あ、分かったわ」

 彼女はさも当然というように目を閉じて精神を集中した。すると……

『え? えええ?』

 脳内ちよこが動きはじめて、びっくりしたような表情であたりを見回している。

『うーむー。これってもしかすると……』

 脳内瑞希(雷)がそうつぶやくと、とたんに彼女の頭ににょろっと猫耳が、同時にスカートからは二股になった尻尾が出てくる。

『きゃっ! かわいい!』

 ちよこが猫耳瑞希の耳を撫でている。

『あーでも、手触りはなんか変』

《そこまではあまりうまくいかないみたいなんだけど……ってか、立花さんってこんなこともできるの?》

 彼女もいま一瞬で入ってきたよな? 彼の頭の中に……

『え? 雷ちゃんに手助けしてもらったら。ちょっとは修行したし』

《あはは。そうなんだ……》

 もしかして―――ものすごい人を目の前にしているんだろうか?

《でもこれってどうやったんだ? ぼくそんなの想像してないんだけど》

 英二が猫耳瑞希の姿を見ながら尋ねた。

『ああ、これは夢枕に立つときの応用なのにゃ』

 そういって彼女が尻尾をふった。

《夢枕?》

『そうなのにゃ。相手の見ている夢にこっちの姿とかを投影することができるのにゃ。霊魂が人とコンタクトするには一番手っ取りばやいのにゃ。でも普通はもっとぼーっとした感じで、こんなに鮮明で自由に動けるなんて初めてなのにゃ』

 はあ……

『えっと……それで高祖君はどこに?』

 ちよこがあたりを見回しながら尋ねる。

《ああ、普段は自分はいないんだ。行くこともできるけど……》

 そう言って英二は自分のアバターを出してみたのだが……

『それって……反対!』

『なんか変なのにゃーっ』

 二人は英二を指さして爆笑した。

 いや、もう笑われるのは慣れているからいいのだが―――と、そのときだ。

 猫耳瑞希がはっとしたようすでちよこに言う。

『あ、ちょっと外に出てくるけど、ちよこはそのままでいてくれなのにゃ』

『え? うん』

 途端にその姿が凍りついて、それから……

「うわああ! そういうことだったのにゃーっ!」

 瑞希(雷)の驚き声が聞こえてきた。

「なにがだ?」

「外からだとちよこがいるのが全然見えないのにゃーっ!」

『え? えええええ? そうなの?』

 それを聞いた脳内ちよこまでがあからさまに驚愕する。

「えっと、なにをそんなに驚いてるんだ?」

『だって普通に霊能力があれば、憑依されてる人なんて一目瞭然なのよ? 私にだってたいてい分かるし、雷ちゃんだったらもう百パーセントなんだから』

「そうなの?」

『そうなのにゃ!』

 雷が少々興奮したようすで猫耳瑞希に戻ってくる。

『だからあの悪霊に二週間もとり憑かれてて分からなかったなんて、あり得ないのにゃ』

《あ、だからさっき不思議がってたんだ……》

『でもどうしてそんなことができるの?』

『どうしてって聞かれても……』

 その問いに答えたのは猫耳瑞希だった。

『多分それはあの悪霊がこいつにではなく、こいつの作り出した“映像”に降りていたからなのにゃ。まさに“バーチャル依代”だったのにゃ』

『バーチャル? 依代⁇』

『おまえ、依代って言葉くらいは知ってるよにゃ?』

『えーっと、たしか……霊魂を封じ込める御札みたいなものだっけ?』

 猫耳瑞希は二股の尻尾を振った。

『まあそうにゃ。でも御札に限らず安定さえしてればどんな物でも構わないのにゃ』

『へえ……』

『そもそも霊魂というのはとても不安定なのものなのにゃ。安定した依代に降りてないとすぐにも夢散してしまうのにゃ。実体のない存在とは本当に儚いものなのにゃ。だから依代というのは普通は安定した物体でできているのにゃ』

『はあ』

『ところがおまえの作ったこの映像というのが、見ての通り滅茶苦茶リアルだったせいで、そこに霊が降りてくることができたのにゃ』

 ………………

 …………

 ……

『えっと……マジで?』

『実際こうしてうちらが入って動いてるのが、なによりの証拠なのにゃ』

 いや、それはその通りなのですが……

『まあ、そうだったの……確かにここってすごくしっかりしてるし、それに高祖君の思いもいっぱい籠もってるでしょうから……』

 なにかちよこも納得しているが―――なんというか、そういうことなのだろう。

『でもそれでどうして中にいたあの悪霊が見えなかったのかしら?』

 ちよこの問いに猫耳瑞希がうなずく。

『そこなのにゃ。もちろん普通の憑依なら一発で分かったのにゃ』

『普通の憑依って? これとまた違うのか?』

 英二の問いに彼女は猫耳をぴくつかせる。

『全然ちがうのにゃ。普通の憑依だとおまえの体そのものに他の霊が降りてくるのにゃ。すると二つの霊が一つの体を使うことになるから、どちらかがおとなしくしてないと体がもつれてしまうのにゃ。さっきのおまえがまさにそうなのにゃ』

『あー、そりゃまあそうだよな』

『そんな奴なら見ててすぐ分かるのにゃ。でもおまえの場合は違ったのにゃ』

『ぼくが?』

『そうなのにゃ。あの悪霊はおまえの想像力が作り出した“バーチャル依代空間”の中にいて、そこにサンドボックスみたいな効果があったのにゃ。だから外から見ただけでは中の悪霊の存在が分からなかったのにゃ』

 はあ? またわけの分からないことを……

『サンドボックス? って、砂の箱?』

『なんなの? もしかして猫砂、足りなくなってた?』

 こちらはちよこにもよく分からないらしい。

『ちがうのにゃーっ!』

 猫耳瑞希が尻尾をぶんぶん振りながら説明する。

『サンドボックスというのは、たとえばウイルス感染したプログラムを解析するときとか、実際のマシンに悪影響を与えないようにソフトウェア的に構築された、仮想の動作環境なのにゃ。別な例でいえばUNIX上に仮想PCを構築してWindowsを走らせているようなものなのにゃ。そうすると中でWindowsのプログラムを動かしていても、外から見たらそれはただのUNIXマシンなのにゃ』

 英二とちよこは顔を見合わせた。

『えーっと……なに言ってるんだ?』

『さあ。雷ちゃん、理数系だし。でもともかく、高祖君の中にあの悪霊がずっといても分からなかった理由なんでしょ?』

『あのにゃーっ! なにを他人ごとみたいに! おまえら勉強が足りないのにゃーっ!』

 勉強が足りないとか言われても、今のって高一で習う範囲じゃないだろ?

『あー、分かったから。雷ちゃん……』

『ちよこもごまかさないのにゃーっ。そんなだから中間テストの数学の点が……』

『やーん! それもう思いださせないでー!』

『だめなのにゃ! 人が合理的思考を忘れちゃだめなのにゃ。そもそもどうして人類がホモ・サピエンスと言われているかというとだにゃー……』

 えっとちよこさん? 猫又にそんな説教をされてていいんでしょうか?

 そんな二人(?)を見ていて英二は少しばかり気がぬけてきたのだが―――そこでひとつ重要な事項を忘れていたことに思いあたった。

《えっと、それでさあ……僕から抜けてったあの悪霊ってどうなったんだろう?》

 とたんに脳内ちよこと猫耳瑞希がぴたりと凍りつく。

『あっ』

『そうなのにゃ。ほっとして忘れてたのにゃ』

『あのなーっ!』

 英二がそう突っ込んだときだ。


 ゴゴゴゴゴ……


『えっと……今の音なんだ?』

『地鳴りみたいだったけど……』

『ぢ? な? り?』

 途端に今度は足下の地面が―――本当に揺れた。



「うわ! 地震だ!」

 英二は思わずしゃがみこんだ。

 その拍子で脳内のちよこと雷が元の体に戻る。

「はにゃ! これはすごくまずいのにゃ!」

 瑞希(雷)が焦った表情になる。

「なにがまずいんだ?」

 と尋ねてから、英二もその理由に思いあたった。

「もしかして……あの悪霊が?」

「そうなのにゃ。どうやらこの八幡宮に降りてしまったみたいなのにゃ」

「えーっ? なんですってーっ?」

 ちよこは真っ青だ。驚きが尋常ではないのだが……

「それってそんなにとんでもないこと?」

 英二の問いに答えた瑞希(雷)も顔面蒼白だ。

「とんでもにゃいもなにも、それって神様がなさるようなことなのにゃ!」


 神様? だと?


 そのとき辺り一帯から声が聞こえてきた。

「フハハハハ……スバラシイ!……スバラシイチカラダァァ!」

 とたんにあたりが暗くなった。

 そろそろ夕刻ではあるがまだこんなに暗くなる時間では?―――と思って天を見上げると、境内の上空が真っ黒い雲で覆われている。

 そのうえ、ごーっ! ざわざわっと生暖かい風が吹き荒れはじめた。

「ああ! あれは……」

 ちよこの指す方を見ると―――黒雲の底になにやら歪んだ顔のようなものが現れている。

「なんだあれは?」

「うわーっ。ほとんど顕現しかかっているのにゃ」

「そうなったら、どうなるんだよ?」

「まずいわ。ここには大きな地脈が走ってる! あんな力が解放されたら……」

「どういうこと? 地脈?」

「科学的には活断層と言うのにゃ。あの力から見たらマグニチュード7くらいなのにゃ」

 はあ? それって……

「でも内陸直下型だから津波の心配はないのにゃ」

 いろいろそういう問題じゃないだろーっ!

「で、どうすりゃいいんだ!」

 だが二人は答えない。

「僕にできることならなんでも手伝うから!」

「だめ……こんなのもう……私たちの力ではどうしようも……」

 ちよこは恐怖におびえた眼差しで天をあおぐだけだ。

「はいーっ?」

 だが―――この瞬間に天空に広がった巨大で禍々しい顔を見れば、まさに人智でどうにかできる相手でないことは一目瞭然だ。

「フハハハハハァ! イイゾ、イイゾォォ! チカラガ…ドンドンワイテクル!」

 そんな声に続いて……


 ドバーン!


 一瞬の閃光とともに森の奥にいきなり落雷した。

 あまりの至近距離に、まるで音の方が先に聞こえてきたかのようだ。

「うわあっ!」

 英二は腰を抜かしそうになったが、瑞希(雷)はそれ以上に慌てていた。

「うわーっ! まずいのにゃーっ! 井戸に落ちたのにゃーっ!」

 ちよこも気づいて真っ青になる。

「ええ? それじゃみんな出てきちゃうんじゃ?」

「あいつめ、そのつもりで狙ったのにゃ!」

「出てくるって……もしかして?」

「そう。あそこに封印してた悪霊たちがみんな出てきちゃう!」

 ………………

 …………

 ……

 えーっと、その……

 たった一体でこの始末なのに、あそこに封印していた悪霊が全部出てくるだと?

「ヨシ。オマエタチ。イイゾ。サア、ヤッテクルノダ。ワガモトニ……」

 だがまさにそれは現実になろうとしていた。

「お、おい、井戸に蓋するとかできないのか?」

「いろいろ準備がいるの。高祖君が壊したのを応急処置しただけだったから……」

「あ……え……?」

 英二はそのまま絶句する。

《あれって……そんなにやばかったんだ。あはははは》

 ってことは? もしかしてこれってみんな……

《僕の? 僕のせいで……東磨壊滅ですかーっ?》

 英二はもう―――笑ってしまいたくなった。

 ところがそのときだ。

「フハハハハァ! イイゾォ、イイゾ………………………ンア?」

 なぜか急に天空に広がる悪霊の表情が歪んだように見えたのだ。

 同時にどこかから別な声が聞こえてきた。


 ……キラワレテタ……はは。そうよね。あたしなんて……どうせ……


「……ン、グァァ……」

「どうしたの? 苦しんでる!」

 驚きの表情でちよこがつぶやく。

 苦しむって―――悪霊が?

 と、そのとき悪霊の顔がべりっと裂けると、そこから真っ白な光が射しはじめたのだ。

「グワアアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァァッ!」

 悪霊の声が今までとは違う。これは―――断末魔の叫びだ!

「どういうことなの?」

「あの声ってまさか……なのにゃ!」

 そう。その声には聞きおぼえがあった。


 ……へえ……こんなふうにするんだ……


 再び聞こえてきたなつかしい声とともに、黒雲の裂け目から光り輝く人型が現れた。

 その姿はそこにいる全員がよく知っている姿で……

「オ、オノレエェェェ」

 黒雲から稲妻があちこちに落ちはじめる。

「うわああああ!」

 英二たちは思わず地面にうずくまるが、


 はははは。あーっははははははは!


 その光の瑞希は高笑いをあげると……

「よ~く~もあたしを操ってくれたわねぇっ!」

 彼女の全身からまばゆい光が発した。

 その光を受けたとたんに黒雲の顔がどろどろと溶けはじめた。

「ギィヤアァァァァァァ。ヤメロォオオオォッ!」

「あんたさあ、ウザイのよっ!」

 そしてその輝きが消えさったとき、黒雲にあった顔は完全に消えてなくなっていた。

 ………………

 …………

 ……

「瑞希さん?」

 ちよこがその姿に語りかける。

「えっとあれって?」

「瑞希様のようなのにゃ」

「それじゃみっちゃんが……自力で悪霊を祓ったってこと?」

 もしかしてこれで何とかなったということなのか?

 だが―――瑞希(雷)はむしろ恐怖の眼差しでその姿を見つめていた。

「それが……分からないのにゃ」

「分からないって……?」

「ふっふっふ。さあて、邪魔者はいなくなったし、それじゃゆっくりと……」

 え?

「おまえらをなぶり殺せるわねえっ! あっはははははっ!」

 途端に英二たちはものすごい突風に巻きこまれ……


 ド・ガァァァァーン!


 光の瑞希の背後に広がる雷雲がさらに巨大化し、彼らのすぐそばに落雷した。

「はいーっ?」

 吹っ飛ばされながら英二は、瑞希(雷)が恐れていた理由をこれ以上なく理解していた。

 彼女がなにか結界のようなものを張ってくれなかったら即死だっただろう。

「やめて! 瑞希さん! どうして?」

 ちよこが天に向かって叫ぶ。

「えー? だってさっきさあ、あんたたち、あたしはあたしじゃないとか言って消そうとしたわよねー?」

 ちよこが絶句する。たしかにそのとおりだったのだが、でもあの場合……

「やめろって。みっちゃん!」

 光の瑞希が英二をじろっと見る。

「あたしなんか……嫌いなんでしょ?」

 その冷たい響きに英二は背筋がぞっとした。

「いや、あれはだから、その、君が……」

「嫌いよ……みんな……死ねばいいのよ……だから……キ・エ・テ・シ・マ・エ!」


 ピ・シャァァァーン!


 再び至近距離に落雷する。

「うわーっ。ともかく森の中に隠れるにゃーっ!」

 英二たちはなんとか鎮守の森の中に逃げ込んだ。

「えっと、あれってみっちゃんだよね?」

「ええ。多分。でももう完全に自分を見失ってる」

「それじゃどうすれば……」

「雷ちゃん。ともかく体を返して謝るしかないわ」

「わかったにゃー」

 瑞希の本体がくたりと地面に座り込むと、雷が乗りうつってちよこの目がきらりと輝いた。それから森の端まで行って天に向かって叫ぶ。

「瑞希様ーっ。体はお返ししますから、鎮まってほしいのにゃーっ!」

 しかし……


 ズ・ドォォォォーン


「あーっはっは、逃げなさい。逃げられるところまでねっ!」

 それとともにまた足下が揺れはじめた。

 今度はさっきのよりはるかに強い、立っていられないほどの震動だ。

 それにくわえて台風並みの風が吹き荒れはじめる。

「はにゃー。これはもう太宰府のみっちゃんクラスなのにゃー!」

 ちよこ(雷)が近くの木にしがみついて泣きはじめてしまった。

「ええ? 太宰府のって……それってもしかして……」

「そうなのにゃー。菅原道真様なのにゃー。あのときはうちもまだかわいい子猫又だったから、怖くてちょっとお漏らししてしまったのにゃー。あのトラウマを思いだしてしまうのにゃーっ!」

 ちょっ! ちよこ顔でそんなこと言われると―――とかの細かい突っ込みはともかく、この猫又に幼児退行されてしまったら残った英二たちはどうすればいいのだ?

「ほーら、あんよは~おじょうずっ!」


 バ・グァァァァーン!


「うわー。きついのにゃー。もうだめなのにゃー」

 おいおいおいおい。

 だが―――いまの英二になにができる?

 一介の高校生にこんな超自然現象の相手ができるわけない。

 彼はただ傍観していることしかできないのだ。

 瑞希のような謎の人型が暴れまわって―――東磨が壊滅する様を……

《ちょっと待てよーっ!》

 英二が本気で笑ってしまいそうになった、そのときだった。

「あ? なんにゃーっ? わかったにゃーっ」

 雷がまた瑞希の本体に戻っていった。

 そして表に出てきた立花ちよこが英二に言ったのだ。

「手がないことはないかも……」

「え? どんな?」

「もしかしたら……なんだけど」

 英二はうなずいた。

 ともかく今はどんな可能性にだってすがるしかない。

「私たちであれを調伏するなんて絶対無理だけど、でも……なだめることなら……」

「なだめる?」

「ええ。あれが本当に瑞希さんがマジギレしてるのだったら、なんだけど……」

 瑞希の? マジギレ?

「それには高祖君。あなたの協力が必要なの」

「僕の? 協力が?」

「ええ。そう」

 ちよこはそう答えてじっと英二を見つめた。

「とにかくこれは確信があるんだけど、瑞希さんには……その、なんっていうか、高祖君に対しての“強い思い”があるのよ」

 英二は目を見はった。

 強い思い? それってまさか、彼女が彼のことを実は―――好きだったってことか?

 もし本当にそうだったとしたら―――さっき心の底から全力で……


 嫌いだーって言っちゃった気がするんですけどっ!


 そりゃきついよな?

 好きな子からあれだけ完全に拒絶されてしまったら……

 そりゃ、ぶち切れてもおかしくない! 特にあの脳内瑞希なら……

「じゃあ立花さん。僕が彼女のことを……その、好きって言えばいいのか?」

 ところがそれを聞いたちよこは首をふった。

「分からないわ」

「どうして? だって彼女が拒否されて荒れているんだとしたら……」

 ちよこは英二の目を見つめて尋ねる。

「だって高祖君。瑞希さんのこと本当に好きなの?」

 ………………

 …………

 ……

 英二は絶句した。

 本当に好きか、だって?

 そんなこと―――いや、ここで言葉に詰まってしまったということが、すなわち英二の本心を如実に表しているのでは?

 ちよこがそんな英二を見て目を伏せる。

「心のこもらない言葉じゃなんの効果もないどころか、むしろ逆効果よ」

「…………それじゃどうすれば?」

「とにかく瑞希さんに伝わる、そんな言葉でなだめてあげないと」

「みっちゃんに伝わる言葉?」

「そう。あなたの心からの言葉。そういうの、何かない?」

「………………」

 何かないかといきなり問われても―――すぐに思いつくわけがない。

 そこで英二は尋ねた。

「えっと、でもどうしてみっちゃんがその……僕を想ってるってわかったんだ?」

「あ、それはね、一つはあの屋根裏部屋なんだけど……」

「屋根裏部屋? ああ、そういえば雷ちゃんがそんなこと言って煽ったら、あいつぶち切れたんだっけ。最初は……」

 そこに瑞希(雷)が口を挟んでくる。

「えっとな、うちのことはちよこと春華様以外は“雷様”と呼ぶのにゃ」

「そんなことこの際どうでもいいだろーが!」

「おまえみたいな小僧ごときが齢一千三百才の大怪猫雷様に向かって失礼なのにゃーっ」

「まあまあ雷ちゃん。その話はあとでゆっくりしましょう。この戦いが終わったら……」

「もうしょうがないにゃー」

 いや、その言い方不吉でしょ? もう死ぬ前提なんじゃ? などというのはともかく……

「ともかくそれでその屋根裏には何が?」

 うながされたちよこが口ごもる。

「その、少し言いにくいんだけど……ものすごいBL本のコレクションがあって……」

「えっと……びーえるぼん? っていわゆるボーイズラブ、の?」

「ええ。そこにあのときのカバンも置いてあって……」

「えっと、カバンって?」

「高祖君が井戸に落とした宮地さんのカバンよ。だからそれに憑いていた相馬の悪霊が瑞希さんにとり憑いてしまったんだけど……」

「えっと、よく分からないんだけど、どうして宮地さんのカバンが瑞希のところに?」

 そこに瑞希(雷)が口を挟む。

「わからにゃいのか? 鈍いやつだにゃあ」

「え?」

「だから宮地って子から受け取ったのにゃ」

「はあ? なにを?」

「あんな人気のないところでこそこそ受け渡しするなんて、中身は決まってるのにゃ!」

「あっ!」

 ってことは……?

 英二は吹きだした。まったく―――もうなんていうか、カワイイじゃないか!

 要するにあのとき彼女もまた趣味を同じにする宮地さんから、薄い本が詰まったカバンを受け取るために八幡宮に来ていたということなのだ!

「分かったよ。まったくもう……」

 バカだろ? 本当にバカだろ? もう……

 英二はすっくと立ち上がると、両手を広げて天を仰ぐ。

「みっちゃん! みっちゃん!」

 それを見たちよこが蒼くなる。

「ちょっと! なにをはじめるの?」

「まあまあ」

 英二は彼女を抑えると再び叫んだ。

「あっははは。そんなこと心配してたのか? 心配しすぎだって! そのくらいこっちだって同じなんだから。あのときねえ、僕だって境内で圭輔と一緒にエロ雑誌見てたんだし。あの晩もみっちゃんのことを思ってちょっとHなことしようとしてたところだし!」

 ちよこに雷、そして光の瑞希までがなにやら絶句した。

「人間、きれいなところばかりじゃないだろ。ぼくだってそうだし。だからみっちゃんに少しくらいそんなところがあったって全然気にしないし。むしろそっちの方が親しみやすいくらいだっていうか……」


 チュ・ドォォォォォーン!


 びええええええええええ!

 英二は本気でちびりかけた。

 再び雷が守ってくれなかったら本当に死亡フラグを回収していたところだ。

 瑞希(雷)がどアップで怒り狂う。

「このバカがー。そんなに何度も何度も護ってやれないのにゃーっ!」

「ごめんなさいです……いや、うまくいくって思ったんだけど……」

 ちよこが大きくため息をついた。

「だから話は最後まで聞いて!」

「すみません」

「で、もう大体分かったけど、高祖君はBLの趣味は?」

「は? あるわけないでしょ?」

「そうよね。それじゃやっぱりそれとは別に、なにかお互いを引きつけ合うような“念”があるはずなのよ」

「引きつけあうような念?」

「要するに強い思いよ。さっき雷ちゃんが依代の話したでしょ?」

「え? うん」

「ある物が依代になるのにはね、安定しているだけじゃなくてもう一つ、念がこもってないとダメなの。そして降りる魂の方もそれに呼応していないとうまく降りられないし、降りても長続きしないの」

「それって……それじゃ僕とみっちゃんの間にそれがあったってこと?」

 ちよこはうなずいた。

「ええ。そういった下地がなければ、そもそも高祖君に瑞希さんが降りるようなことにはならなかったと思うの」

 彼女の言いたいことは分かった。

 確かにあのとき英二はあることを強く念じていたが……

《まさかそれって……》

 ぽっと頬が熱くなる。

「なにエロいこと考えてるにゃー?」

「ど、どうして分かった!」

「おまえぐらいの小僧が考えることなど決まってるのにゃー」

「だってしょうがないだろ! 若いんだし。それにみっちゃんだって若いんだから……」

 彼女だってHなことをしたかったのかも……

「それはないわ」

「ありえないのにゃ」

 英二が言う前に二人に全否定された。

「えーっ? でもほら、人はいかに文明の衣をまとおうともやはり内なる獣性からはのがれられないわけだし~、そこはやっぱり男も女も……」

「ちょっと黙ってて」

「はい」

 ちよこは黙ってしばらく考えこみ、それからふっと顔を上げると英二に尋ねた。

「ねえ、瑞希さんの部屋に張ってあったあの薙刀の絵って、高祖君が描いたのよね?」

「え? そうだけど?」

 小学校六年生のとき、コンクールで金賞を取った瑞希の絵だ。

「そういえば瑞希様が体を抜けたあと、一旦あの絵に降りられたのにゃ」

「え? じゃあやっぱりその話って夢じゃなかったんだ?」

「知ってたのかにゃ?」

「うん。本人からその話は聞いたから」

 それを聞いたちよこが英二に真剣な顔で尋ねた。

「あの絵のこと、もっと教えてもらえない?」

「え? 別にいいけど……六年生のとき、先生にコンクール用の絵をなんか描けって言われて、それで薙刀やってたみっちゃんをモデルにしたんだけど……ああ、でもモデルになってって言ったらみっちゃん、やたらに張り切ってたなあ……」

 青春の甘酸っぱい思い出というものだろうか?

 英二は絵は上手だったが、描くことが好きだというわけではなかった。たまたま自分にはうまくできたというだけのことで。

 でも―――確かあのときは……


「どうしてみっちゃんを描いてたときだけは楽しかったんだろう?」


 それはとても小さな、ほとんど自分にしか聞こえないようなつぶやきだったのだが……

「え?」

「どうしたのにゃ?」

 あたりで吹き荒れていた風が急にぴたりと止んだのだ。

「どうしたんだ?」

「通じてるのよ!」

「え?」

「あなたの思いが通じてるの! 本当の思いだからこそ瑞希さんに聞こえてるのよ!」

 それじゃ?

 そう。英二は確かにみっちゃんのことを“思って”いた。

 でもその気持ちのことをなんと呼べばよかったのだろうか。

 愛情? いや、違う。それでは恋? それとも憧れ?

 ―――いや、みんな違う。

 それはまだ、何にもなっていない気持ち。

 これから何かに成長していく“想いの種”だ。

 育てばいずれ芽が出て花が咲くかもしれないし、もしかしたら途中で立ち枯れてしまうのかもしれない。

 でもまだその種は撒かれていない。

 ならもし今からでもいいからその花を二人で育てていけたら……


 ―――それってすごく楽しいんじゃないか⁈


 とたんに口から言葉が自然に流れはじめた。

「みっちゃん。聞こえてる? えーっと、秋祭りにはまた姫神楽、舞うんでしょ? ねえ、こんどそれ描いてみたいんだけど、どうかなあ? 中学のときは美術部に入ってたから、前よりもっと上手に描けると思うんだ。だから……」


 ―――戻ってきてよ! みっちゃん!


 あたりの風がぴたりと止んだ。

 ひっきりなしに鳴動していた地鳴りもすっぱりおさまった。

「これって……」

「やったのかにゃ?」

 ちよこと瑞希(雷)が顔を見合わせる。

 英二は天を見上げた。黒い雲を背景に、輝く瑞希の人型が見える。

 それはなにか泣いているようにも見えて……

「ありがとう。英二君……」

「みっちゃん! それじゃ……」

 ………………

 …………

 ……

「うん……だから安らかに死んでね」


   ドゥ・ガァァァァーン‼

            ビィ・シャァァァーン‼

       ズゥ・ドォォォォーン‼

                ブゥァ・グワァアアァァァァーン‼‼


 これまでで最大級の落雷があたりに落ちまくった。

 同時にまた立っていられないほどの地震が発生する。

「びええええええええっ! ど、どうしてですかぁ!」

「そんなぁ! 声は聞こえていたはずなのに!」

 風がいったん止んだということは、英二の言葉に彼女が反応したということだ。彼女にその想いが伝わったということなのだ。

 それなのにどうして?

「はにゃーん。もうだめなのにゃ」

「雷ちゃん。しっかり!」

 とはいっても彼(彼女?)はさっきからずっと落雷を防ぎまくってくれている。齢千三百年の大妖怪でもそろそろ限界が近いのでは?

 英二は頭を抱えた。

「僕、いったい何を間違えたんだ?」

「わからない。私も絶対あれは効いたって思ったもの。あんなこと言われたら誰だってぐっとくるって思うし、通じてないわけはないわ。絶対……」

「だったらどうして!」

 ちよこは下を向いてぶつぶつつぶやきつづける。

「通じてないわけないのよ。通じてないわけ……」

 ところがそこでちよこがいきなり驚愕のまなざしで英二を見つめたのだ。

「って、ああっ⁈ そういうこと⁇」

「どうした?」

「もしかしてこれって……」

「これって?」

「あなたの想いが……通じちゃったから荒ぶってる?」

 ………………

 …………

 ……

「はいぃ?」

 えっとたしか―――さっきまでは“彼女に思いが届かなきゃ全滅”だったよな?

 でも今は“彼女に思いが届いたので全滅”ってことでいいですか?

 って、なに? その“はい”か“イエス”で答えなさいみたいな状況‼

「えっと立花さん?」

 だがちよこは完全に打ちのめされていた。

「もうだめ? だめなの? こんなことって……ああ、ごめんなさいお父さん。ちよこは先に行きます……」

 ちょとまてーっ!

「ちよこーっ! 諦めるのは待つのにゃーっ!」

「そうだよ。諦めたら終わりじゃないか!」

 今の英二には彼女たちだけが頼りなのだ。雷がすでにお手上げ状態で、さらに彼女にまで諦められたりしたら……

「でもどうしたら……あたし、もうどうしていいかわかんない……」

 ちよこは両手で顔を覆ってうずくまってしまった。

「そんなこと決まってるじゃないか!」

「え?」

 その言葉に、ちよこがうるうるした瞳で英二を見あげてくる。

《しまったあぁぁぁぁ! つい勢いで言ってしまったがぁぁぁぁっ!》

 英二は考えた。必死に必死で考えたが……

「だから、その……愛と勇気、みたいな?」

 いい考えなど出るはずがなかった。

 ちよこががっくりと肩を落とす。

「うわー、ごめんなさい。なんも考えてませんでしたっ!」

「ちよこ。バカはほっとくのにゃ。それよかどうしていきなり諦めたりするのにゃ!」

 絶望の淵のちよこを瑞希(雷)がなんとか引き戻そうとしてくれるが……

「だって……雷ちゃんも見たでしょ? あのパソコンのあれ」

 それを聞いたとたんに彼女も目を丸くすると……

「あ! にゃる~。そりゃ~もう無理かにゃあ」

 いきなり諦めた。

「ちょまーっ! なんじゃそりゃーっ?」

「だから瑞希さんが荒ぶっている原因なんだけど……」

 ちよこが涙目で英二を見る。

「原因が分かるのか? だったら何とかなるんじゃ……」

「原因が分かるからだめなのにゃ」

「だって、なにをどう言ったらいいのか分からないんだもの」

 二人とももはやこの世の終わりといった風情だ。

「あの、せめて教えてくれよ、その原因って?」

 だがちよこはちらっと英二の顔を見ると、また目を伏せてしまう。

「あの~、雷……様? 分かってるのなら教えていただいていいですか?」

「うーむ……なのにゃ」

「えっと……そりゃこんな状況で僕なんかに何かができるとは思わないけど、でも話してくれないと始まらないと思うし……」

 だがそれを聞いたちよこは黙って唇をかむだけだ。

 どういうことだ? いったいこの二人はなにを悩んでいるのだ?


 ―――そのときだ。ふっとちよこが顔を上げると尋ねた。

「そういえば……高祖君。さっきの頭の中の部屋なんだけど」

「え?」

「あれって自由に作れるの?」

「え? まあ、素材さえあれば」

「素材?」

「見たことある場所ならその記憶を組み合わせて、わりと自由にできるけど」

「それじゃ教会の結婚式って見たことは?」

「え? あるけど?」

 それを聞いたとたんにちよこの瞳に命が吹き込まれた。

「ねえ、雷ちゃん。そこであれを再現してみたらどうかしら?」

 しかし瑞希(雷)は首をかしげる。

「えーっ? あんなもん再現してどうするのにゃ?」

「だって、今の彼女には何を言ったって通じやしないだろうけど……でもあそこでなら“証明”できるんじゃない?」

「えっ? ああっ! そういうことにゃ! でも……」

 今度は二人が英二の顔をじっと見る。

 ???

 それから急にちよこがにじり寄ってきた。とても真剣な表情だ。

「えっと、高祖君」

「はい」

 彼女はほとんど触れてしまいそうなまでに顔を寄せると、英二に尋ねた。


「あなた……勇気ある?」


「はひ? 勇気、ですか?」

「そう。瑞希さんを、その想いを……まんま受け止める勇気、なんだけど……」

 瑞希の想いをまんま受け止める勇気? 意味がよく分からないが……

「とにかく僕ががんばったら、彼女を元に戻せるのか?」

 ちよこは英二をまっすぐに見て、うなずいた。

「多分……いや、今度こそ絶対。保証するわ」


「ど~こだ~? い~つまで隠れんぼしてるかな~? あ~っはっはっは!」

 ピ・シャァァァーン‼


 英二たちの近くの木にまた落雷する。

「ひえぇぇぇぇ!」

 英二は心を決めた。

「わかった! で、どうすればいいんだ?」

 ともかく今は彼女の言葉に賭けるしかない!

 ―――さもなければ『ここで死にますか?(はい/イエス)』なわけで。



「それじゃ高祖君の頭の中のあの部屋を、結婚式をしてる教会の中に変えて」

「そんなとこに変えてどうするんだ?」

「時間が惜しいの! 説明は順次してくから。お願い。できる?」

「わかった」

 そこで英二は親戚の結婚式に呼ばれたときに行ったチャペルを思い起こした。

「あと、あたしたちの体も」

「ああ」

 続いて教会の中にちよこと瑞希の姿を思い起こすと、即座にその中に魂が吹きこまれる。

『よっしゃなのにゃ』

『それじゃ高祖君自身も出てきて』

 英二は自身のアバターも出現させた。

『これでいい?』

 ちよこがあたりを見回す。

『あっち側にステンドグラスが必要なの。作って』

『え? うん』

 英二がまたそれを出現させるとちよこはまたあたりを見回した。

『こんなもんだけど、ちょっと殺風景かしら』

『それじゃ少し装飾をくわえてみるにゃ』

 瑞希(雷)がなにやら意識を集中すると、教会の内装がみるみる変わっていく。

『おーっ! これはやりやすいのにゃ。ちよこも手伝うにゃ』

『うん』

 今度は会堂の座席にたくさんの参列者が現れた。だがよく見るとみんなわりと適当で、同じ顔をしているが……

『これがさっき言ってた夢枕がどうとかの?』

『ええ。そうよ』

『いやー、でも普通の夢じゃこんなにリアルにするのは無理なんだがにゃー。おまえほんとにすごいにゃー』

『いやあ、それほどでも……』

 なんだかよく分からないが褒められるというのは嬉しいものだ。

『じゃあその顔もっときれいにしようか?』

 へのへのもへじみたいな参列者の顔が気になったので、英二はちよこに尋ねた。

 だが彼女は首をふる。

『あまり細かいことはいいの。それより服装と、他のキャストも作らなきゃ……』

 キャスト? ってことは、なにか劇みたいなことをしようとしているのか?

『えっと、高祖君はタキシードを着て新郎役ね。私がウェディングドレスで新婦役。それから雷ちゃんにはメイド服を着せてあげて……』

『あ? ああ……』

 英二はともかくちよこに指示されたとおりに服装を変えていく。

『あと、前には牧師様が立ってて、隅の方には何人か黒服男を控えさせておいて』

『黒服男?』

『サングラスかけて黒い服を着た悪役。手には銃を持っていて』

 おいおい。どういう状況だよ?

『あと雷ちゃんとは別に瑞希さんをもう一人ステンドグラスの向こうに置いて』

『え? うん……』

 英二がそのとおりにするとちよこがあたりを見回しながらうなずいた。

『えーっと、こんなものかしら。それじゃ説明するけど、まず高祖君が新郎の“エイジ”で、私が新婦の“キヨネ”で、メイド服の雷ちゃんが新婦の友人の“メグミ”よ。雷ちゃんは牧師様とかその他のキャストも適宜よろしく』

『わかったのにゃ』

『そしてステンドグラスの向こうが新郎の兄弟の“ミズキ”ね』

『え? 僕と瑞希が兄弟?』

『そういう設定なのよ。で、設定はこういうことなの……エイジとミズキは兄弟同士ながら互いに秘められた想いを胸に育っていたの。そんなエイジに横恋慕したのがキヨネという性根の腐った女で、親の力を使って無理矢理エイジと結婚して一生自分のオモチャにしようと画策するの』

 えっと……はあ?

『ミズキはそれを阻止しようとするんだけど、悪辣なキヨネの罠にかかってしまうの。合コンに誘われて行ったら睡眠薬を飲まされて無理矢理ホテルに連れ込まれて……』

『うへえ!』

『ともかくこうしてキヨネとエイジの結婚式の日になってるのよ』

『はあ……大体分かったような気がするけど……これって……』

 英二が尋ねようとするとちよこにぎろっとにらまれた。

『高祖君。ここであなたが瑞希さんの想いを本当に受け止められるかが、勝負の分かれ目なんだから。いい?』

『ってことはもしかして、ミズキっていうのは……』

『ええ。うまくいけば彼女があの向こうに来てくれるはずだから』

 英二はステンドグラス越しに見えている瑞希の影を見た。

 そういうことか! そうやって来た瑞希とならちゃんと話ができるってことだな?

 でも彼女が英二と兄弟設定とか、どういう話なんだ?

『だいたい分かったけど……でも、セリフとかは?』

『必要になったら私が教えるから』

 問いただしたいことは多々あるわけだが―――ともかく英二はうなずいた。

 それを確認したちよこがふっと自身の体に戻ると、天に向かって叫んだ。


「瑞希さん、見える? 聖サンタマリア教会よ。ここは!」


「えっと……サンタって聖なるって意味じゃなかったっけ?」

「いーから。そういう設定なのっ!」

 英二の脇腹に軽く肘鉄を食わせると、彼女は脳内の聖サンタマリア教会へ戻ってくる。

『さあ、それじゃ開演するわよ!』

 彼女はおもむろにナレーションを始めた。


 ―――結婚式はつつがなく進行していた。

 エイジとキヨネの前の牧師がキヨネに向かって言った。

「それじゃ新婦キヨネ、汝は神と証人の前でこのエイジを夫として、これからずっと、まあともかくずっと、あんただけを愛することを誓うかにゃー?」

「はい。誓います」


『えっといいのか? こんなんで……』

『いいのよ。細かいこと気にしないの!』


 ―――牧師はさらに続けた。

「それじゃ新郎エイジ。汝もこのキヨネを妻として、うんたらかんたら。誓いますかにゃ?」


『えっとこれには?』

『私に合わせて』

『ああ……』


 ―――だが、エイジは歯を食いしばってそれには答えなかった。

 すると周囲を囲んでいた黒服男達が銃をエイジに向けた。

「往生際が悪いわよ。エイジ。さあ、お誓いなさい。誓わないと……」

 キヨネがエイジを邪悪な眼差しでにらむ……


『ここで嫌々誓って!』


「はひ、誓いますぅ」

「よっしゃー。それでは二人で誓いのキッスをするのにゃ」


『キッス? ほんとうに?』

『結婚式なんだし当然でしょ?』

 でもこのキヨネって、ウェディングドレスを着たちよこそのものなのだが……

『なにもたもたしてるの? 大丈夫だから!』


 ―――嫌がるエイジにキヨネが迫った!

 そして公衆の面前でついにその唇が奪われそうになった、まさにそのときだった。


「待てグォルアァッ!」


 教会中が振動するような声が響きわたった!


《ひええええっ!》

 見るとステンドグラス先の瑞希の姿がむくむくと膨れあがり、身の丈百九十センチはありそうな巨漢に変貌しているではないか‼

『来てくれた! やっぱり来てくれたわ!』

『成功なのにゃ! さあ、続きをがんばるのにゃ!』

 えっと―――ナンデスカァ?


 ―――その男はおもむろにあの伝説の死門の構えを取ると必殺の雄叫びをあげる。

「グリズリィィィクラッシャアァァァ!」

 その叫び声と共に分厚い、厚さ二センチもあったステンドグラスが砕け散った。

 砕け散ったガラスが虹色の雪のごとくに教会内に降りしきる。

「エイジ~。行くなあ! 愛してるんだあ!」


『はい次のセリフ。“ミズキ兄さん、どうしてここに?”』

 は?

『聞こえなかった? “ミズキ兄さん、どうしてここに?”よ?』

 ………………

 …………

 ……

『ちょっとまてー。兄弟って本当に兄弟? 兄妹とか姉弟じゃなくって?』

『あ、ここのミズキは漢字じゃ“瑞樹”って書くの じゃ……』

『ちょまーっ』

『い い か ら や り な さ い ‼』

『………………』


 ―――エイジの喜びの叫びが会場全体に響きわたった。

「みずきにーさんどーしてここへー」


『心がこもってないーっ!』

『だってー』

『ともかく続き行くわよっ!』


 ―――現れたミズキをキヨネが憎々しげににらんだ。

「まあ、この変態強姦男が。いったい何しに来たのかしら?」

 だがミズキはびしりとその太い指でキヨネをゆびさした。

「やかましい! すべてはメグミに聞いたぁ。お前の悪行もなあっ。あの合コンの夜には何もなくて、メグミは横で寝ていただけで、そのときにはもうあいつはお前の親父の子を妊娠していたんだってなあ!」


『えっとそれっていろいろどういうことですかー』

 だがもうちよこは相手にもしてくれなかった。


 ―――キヨネは醜く目を見ひらくと、がしっと醜く爪を噛んだ。

 それから背後に控えていたメグミを醜い表情でにらみつける。

「なんですって? 使えない女……まあいいわ。やっておしまい。おーっほほほ」

 それと共に黒服男たちが拳銃を取り出してミズキをとり囲んだ。

「ふーっふふ。一歩でも動いてご覧なさい。あなたの大好きなお兄様は穴だらけよ。さあ。式の続きを……う……」

 エイジが見ると、その胸からナイフの切っ先が飛び出していて、白いウェディングドレスを真っ赤に染めていった。

 キヨネのただでさえゲスな顔がさらにさらに醜く歪む。

 刺したのはなんとメグミだった。

「キヨネ様。もうおやめくださいにゃ」

「メグミィィ。おのれぇぇ!」

「あなた様のためだと思ってこれまで我慢してきましたにゃ。でももう限界ですにゃ。天使のようなエイジ様が汚されていくのを見るのは、もう我慢なりませんのにゃ」

「こいつを! こいつを捕らえなさい!」

 キヨネが黒服に命じるが、黒服たちはあっと言って怯んだ。

「なにをしている?」

「動かないで! なのにゃ!」

 ふり返ってメグミがメイド服をまくり上げると、その腹にはダイナマイトが何十本も巻きつけられていたのだ。

「さあ、エイジさん。お兄さんが待ってます」

 メグミの目に一筋の涙がながれた。

 走り出すエイジ……


『えーっと……いろいろおかしくない?』

『とっとと走りなさいっ!』

『はいーっ』


 ―――そのとき、黒服の一人が思わず拳銃を発射してしまった。

 その弾丸がメグミの腹に巻かれたダイナマイトに命中して大爆発して、邪悪なキヨネはもはや害のないミンチになった!


『うわああああ!』

 あたりに本当に大爆発が起こって視界が真っ白になる。

 そして次に気づいたときには……


 ―――エイジは、懐かしい強い腕にがっしりと抱えられていた。

 もちろんその爆発からエイジを守ったのはミズキだった。

 エイジの顔にぽたぽたと滴が垂れてくる。それは赤い血の色をしていた。


『次は“にーさん、こんなに血が……”』

 ……………………

『ほら! はやく!』


「にーさんこんなにちがー」

「血? こんなの大したことないさ。それよりもお前が生きていたくれたほうが嬉しかった。すまない。お前を手放したばかりに」


『“あ、痛いよ。兄さん”』

 ……………………

 ジロッ……


「あーいたいよーにーさん」

「痛かったか? ごめんよ」


『“ううん。兄さんなら痛くない。来てくれて嬉しかった”』

 ……………………

 ………………

 ギロッ!


「うーんにーさんならいたくないーきてくれてーうれしかったー」

 ミズキを見つめるエイジの眼差しには、燃えるような愛の炎が燃えさかっていた。

「いいのか。本当に俺で?」


『頬を赤らめながら“うん”よ』

 ……………………

 ………………

 …………

 ゲシッ!


「ウン……」

 ミズキの目からも涙がこぼれ落ちる。

 これは決して叶えられないはずの愛がかなった奇跡を喜ぶ涙なのだ。

 ミズキが胸をはだけると、そこには見まごうことのない、修行で北極熊を倒したときにつけられた縦横九条の傷、通称九字の紋章が現れた。

「エイジ!」

 ミズキの太い腕がエイジのタキシードのボタンを外していく。そしてミズキの指がエイジのその部分に到達する。

「なんだ、もう濡れてるじゃないか」


『“そんなこと言わないで。恥ずかしいよ。兄さん”』

 ……………………

 ………………

 …………

 ……

『ちょーっ! もう無理ーっ』

『そんな、ここまできて!』

『あー、おまえBL本って時点で想定できてなかったのかにゃ?』

『できてないーっ! 心の準備まだーっ!』

『だから勇気があるかって聞いたじゃないの。瑞樹さんを受け止める勇気が』

『それ、受け止めるじゃなくって“受け”ーっ!』

 こ、このままでは……

『いいのにゃ。続けてしまうのにゃ』

『わかったわ』

『ぎゃーっ』


 ―――エイジは恥ずかしさと期待でもう声も出せなくなっていた。

「いくぞ。エイジ」

「うわーっ! 怖いーっ! やさしくーっ!」

「エイジ! エイジ! エイジ! エイジ! エイジィィィィ」

 エイジの中がミズキの愛で満ちあふれていく。

「……アーッ」


          


 何もかもが夢のようだった。

 エイジが目を開くと、枕元にはやさしい兄さんの顔があった。

「だいじょうぶか?」

 ミズキはエイジの大きくなったお腹をやさしくさすった。

「もうお前一人の体じゃないんだからな」


『?????』


 ―――それに反応してエイジの体内の新しい命が律動した。


『“うふ。あ、動いた”』

 ………………

 …………

 ……

『なにがーっ! どこでーっ‼』


 ―――エイジは感極まって声も出せない。

「可愛い子が生まれるといいな」

 エイジの瞳が語った。もちろん絶対だって。

「どうして分かるんだい?」

 だって僕と兄さんの子供だもん。かわいいに決まってるよ!

 ミズキがエイジをやさしく抱擁する。

 月が、その奇跡をじっと見下ろしていた。完―――



『ふーっ』

『いやー、何とかなるもんなのにゃー。今回はもうだめかと思ったにゃー』

 満足げな二人に、真っ白になった英二がささやきかける。

『アノォォ……コレッテェ……』

 ちよこがぽっと頬を赤らめながら答える。

『ええ。そうなの。瑞希さんが中二のときに書いた“英二受け小説”の世界……』

『殺してでもおまえには知られたくなかったっていう、瑞希様の乙女心だったのにゃ』

 英二は力尽きた。